緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

私が聞いたガダルカナル島の惨禍

2015年08月17日 | 日記
ここ数日、テレビを観ていると、戦後70年ということで戦争を特集にしたものが多いです。
本当は、8月の一時期だけでなく、戦争の体験は、常日頃、伝えていくべきものでしょう。

私の両親は二人とも戦争体験者でしたが、戦争の話はあまりしませんでした。
それでも、父はある時、ガダルカナル島の話をしたことがあります。

当時、父は軍属として病院船の高砂丸に乗船していました。
船を動かす機関員としての立場での体験です。

ガダルカナル島は縮めてガ島とも言われ、餓島と当て字されることもあります。
無謀な作戦の結果、多くの日本兵の死者(戦死5000人、餓死及び傷病死15000人)をだしたことで有名な島です。

日本の病院船が到着したことは、すぐにガダルカナル島のジャングルに潜む日本兵に伝わったようで、餓死寸前の日本兵は、最後の力を振り絞ってジャングルから出てきたそうです。

その姿はとても生きている人間とは思えない、昔の地獄草子や餓鬼草子に描かれている亡者や餓鬼のような状態で、そういう人間が、ゾロゾロと無言のまま、行列を作って船に乗り込んできたそうです。

最初は、まだ歩ける人間が来たそうですが、しまいには這って来る人達もいたそうです。
彼らは船に乗り込むと甲板に自ら横たわり、そのまま安堵して死んでいったとのことです。

日本の病院船が来た、船に乗れば日本に帰れる、そう思って、最後の力を振り絞ったのでしょうね。

父にとっては、それは、忘れられない、衝撃的な情景だったようです。

ガダルカナルに限ったことではなく、当時の日本軍は、いつまでも最初の戦略、作戦にこだわり、撤退の決断を先延ばしして被害を拡大してしまうことを繰り返しています。
それは、今も変わらぬ日本人の国民性なのかもしれないとも思ってしまいます。

下の写真は、5年くらい前に私が門司に旅行に行った時、たまたま入った国の登録有形文化財である北九州市旧大阪商船ビルで見つけた高砂丸の模型です。





ヘクソカズラの花

2015年08月12日 | 日記
世の中には、名前のおかげで悪い、もしくは変なイメージを植え付けられた可哀そうなものがあります。

ヘクソカズラもそう。
花は結構可愛いんです。


こんな名前がついてしまった理由は、臭いからだとか。
でも実際はそんなに臭くないのです。少なくとも屁糞系の匂いではないです。

気の毒です。

同じように、アホウドリも気の毒。

人間が危険であることを知らず、人間に容易く捕えられて、絶滅危機に陥っているのに、それが阿呆だというのでアホウドリだなんて。

子供に名づけられるキラキラネームはどうでしょう。

とんでもないイメージを持たれるかもしれないけれど、親心だから我慢すべき?

今はキラキラネームが多いから、別に構わない?

作家の三島由紀夫は、イメージ的に若い年齢を思わせるペンネームを敢えて付けていたと聞きます。一種のナルシズムだったみたいです。

自分で付けるのなら別に構わないんですけどね。


お父さんの切手蒐集、その後

2015年08月06日 | 日記
暑さで出かける気がしません。

スズちゃんも廊下で行き倒れ状態。

通るのにメッチャ邪魔なんだけど。

何もする気はないのだけど、ヒマで困る。
そこで思い付いたのが、切手の整理。それくらいならできます。

去年、母が亡くなって、母の遺品を整理していて見つけた父の遺品の切手帳。
半分くらいは使用済みの外国の切手だったのですが、日本の未使用の切手もあり、どうしようかと。

今年になって、ある団体が未使用の切手の寄付を募っているのを知って、寄付しようかと思ったのだけど、できれば額面毎に分けてほしいと書いてあって、面倒くさくて放置してました。
で、ヒマになった今、切手の寄付を思い付いたというわけです。

切手帳にはこんな感じで仕舞い込まれていました。

こういう感じで何ページも。

せっせと、額面毎に分け、ビニール袋に入れました。

これで送付して終わりです。

未使用の切手は1960年代のものが多く、今から50年くらい前のもの。
当時、切手蒐集が大ブームで、父も少しやってみたのでしょう。(大した数ではなかった)

私の友人知人の中には、お父さんから蒐集した切手を貰ったという人が2名ほどいます。
彼女たちは異口同音に「いくら位で売れるんだろう」と言いますが、実際には額面割れでしか売れません。
下手すると、そういう店に行っても、シートでなければ買い取ってももらえません。

昔、それくらい、切手蒐集はブームで、猫も杓子も切手を集めていたのです。(おぼろに記憶あり)
現在、集めていた人達が次々に亡くなって、遺族がそれを売ろうとしても、希少価値が全くないわけで、売れないのです。

遺族が取れる行動を以下に列挙すると、

① そのまま持っている。 
  但し、邪魔。
  資産としても、そもそもの数が多いので価値が出てく
  るには後、50~100年くらい待つ必要があるかも。

② 使う。
  但し、昔の切手は額面が10円とか20円で、今、使う
  とすると何枚も貼る必要がある。
  しかも記念切手は大きいので定形封筒やハガキに貼
  るのは難しい。
  定形外の封筒に貼るしかないが、貼った場合、見栄え
  が悪い。

③ 売る。
  但し、額面割れ覚悟で、その上、買ってもらえない可
  能性もある。

④ 郵便局で使いやすい切手に替えて貰う。
  但し、手数料が必要。

⑤ 捨てる。
  但し、もったいない感じが否めない。

⑥ 寄付する。

というわけで私は⑥を選びました。

それにしても、昔の男の人は、なぜあんなにも、切手蒐集に夢中になったのでしょう。











シニア大学あれこれ

2015年08月01日 | お出かけ
この秋から、某シニアカレッジに行こうかと思っています。その替わり、行くたびにモヤモヤしてしまう俳句教室は止めることにします。

先日、そのカレッジ主催の説明会に行ってきました。

説明会は、カレッジが具体的にどういう事をするか、あらかじめ知らせて、疑問にも答えて、始まってからミスマッチに気づくことを避けるために開くみたいです。
納得した上で受講料を支払って、入学確定になります。

カレッジの内容全体の説明が終わると、入学希望者二人にボランティアスタッフ一人がついて、丁寧に疑問に答えてくれました。

その時、一緒に話をした入学希望者が面白いことを言っていました。

その人は前にも、別のシニアカレッジに通っていたそうで、カレッジの内容は文学とか歴史の筈だったにもかかわらず、そういう話はあまり無くて、行く度に、介護とか、財産分与とか、ケアハウスとかの話を聞かされたそうです。それで、いく度に暗ーい気持ちになって帰ったということでした。

「受講料が安かったのですか?」と私が聞くと「そんなことは無かった」とのこと。
そのシニアカレッジの主催者がケアハウスか何かの理事長とかで、そこそこ裕福なシニアの取り込みの為にカレッジをやっていたのかなと思いました。

その人も、もちろん、介護や財産分与(?!)の話も重要だとは分かっていたのですが、そんな話をすると聞かされていなかったので、相当に違和感があったみたいです。

家に帰ってから、他にどんなシニアカレッジがあるのか、ネットで調べてみました。

シニアカレッジは、位置づけとしては市民大学の一つで、色んな種類のものがありました。
主催も、府県や市といった行政主催のもの、大学主催のもの、NPO主催のもの、それらが提携しあっているもの等。
学校として、法的な規定があるわけではないので、学習内容も千差万別です。

私の場合、シニアカレッジに行くことを考えたのは、無理のない程度に、定期的に出掛ける先を作っておきたいから。
学習だけだったら、今時、テレビや本で十分で、やはり体を動かしたいのです。

だから、行くつもりのカレッジは、座学もあるけれど体験参加型のカレッジです。
説明によれば、班活動や、いわゆるクラブ活動等もあって、受け身の学習だけというわけではなさそうです。

ただ、受講生同士の交流が必須だと、どんな人が来るのか分からないので、変な人がいたら困るというのはあります。
その点も質問したのですが「男性は紳士、女性は淑女」という答え(笑)。
答えてくれたボランティアスタッフはいたって真面目で、別のシニアの集まりで、気に入った女性に付きまとうストーカー的な男性(結局それが目的だった?)が実際にいたということでした。

カレッジは1年コースと2年コースがあるのですが、私は1年コースにしました。
2年だと、自分に合わなかったらしんどいからです。
気にいったら次の年にまた入学することもできるみたいで、実際にそうしている人もいるとか。(カリキュラムは毎年少しづつ変えている。)

とまあ、それは秋からの計画。
今は暑くってどこにも行きたくありません。

我が家の猫どももグッタリの毎日です。