緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

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長年の疑問 捕鯨問題

2019年01月08日 | 話題
日本の捕鯨問題について、私は長い間、一つの疑問を持っていました。
それは、なぜ北米大陸の先住民による伝統捕鯨は認められていて、日本の伝統捕鯨が認められないのか、それが分からなかったのです。
そんな中で昨年末の日本のIWC脱退がありました。

その後、ある人のTwitterを見ていて『日本の伝統文化に関係のある沿岸捕鯨は、南極海の捕鯨をやめれば世界から認めようと少なくとも3回の提案があったのに日本政府は拒否したのでした。日本政府の目的が南極海での捕鯨だからでした。』というツィートを読みました。

『ええっー!! 本当に?』と思いました。
もし本当にそんな提案が過去にあって、それを政府が拒否していたのなら、今回の脱退も含めて、日本の政府のやっていること、まったく訳が分かりません。

ちなみに私はTwitterをやっていません。
かつて様々な社会問題について、とても面白いブログをやっていた人が、Twitterをやるようになって、Twitterの方にのめり込んでしまって、ブログの更新もなくなり、結局ブログそのものも止めてしまったのを私は見ていました。

間違っているかもしれませんが、メッセージ性を持った発言の場合、Twitterは、よく似た考えを持った仲間内でのおしゃべりになりやすく、やっている方は楽しいのでしょうが、メッセージの発信力としては弱いし、なによりやっている本人が、実質狭い仲間内でのおしゃべりに過ぎないのに、ツィートすることで自分が社会に対し何か言っている気になってしまう欠点があるように思うのです。
情報の真偽も短すぎて判断できないのです。

捕鯨についてツィートされていたTwitterは、私が唯一例外的にたまに開いて読んでいたTwitterでした。
(上記のブログ主のTwitterではありません。)

ただ、Twitter上での言葉であり、やはり事の真偽が分からなかったのです。
Twitterはフェイク(嘘)がとても多いのも特徴です。
〈世界から認めようと少なくとも3回の提案があった〉と言われても、その「世界」って具体的にどこなのか、何なのかも分からないのです。

気になってツィートを辿ってみると、情報源が分かりました。
2017年6月13日の国会の農林水産委員会における山本太郎の質問でした。
3回の提案も以下のように、いつどこで誰が、が示されていました。

〈一回目、一九八八年九月、東京、日米非公式漁業協議の席上、米国エバンス商務省海洋大気局長が田中宏尚水産庁長官に対して、南極海での調査捕鯨をやめれば沿岸捕鯨の再開をIWCで支援してもよいと提案したが、日本側は応じず。二回目、九七年、モナコ、第四十九回IWC年次会議にて提案を受けるが、応じず。三回目、二〇一〇年、議長を務めるチリ代表のマキエラ氏からの妥協案にも応じず。〉

この時の質問場面はYouTubeでも見ることが出来ます。ここです。
また活字としても起こされています。ここです。
とても分かり易いので、捕鯨問題に関心のある人は是非見ていただきたいです。
担当所轄の農林水産省の方々を前にした、農林水産委員会での発言ですので内容にフェイクはなかったと判断できます。

私はあくまで伝統捕鯨に関して、日本人とクジラとの関わりは素晴らしいものであったと聞いていました。
そして南氷洋における調査捕鯨は伝統的な沿岸捕鯨が認められないが故の代替的な捕鯨だとなぜか勘違いしていました。
そうではなく、日本の政府にとって伝統捕鯨はどうでもよく、目的は南氷洋における捕鯨だったわけです。

「伝統、伝統」と言っていれば国民は騙されます。
日本人なら大抵の人は伝統を守ることにやぶさかではないでしょうけど、世界中を敵に回しても水産省の利権を守りたい日本人は、当の水産省の官僚を除いてはいません。

山本太郎の質問は2017年、つまり一昨年のことだったのですが、ではなぜ、ここに至ってIWCを脱退し、以前に提案を受けていた南氷洋の調査捕鯨を打ち切り、沿岸捕鯨のみ行うと言い出したのでしょうか。
日本の「伝統」を一向に理解しようとしないIWCを、脱退という形で拒絶する姿が一部日本人にはカッコ良く映るから?

私は、それより何より南氷洋での捕鯨が利権としての旨味を失ったからではないかと思います。
調査捕鯨で得た鯨肉は在庫がだぶつく状態であり、たぶん鯨肉の消費が上向くことは今後もない。
実は日本の政府は、南氷洋の捕鯨から手を引く時期を逸していたのではなかったのでしょうか。

だったら、IWCで南氷洋の調査捕鯨から手を引くので日本沿岸の伝統捕鯨は認めて欲しいと、自ら言い出せばよかったのにと思うのは私だけなのでしょうか。



お年賀に行ってきました。

2019年01月04日 | 介護
1月3日、お年賀の挨拶に行ってきました。
亡くなった母の友人だった人で、施設に入っています。
施設に入ったことは聞いていましたが、どうされているかずっと気になっていたので、知人に施設名を聞いて伺いました。

顔が全然変わっていましたので、個室の部屋を間違えたのかと思いました。
なぜか髪だけ染めていないのに黒々としていて・・・。
私がそれを言うと「皆さんそう言う」と。

私はその人がまだ元気な頃の記憶が残っていて、年賀に行ってもまだ動けると思っていましたが、私がいる間、ベッドに寝たきりでした。
お聞きすると、車いすでの移動はできるので、食事とかは共同のレストランでいただいているという話でした。

その人は母と同じ年で94歳です。
母もその人も若い頃から60代くらいまでは、文字通りブイブイ言わせていました。
70代になるとあちこち悪いところが出てきて、それでも動き回っていましたが、80代になると大人しくなりました、というか一人で動けなくなりました。
健康寿命って大切です。

その方には子供がおらず、子供以外の家族にも先立たれていて、唯一お姉さんがいるのですが外国在住。
なんだか未来の私をみているよう・・・。

私は母からはその人の悪口ばかり聞かされていました。
そのくせ母とその人は仲が良く、お互い助け合っていました。
人はどうしても自分と同年代の人と親しくなるのですが、そうなると時をほぼ同じくして体が動かなくなったり亡くなったり、最晩年で助け合うというのは無理なようです。

「また来てください」というので「また来ます」と私も答えてお別れしました。
なんだか、お正月から色々と考えこんでしまいました。




明けましておめでとうございます。

2019年01月01日 | 日記

元旦、良いお天気でした。
夜には一時、雨が降って雷が鳴りました。

私的には、あれこれ問題はあるんですが、今年もよく遊んで学ぶ1年を目指すつもりです。
今年一年、世の中が平穏無事であることを願うばかりです。
拙いブログですが、今年もお付き合いのほどお願いいたします。



元旦のみーちゃん。
足の指の間まで舐めてきれいにしてました。