天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 14:セビリア街歩き 黄昏のアルカサルと大聖堂

2014-05-26 | 旅行記:2014初夏 スペイン
La Catedral de Santa María de la Sede de Sevilla~セビリア大聖堂~


13:セビリア街歩き グァダルキビル川の畔、黄金の塔からの続き

グァダルキビル川と黄金の塔からの帰り路、セビリア大聖堂の横を通りかかりました。
段々と群青から黒へと色彩を変えつつある黄昏時の青空の下のカテドラルが美しかったので、つい足を止めて門扉の隙間から暫し見惚れます。




ガイドブックの記述によると「後世の人々が正気の沙汰ではないと思う程に巨大な聖堂を建てよう」 という意志の下に建築が始められたというセビリア大聖堂。
確かに、何やらこの世のものとも思えぬ圧倒感と荘厳さが漂っています。
ここには既に何度も名前を挙げた残酷王ドン・ペドロ1世も眠っている他、クリストファー・コロンブスの墓もあるそうです(実のところ僕は「インディアン」を虐殺しまくったコロンブスは大嫌いなのですが…戦国乱世のカスティリア王国の栄光のためには敵の粛清も厭わなかったので残酷王と呼ばれたドン・ペドロよりも、面白半分に「人間狩り」を楽しんだコロンブスの方がよっぽど残酷だと思うよ…閑話休題)


カテドラルの隣にそびえ立つヒラルダの塔
この地を支配していたイスラム国家のモスクだった建造物を壊して、その上に建てられたというセビリア大聖堂には、モスク時代の名残が今でも残っていると言われていますが、その一つがこのヒラルダの塔です。
元々はモスクのミナレット(尖塔)だった塔に、後からキリスト教式の鐘楼を載せた折衷型の建築様式となっています。

今では毎時鐘を打ち鳴らすヒラルダの塔も、昔々はムスリムに礼拝へ集うよう呼びかける「アザーン」を叫ぶおじさんが、毎日五回登り降りしてたんだなぁ~








そして、セビリア大聖堂と向かい合って建つのは…


ドン・ペドロ1世の居城だったアルカサル-王城- です!
…今日はもう見学時間が終わって城門は閉ざされていますが、明日はこの城をゆっくりと見るつもり。




城壁にはカスティリア王国の紋章である「城と獅子」のタイル絵が掲げられていました。


おやすみなさい、アルカサル。また明日来るよ…



15:セビリア街歩き 日没のサンフスタ駅に続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 13:セビリア街歩き グァダルキビル川の畔、黄金の塔

2014-05-25 | 旅行記:2014初夏 スペイン
photo:La Torre del Oro de Sevilla ~黄金の塔~


12:セビリア街歩き 威風堂々、スペイン広場からの続き

スペイン広場から続く道を進んで行くと、川の流れに行き着きます。

セビリアの街を貫き悠々と流れるのはグァダルキビル川です。
アンダルシア地方で最も長い大河であり、アラビア語で「大いなる川」を意味するその名は、かつてこの地がイスラムに支配されていた頃の名残です。



大西洋へと注ぐグァダルキビル川は河幅が広く外洋船も遡って航行することが出来た為、セビリアは内陸にありながら港湾都市として海上交易の拠点となり発展してきました(河川に支えられた内陸の港湾都市、という立地はドイツのハンブルグに似ていますね)


現在のグァダルキビル川の岸辺にも、海に出ていけそうな大きな船が接岸しているのが見えます。
でも、手前に架かっている橋桁が船体より低いので、あの船は今いる場所からは動けそうにないですね(笑)
ところで、川沿いの石畳に鉄道線路が埋もれているのが気になるんですが…


謎のグァダルキビル川沿いの線路は、セビリア市民が川を眺めて寛ぐ河川公園に向かって消えていきました。
かつて、グァダルキビル川を行き交う船に物資を積み下ろしするために使われていた貨物線の廃線跡かも知れませんね。
それにしても、さすが幅が1668mmもあるスペイン規格の広軌線路。線路の上を歩くお姉さんの背丈よりも線路幅の方が広そうです。

線路の消えていく先に、塔が見えます。
あの塔まで行ってみましょう。




グァダルキビル川の畔に建つ小さな塔。黄金の塔(トーレ・デル・オロ) です。
13世紀初頭にアラブ人の手によって建てられ、当初は外壁全面にタイルが貼られ黄金色に輝いていたと伝えられているので、この名で呼ばれています。
さらに建てられた頃には川の向こう岸に向かい合うように「銀色の塔」も建っており、お互いの塔を鎖でつないでグァダルキビル川を遡って来る敵の船の侵入を防いでいたそうです。
黄金の塔は港湾都市セビリアを外敵の襲来から護る要塞だったのですね。

…ちなみにこの黄金の塔、青池保子先生の「アルカサル-王城-」の愛読者には
カスティリアの国王ドン・ペドロ1世が愛妾アルドンサを住まわせていた場所としておなじみですね~
ええ、だから僕も暑い中をわざわざここまで歩いて見に来たんですけど(笑)




…さて、まだまだ日は沈みそうにありませんが、もう夜の8時を過ぎました。ホテルに帰りましょう。



空はまだ明るいですが、街路に落ちる日影はだんだんと闇の濃さを増してきています。
初夏の夜が、人知れずこっそりと忍び寄ってきているようなセビリアの黄昏時です。


それにしても、ちょっと調子に乗って遠くまで歩きすぎたな。さすがに疲れた…
ホテルまで無事に帰る体力が残っているか、ちょっと心配…


という訳で、路地裏の自販機コーナーで見つけた、この強く効きそうな栄養ドリンクを投入(笑)
これ、日本のコンビニでもよく見かけてたけど、あまりに強烈そうなんでコワくてまだ飲んだこと無かったんだよね~

14:セビリア街歩き 黄昏のアルカサルと大聖堂に続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 12:セビリア街歩き 威風堂々、スペイン広場

2014-05-25 | 旅行記:2014初夏 スペイン
photo:Plaza de España de Sevilla スペイン広場


11:セビリア街歩き 謎の市場(メルカード)と幻のプラネタリウムからの続き

いつまでも日が暮れない長い長いセビリアの午後の散歩にも疲れて、そろそろホテルに戻ろうかと思っていると、何やらただならぬ場所に迷い込みました。


王城のような威風堂々たる建築…
スペイン広場です!




元々、セビリアの宮殿の庭園だった場所に、1929年に開催された万国博覧会の会場パビリオンとして建てられたスペイン広場の建物。
現在は建物の内部には何もなくがらんどうですが、無料で一般公開されているので、散策を楽しむセビリア市民や観光客の憩いの場となっているようです。

スペイン広場は万博会場として造られた名残で、半円形の広場を丸く取り囲むように大回廊がぐるりと長く伸びる特異な建築様式となっています。



大回廊の至る所が、美しいタイル絵で装飾されています。
本物のセビリアの王城アルカサルと同じ、イスラム文化の影響を強く受けたムデハル様式の建築は何ともエキゾチックで、どこかミステリアスでさえあります。


その印象的な佇まいからか、映画の撮影ロケ地としても何度も使われたというスペイン広場。
名画「アラビアのロレンス」や、意外なところではSF映画「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」での宇宙の果ての系外惑星(?)のシーンでスペイン広場の大回廊が登場するそうです。



13:セビリア街歩き グァダルキビル川の畔、黄金の塔に続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 11:セビリア街歩き 謎の市場(メルカード)と幻のプラネタリウム

2014-05-23 | 旅行記:2014初夏 スペイン
Estación de San Bernardo,Sevilla(Estación de Cádiz)


10:セビリア街歩き サルバドール教会からセビリア大聖堂へからの続き

晴れ渡った青空から真夏のような陽射しが燦々と降り注ぐ、セビリアの遅い午後。
西陽がさすようになって、気温もぐんぐん上昇している模様…


暑いと思ったら、気温が既に30度越えてます!
まだ4月末なのに、何という暑さ!そう言えばたしか、真夏の暑い盛りには気温が軽く40度オーバーになるんだよね…
さすが、地中海の向こうはすぐにアフリカ、サハラ砂漠が控えている南国都市セビリア。


あんまり暑いので、公園の木陰に避難。
湿度が低いので、日影に入ると驚くほど涼しくて快適です。ああ、僕もこのままシエスタしたい気分…

木陰で休憩したら、元気が出てきました。
再び青空の下を歩き始めると…何だか気になる建物を発見。


トラムの走る大通りから1本裏通りに入った、路面電車の車庫の奥にあった、この大きな屋根の建物。
MERCADO PUERTA DE LA CARNEという看板が出ていますが、MERCADO(メルカード)とはスペイン語で市場のこと。
もう夕方なので店じまいしていてひっそりとしていますが、どうやらセビリア市民の台所“PUERTA DE LA CARNE市場”のようです。
きっと朝早い時間には、大屋根の下に並んだ美味いものを売る店と大勢のお客さんで賑やかになるんでしょうね。

…それにしても、何かが気になる。
この市場の建物のかたち…これって、ひょっとして昔の駅じゃないのかな!?
ヨーロッパの都市ではよく見かける、構内のプラットホームと線路をすっぽりと天蓋で覆ったターミナル駅の建築様式に似ているような気がしてならないのです。
よく見ると、大屋根の正面に「SEVILLA」と書かれたプレートも掲げられているし、あれは駅名標に違いない!


大屋根の側面の建物を正面から見てみましたが、やっぱり駅舎に見えてきます。
おそらく、廃止された旧セビリア駅の建物をそのまま利用してメルカードにしたのではないかな?
この建物の由来を示す看板も何も見当たらないから、帰国してからインターネットで検索して調べてみよう。

(…そして帰国後、調べてみたところ、やはり予想通りこのメルカードは古い駅舎だったことが判明!
1902年にセビリア・カディス駅ことサン・ベルナルド駅として建てられ、1990年に現在のターミナル駅であるサンフスタ駅に統合されて廃止。その後は一時放置されたりした後に、1999年からPUERTA DE LA CARNE市場として使われているそうです。Wikipediaのスペイン語版ページには現役の駅時代の写真も掲載されていますが、紛れも無くこの市場の大屋根の下に線路が並び、スペイン国鉄のローカル急行列車が停車している風景を見ることが出来ます。
Estación de San Bernardo (Sevilla, Estación de Cádiz)




気になる市場を後に、街歩きを再開。すると、またもや気になるものが…


planetario…って、プラネタリウムじゃない!?
おお、セビリアにもプラネタリウムがあるのか!!これは、是非観なければ。



プラネタリウムの看板が掲げられていたのは、ファサードの装飾が凄いこの建物。
石に刻まれた重厚な看板があまりにも立派過ぎて(ついでに英文併記無しの長ったらしいスペイン語だったので)全然読めませんでしたが、どうやらセビリア科学博物館、といったところでしょうか。
ガイドブックにも載っていない地元の科学博物館、一体どんなプラネタリウムが設置されているのか…年代物のCarl Zeissとか、お宝に出会えそうな予感!!

ところが、入り口で博物館職員と思しき男性に「今からプラネタリウム見られます?」と聴くと「今日はプラネタリウムはNO!」とあっさり断られてしまった…
まだ陽が高くて明るいのですが、時間は既に午後7時前。もう閉館の時間のようです。
「ああ、周囲が明る過ぎてすっかり時間の感覚が無くなっていた。陽は沈んでないけどもう“夜”なんだよなぁ…しかも、明日は月曜日で休館日じゃないか…セビリアには明日までしか滞在しないのに、残念!!
この次にセビリアに来た時には、絶対にプラネタリウムを観るぞ!!

幻に終わったセビリアでのプラネタリウム鑑賞、帰国後に改めて調べたところ、この博物館はLa Casa de la Ciencia de Sevilla(直訳すると“セビリア科学の家”)というそうです。

公式サイトも発見したので、次の機会には必ずplanetarioに再チャレンジしてレポートしたいと思います!



12:セビリア街歩き 威風堂々、スペイン広場に続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 10:セビリア街歩き サルバドール教会からセビリア大聖堂へ

2014-05-22 | 旅行記:2014初夏 スペイン
photo:Plaza del Salvador サルバドール教会広場


09:セビリア街歩き 旧市街の「ドン・ペドロの首」からの続き

セビリア旧市街の曲がりくねった狭い道が交差し合う迷路のような路地裏から、ピンク色の派手な外壁が目立つサルバドール教会に面した広場に出ました。
さすがに歩き疲れて汗もかいたので、広場の涼しそうな場所でちょっと一休み…
と思ったけど、日陰が全然無いね。






広場に面して建つ建物の時計塔を見ると、もうすぐ夕方の午後5時なのですが、
青空はますます晴れ渡り、どう見ても真っ昼間の風景です。
さすがスペインの遅くて長い午後…なるほど、これじゃシエスタで一眠りしないと一日やっていられない訳だよ!


サルバドール教会から街の繁華街と思しき方角へ歩いて行くと、トラム(路面電車)の線路が敷かれた街路に出ました。
石畳に建物の日影がくっきりと落ちて、その真っ暗な陰の中に目を凝らすと人々が行き交うのが見える…キリコの絵画を思わせる、まさに白昼夢のような光景。


白昼夢の幻想を破って、トラムの電車が現れました。車体のラッピング広告が派手だなー。
そして、トラムもやっぱり流線型デザイン。本当にスペインの人は鉄道車輌を流線型にしないと気が済まないみたいだな(笑)




暫くトラムの線路に沿って歩いて行くことにしました。
街路が狭くなっている区画では、トラムの線路も単線になって狭い道をすり抜けます。それにしても、ヨーロッパではよく見かける歩行者天国の街路を人と並ぶようにしてトラムが堂々と走っていく光景が楽しいですね。人とトラムがぶつかったりしないか、ちょっと心配にもなりますが。

トラムの電車通りの先に、大きな建物が見えてきました。あれも教会のようです。

高い塔を伴った大教会堂…どうやら、あれが名高いセビリア大聖堂のカテドラルのようです。


電車通りに面して、巨大な玄関が道行く人々を威圧するかの如くそびえ立っています。すごい迫力!
…でも、玄関の扉は閉ざされているから、カテドラルの中に入れないのよね。まだ陽は高いのに、スペインの教会は早仕舞いなのかな?


この大伽藍の中には、さっき「首」を見てきた残酷王にして正義王のドン・ペドロ1世の墓もあります。
セビリア大聖堂のカテドラルには、また明日も出直して来ることにして、セビリアの長い午後の散歩を続けましょう。

11:セビリア街歩き 謎の市場(メルカード)と幻のプラネタリウムに続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 09:セビリア街歩き 旧市街の「ドン・ペドロの首」

2014-05-20 | 旅行記:2014初夏 スペイン
CABEZA DEL REY DON PEDRO ~ドン・ペドロの首~


08:セビリア街歩き サンフスタ駅から旧市街へからの続き


明るい午後の陽射しが差すセビリアの旧市街。
本当に雲ひとつ無く晴れ渡りました。


セビリアの旧市街に並ぶ建物は、南欧らしくカラフルな装い。
晴れ渡った地中海性気候の青空に映えて、よく似合います。


進むに連れて路地は細くなり、枝分かれした迷路のようになっていきます。

旧市街の狭い路地をあてもなく彷徨い歩くのも楽しいものですが、今日は行きたい場所があるのです。
迷子にならないように、路地の標識を確認しながら慎重に進んでいきます。

道すがら、塔を備えた教会のような立派な建物を発見。



でも、特に案内看板も見当たらず、正体不明。
一体何の建物なのか…


聖堂のような立派な玄関もありますが、扉は堅く閉ざされています。
誰でも入れる神の家ではないのか…


建屋の奥には塔も見えます。それにしても、何とも派手で綺羅びやかな装飾!それがまた、青空によく映えますねぇ!
でも結局、ここが何の建物なのかはよく分からなかった。やれやれ。。。

謎の教会を後に、目指す目的地へ…
陽射しが強いので、日なたを歩いてるとなんだか暑くなってきたよ。
ホテルでもらった冷たいミネラルウォーターを持ってきてよかった。

さて、僕はこんなに一生懸命に一体どこへ向かっているのかというと、今から王様の首を見に行こうとしているのです!
明るい南欧セビリアの街に似つかわしくもない、恐ろしげな「王様の首」とは一体何…?
それについては、これから一席語る昔話に少々お付き合い下さいませ!

…時は14世紀。

イベリア半島が群雄割拠の戦国の世だったこの時代、セビリアに王城を置くカスティリア王国の若き王ドン・ペドロ1世はその勇猛果敢さと治世における非情なまでの冷酷さで“残酷王”(エル・クルエル)と呼ばれ怖れられた一方、常に公平で峻厳に自らを律し、戦乱で荒廃し混沌とした中世社会を法と秩序をもって正しく導こうともした為“正義王”“審判王”とも讃えられた。

ある時、セビリアの街の治安の悪さを嘆いた王は、とうとう「殺人を犯した者は直ちに捕えて首をはね、見せしめのために殺人現場にその首を晒すこととする」 と命じた。

だがしかし、それから暫く経ったある夜、お忍びで街を見回り歩いていた王はとある街路で、王の素性を知らぬ若い貴族と諍いとなり、これをつい斬り捨ててしまう。

慌てて立ち去る王、しかし街路に面した民家の窓から、老婆がろうそくの灯をかざして一部始終を目撃していた…

怯えた老婆の通報で、事の次第は王にまで伝えられた。
思わぬ王自身の狼藉に驚くセビリア市民たちの前で彼は潔く罪を認め、何と自らの首を現場に晒すことを命じる。

「さあ、これが殺人犯の首だ!国王でさえも法を犯せば首を晒されるのだ!!」

果たして王が殺人を犯した街路には、何と彼の顔を模した石像の首が晒されたのである!
常に公平で自らに対しても厳しい心を持つ王は、自らをも晒し首の刑に処したのだ。ああ王の何という公明正大さと気転と臨機応変さであろう…!!

さすがは正義王、審判王!!セビリア市民は王を讃え、いつしか彼の石像の首が晒された街路はカンディレホ(ろうそくの灯)通りと呼ばれるようになり、セビリアの街の名所となったという…


…いかがでしたか?
現代の考え方からするとちょっと強引というか、かなり突っ込みどころのある話ではありますが、このような説話がセビリアに伝えられているらしいのです。そして、歴史書では“残酷王”扱いのドン・ペドロ1世はセビリアでは“正義王”で、「おらが町の立派な王様」として今なお人気者の地元の歴史ヒーローなんだとか。

僕はこの王様の首の話を、ドン・ペドロ1世の波乱の生涯を描いた青池保子先生の大河歴史漫画「アルカサル-王城-」 を読んで知ったのですが、何とこの「ドン・ペドロの首」の石像は今でもセビリア旧市街の建物の壁に埋め込まれて現存しているとのこと。
これは青池先生のファンとしては是非見たい、見に行かねば!!

…ええ、そうです。
今回はるばるスペインのセビリアまで来たのも、青池先生の「アルカサル-王城-」の作品聖地巡礼が目的の一つだったりするんですよ、実は!(笑)

さて、事前に調べたところ、王様の首があるというカンディレホ通りはどうやら今では「アルファルファ通り」と名を変えているらしい(何で600年経つと「ろうそく」が「もやしサラダ」みたいな名前に変わるのだ…?ホント、歴史はミステリー…)
という訳で、Google Mapsでセビリアのアルファルファ通りを探し出して、周辺の拡大地図をプリントアウト。この地図を見ながら、とにかくアルファルファ通りの周辺を歩き回って見つけてみよう!

王様の首はどこだ~!?



王様の首が埋め込まれていそうな建物の壁を探して、街路を見上げながらアルファルファ通りを歩きまわっていると…こんなものを発見!

シャッターの降りた建物の壁にCABEZA DEL REY DON PEDROと書かれています。
直訳すると、何とそのまんま「ドン・ペドロの首通り」!これは、目指す王様の首は近いぞ!どこにいる、残酷王の正義王!?

ふり返ると…

王様がいた~!!これぞ紛れも無く王様の首!!ドン・ペドロの首、発見!!


…それにしても、王様の言わば苦肉の策で作られた石像なので、やっぱりなんだか困ったような顔をしてるね(笑)
ドン・ペドロは何百年間もここで「やれやれ、困ったもんだね」って顔でセビリアの街角を見つめ続けてきたんだなぁ…


この「ドン・ペドロの首」の石像は、17世紀に胸像に復元されたものだそうですが、
紛れも無くこの場所にドン・ペドロ1世その人が立ち、事件を巻き起こしたのだ…と思うとそれだけで心が14世紀のカスティリア王国の都セビリアにタイムスリップしてしまったような気分になります。
感慨無量…ああ、来てよかった。まさに歴史ロマン!そして無事に王様に会えたことに、旅の幸運に感謝!


…そうそう、カンディレホ通りはカルメンとドン・ホセの最初の逢瀬の舞台 ともなっているそうです。
ドン・ペドロはカルメン達の悲恋の始まりをも、この場所で見守っていたのですね…

街角のちょっとした路地にも、歴史のロマンと愛憎劇が渦巻くセビリア旧市街。
もう午後も遅い時間ですが、夏至も近づく初夏の太陽は、なかなか傾きそうにもありません。
シエスタから目覚めてますます活気づいたような魅惑的な旧市街を、ドン・ペドロに別れを告げてもっと歩いてみることにしましょう。

10:セビリア街歩き サルバドール教会からセビリア大聖堂へに続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 08:セビリア街歩き サンフスタ駅から旧市街へ

2014-05-18 | 旅行記:2014初夏 スペイン
photo:Estación de Sevilla-Santa Justa~セビリア・サンフスタ駅前~


07:Siesta…微睡む南国の古都、セビリアに到着からの続き



僕の泊まっているホテルのあるサンフスタ駅界隈は、セビリアの中心市街地から1.5キロほど北東に離れています。
市街地までは路線バスで行けるそうですが、とにかくよく晴れていて気持ちがいいので歩いて行くことにしました。

サンフスタ駅は、地下に敷設されたスペイン国鉄renfeの線路に覆いかぶさって蓋をするような形で駅舎が建てられています。
駅前のロータリーを渡り、パブロ・ピカソ通り という素晴らしい名前の道路を横切って行くと、地下に潜っている線路を上から覗き込めるようになっている区画に出ました。




さっきマドリッドからセビリアまで乗ってきた超特急AVEのタルゴS112型が停まっています。


奥のトンネルから、近郊線セルカニアスの電車が出てきました。マドリッドのセルカニアスと同じタイプの流線型車輌のようです。
こうして上から見てみると、高速鉄道のAVEの線路と在来線のセルカニアスの線路とでは線路幅(ゲージ)が違うことがよく分かります。
高速鉄道の方が、在来線より線路幅が狭いのです。

これは、かつて19世紀中頃にスペインの鉄道建設が始まった当初、隣国フランスからのナポレオンの侵攻の悪夢が忘れられなかったスペイン人が、ヨーロッパ共通の標準軌(1435mm)で鉄道を敷設してしまうとフランスの鉄道網とつながった線路を使われてスペインへの軍事侵攻を再び許すことになる…と恐れを抱いた為で、結果としてヨーロッパ標準規格とは異なる1668mmの広軌がスペインの鉄道に採用されたと言われています(ただし当時の正確な資料が残されている訳ではないので、都市伝説である可能性もありますが)

ともあれ、結果としてイベリア半島の鉄道はヨーロッパ全体からは切り離された形となってしまい、鉄道による国際直通輸送が阻害されてスペインの経済発展の足を引っ張る要因にもなってしまいました。
これを解決するべく20世紀に入って以降色々な方法が検討されましたが、スペイン全土に広がってしまった広軌の鉄道網を標準軌に改軌することは膨大な予算と大変な工事作業を必要とすることから、線路ではなく列車の車輪の幅の方を変えて直通してしまおうという発想の転換でフリーゲージトレイン機能を備えたタルゴ型客車が開発され、フランスやイタリアとの直通運転を可能としていました。
この構想をさらに推進して、いっその事、将来はTGVやICE等ヨーロッパ各地の高速鉄道網と直結させることを前提としてスペインでも新しい高速鉄道を標準軌で造ってしまおう!と建設されたのがスペインの高速鉄道AVEなのです。

セビリアの街で見かけた、並んで敷かれた幅の異なる線路のある風景。
それはスペインの鉄道の歩んできた歴史、そしてスペイン近代史の縮図そのものなのです。


線路と列車を見おろしながら暫し、スペインの歴史にまで想いを馳せてしまいました。初夏の風薫る南欧の昼下がりは人にものを考えさせ、あれこれ思いを巡らせる効能まであるようです(笑)
そろそろ現実のセビリアの街角に戻り、街歩きを続けましょう。


セビリアは人口約70万人でスペイン第4位の都市であり、イベリア半島南部アンダルシア地方の中心都市です。
古代ローマ帝国時代からの悠久の歴史を持ち、ローマからイスラム、そしてキリスト教圏へと支配者が移り変わった波瀾万丈の歴史の上に成り立った街でもあります。


セビリアの街には、今もローマ時代のものと思しき石造りの建造物の遺構がそこかしこに残り、整備保存されて近代的なビルと共存している風景を見かけます。


サンフスタ駅から西向きに30分ほど歩きました。市街地中心部へと近づき、大通りを渡ると周囲の雰囲気が一変します。
この辺りがセビリアの旧市街の入り口です。

旧市街には、僕が是非見たいと思っていたものがあります。迷路のような細い路地が入り組む旧市街を、迷子にならないように時々ポケットに忍ばせた地図と路地の標識を見比べながら、さぁ路地のもっと奥まで進んでいきましょう!

09:セビリア街歩き 旧市街の「ドン・ペドロの首」に続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 07:Siesta…微睡む南国の古都、セビリアに到着

2014-05-18 | 旅行記:2014初夏 スペイン
photo:Estación de Sevilla-Santa Justa~セビリア・サンフスタ駅にて~


06:高速鉄道でイベリア半島縦断!超特急AVEの旅からの続き


AVE2120号は最高速度300キロで快調にイベリア半島を南下していきます。
超低重心で一軸車輪の連接構造というタルゴ客車の乗り心地も、たまにカーブで強い振動を感じることはありますが概ね快適そのもの。
かつては在来線の特急列車で6時間もかかっていたというマドリッドからセビリアまでを、わずか2時間半で走破します!



車窓に背の低い木々に覆われたうねるような丘陵が現れ、やがて都市郊外の田園風景が見えてくると、もうすぐ終着駅のセビリアに到着です。





正午ちょうどに発車したマドリッドからの472キロを、途中コルドバにのみ停車する速達ダイヤで駆け抜けたAVE2120号は、所定時刻より10分ほど早い午後2時20分頃、終着駅のセビリア・サンフスタ駅に到着しました。

AVEは運行ダイヤの正確さ・時間厳守がセールスポイントの一つで、駅への到着が所定時刻より遅れると特急料金の払い戻しがあると聞いていましたが、遅れるどころか早着してしまいましたね(笑)
もっとも、実際にはAVEのダイヤ設定はかなり余裕を持たせたもので、よっぽどのことがない限り列車は遅れることは無く、むしろ今回のように早着することが当たり前になっているらしい…という話も聞きますが。


サンフスタ駅には、各方面へと発着するAVEの車輌がずらりと並んで勢揃いしています。
僕がここまで乗ってきた「あひる」顔のタルゴS112型の隣には、フランスの超高速列車TGVをベースにしたS100型が停車していました。

S100型はAVEが開業した当初から使用されている初代AVE車輌で、本来は角張っているTGVを丸っこくしたようなAVEオリジナルのデザインに仕上げられた車体は宮脇俊三先生も「その格好のよいこと!」「車体の丸みに優しさがあり、愛くるしい。」 と賞賛されています(ヨーロッパ鉄道紀行/新潮文庫より引用)
確かにこうして「あひる」と並んでいる姿を見ると、まるで九州新幹線の「かものはし」N700系と端正な和風美人の800系「つばめ型」が並んでいるようで、その風貌の善し悪しは一目瞭然…と言ってしまうとS112型とN700系の両方に失礼過ぎるかな?

←サンフスタ駅に並ぶAVE達の姿を、パノラマ撮影してみました。
サムネイルをクリックすると大きな写真が表示されますので、是非サンフスタ駅の壮観な眺めをお楽しみ下さい。



サンフスタ駅には、アトーチャ駅のように高速鉄道専用の入り口や搭乗ゲート等は設置されておらず、高速鉄道と在来線とが同じ駅構内のプラットホームに並んで配置されています。
高速鉄道の乗客の手荷物検査やチェックインは、AVEが乗り付けるホーム上で乗車直前に行われるシステムとなっているようです。





さあ、サンフスタ駅からセビリアの街に出ましょう!
駅を出て歩き始めて、最初に感じたことは…
「ああ、なんて気持ちがいいんだろう!何だか…歩いていても眠ってしまいそうだ」
そうなのです、初夏を迎えた南欧アンダルシアの昼下がりの街を吹き抜ける風の、何と薫り高く何と心地よいこと!

空は晴れ渡って太陽が強く輝いていますが陽射しはどこか優しげで、街路樹の下の木陰を歩いていると木漏れ日が眠気を誘います。
午後2時半のセビリアは、ちょうどシエスタ(午睡)の時間。
真昼の光りに包まれながらもどこか深い眠りに包まれたような街並みを歩いていると、シエスタの習慣のない日本人の僕もいつの間にか恍惚としてきて夢見心地になってしまうのでした…



心地よい木漏れ日の下をもっと歩いていたかったのですが、サンフスタ駅から大通りを越えて二百メートルも歩くとセビリアでの宿となるAyre Hotel Sevillaに到着。駅から徒歩5分、といったところでしょうか。
僕の部屋からは、さっき着いたばかりの駅が見えますが、残念ながら線路は地下に潜っている構造なので、列車の姿が見えるトレインビューの部屋という訳ではありませんが。



なかなか豪華な部屋ですが、デスクの電気スタンドがなぜか点灯しないので調べてみると、何のことは無い電源ケーブルがコンセントにつながっていないじゃないの(苦笑)
デスク周りにはコンセント自体が見当たらないし、何というか…ああ、これがスペインの流儀だなぁ、と(笑)


バスルームも清潔で気持ち良いのですが、ああ、残念な事にシャワーだけでバスタブが無い…
乾燥した土地を旅してきたし、今夜こそお湯たっぷりのお風呂に浸かりたかったのに、残念!


でも何故か、「ビデ」はしっかり設置されています。これもスペインの流儀?(笑)


チェックインの時、「ミニバーの中身はホテルからゲストへのギフトサービスだから無料で飲んでいいよ!」と説明されていたので、わくわくしながら冷蔵庫の扉を開けてみるとミネラルウォーターの小瓶が入っていました。
これは何気に嬉しい、気の利いたサービスですね。
ホテルの部屋の検分は済ませたので、早速サービスのミネラルウォーターを持ってセビリアの街に繰り出しましょう!

08:セビリア街歩き サンフスタ駅から旧市街へに続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 06:高速鉄道でイベリア半島縦断!超特急AVEの旅

2014-05-16 | 旅行記:2014初夏 スペイン
photo:Estación de Madrid-Puerta de Atocha~アトーチャ駅高速鉄道プラットホーム~


05:マドリッド・アトーチャ駅は大熱帯植物園からの続き


マドリッド・アトーチャ駅の高速鉄道乗り場は、近郊線セルカニアスや在来線の改札口とは別に駅上層階に専用の入り口があります。
高速鉄道の乗客は皆、入り口に入る際に係員にチケットとID(身分証明書)を見せてから手荷物検査場を通る必要があり、空港の搭乗ゲートと全く同じ雰囲気です。
こんなに厳重な警備を行っている高速鉄道は世界的にも珍しいのではないでしょうか。スペイン政府の高速鉄道に対する安全対策への力の入れようが感じられます。


手荷物検査を済ませてコンコースまで進むと、これまた空港と同じような搭乗案内(いや、乗車案内だな)が表示されたモニターが並んでいます。
発車の30分ほど前になると乗車する列車の乗り場番号がモニターに表示されるので、それまでは乗客はプラットホームに進むことは出来ずコンコース内の待合コーナーで待つというシステムです。

さて、僕がこれから乗るアトーチャ駅を正午発のセビリア・サンフスタ駅行きAVE2120号の発車までは小一時間ほどあるので、乗車案内にはまだ乗り場番号が表示されていません。暫し待つとしましょう。
でも、実はこの乗車待ち時間も楽しみの一つなのです。何故なら…

駅コンコースの雑踏とは隔絶された、静かで優雅な空間。
スペイン国鉄renfe が高速鉄道の1等車を利用する乗客の為に用意した駅のVIPラウンジSala Clubです!
僕は1等車に乗れる乗り放題きっぷのユーレイルパスを持っているので、こんな素敵なラウンジを何と無料で使うことが出来ます。これは乗車する前から嬉しいサービス!凄いぞ、スペイン国鉄renfe。

Sala Clubでスナックをつまみながらコーヒーを飲んでいるうちに、AVE2120号の発車30分前になり乗車案内のモニターに乗り場の表示が出ました。
居心地の良いSala Clubでもうちょっと寛ぎたい気分ですが、AVEとの初対面をじっくり味わいたいので早めにプラットホームに向かうことにしましょう。

搭乗ゲートでチケットを係員に渡してバーコードを読み取って貰い、搭乗手続きを完了させるとやっとAVEの待つプラットホームに行くことが許可されます。
エスカレーターで薄暗い高速列車プラットホームに降りて行くと…いました、スペインが誇る超特急AVE です!



AVEには現在、3タイプ4種類の車輌が使われているようですが、これは最新鋭のS112型のようです。
空気抵抗を減らすべく独特の形状になった先頭車は地元スペインでは「あひる」と呼ばれているそうですが、どことなく「かものはし」に似た日本のN700系新幹線を連想させますね。ちなみに高速鉄道のAVEという名称も、「スペインの・高速の」という意味であるAlta Velocidad Españolaという言葉の頭文字を並べてスペイン語で鳥という意味である単語Aveに当てはめた一種の言葉遊びとなっていますが、「あひる」だと少々可愛らしすぎて、俊敏に羽ばたくスピード感に欠けますね(笑)
セビリアへの出発を待つ「あひる」は、プラットホームでおじさんに顔を洗ってもらっています。駅での停車中の車体清掃は日本でも名鉄特急などで見かけたことがありますが、きれいな列車で乗客に快適に旅してもらおうという鉄道会社の心遣いと、同時に車輌への愛着を感じさせて気持ちのいい光景です。

まだ発車まで少し時間があるので、これから乗る列車の車輌を1輌ずつ眺めながら端から端まで見て歩きます。
S112型はアヒル顔の機関車が先頭と最後尾の両端に連結され、客車を機関車で挟んで走るプッシュプルスタイルの編成となっています。
中間に挟まれた客車は、スペイン独自のタルゴTalgoと呼ばれるもので、屋根が低くて車体長も短い小さな車体で車輪もトロッコのような一軸車輪という実に独特なもの。ちょっと見た目がおもちゃの「プラレール」を連想させ何ともユーモラスですが、重心が低くて走行が安定しておりカーブにも強いという特徴があり高速走行に向いています。実は大変な実力を備えた、スポーツカーのような車輌なのです。

タルゴに見入って歩いているうちに、編成の反対側の先頭車まで来てしまいました。
乗務前にプラットホームで一服していた運転士に「旦那、この先は客車は無いぜ?」というような事を言われたので、カメラを持って「写真を撮りたいんだ!photo!」と応えるとニヤリと笑って「おう、撮れ撮れ!」と言ってくれたのが嬉しい。

反対側の機関車でも、やっぱり車体清掃をしていました。





随分念入りに洗っています。乾いて埃っぽいラ・マンチャの大地を時速300キロでぶっ飛ばして来るので、砂埃汚れが酷いようです。

掃除のおじさんに敬意を感じつつ、車内へ入りましょう。
僕が乗るのはPriferenteと呼ばれる1等車、横3列のゆったりした革張りシートが並び快適そのもの。



そして僕のために用意された指定席は、一人旅には最適の1人掛けシート!
これでセビリアまでの道中、誰にも気兼ねすること無く鉄道の旅を楽しめます。
(毎回、一番居心地のいい座席を日本から狙い撃ちして予約してくれるヨーロッパ鉄道チケットセンターさん、グッジョブ!)

車内の時計の表示が12:00になるのと同時にデッキのドアが締まりました。
まさに時報通りの正確さで、AVE2120号はマドリッド・アトーチャ駅を発車!






発車後、乗客にはヘッドフォンが配られます。座席にはオーディオ装置が標準装備で、車内天井に取り付けられたモニターでは映画の上映サービスも始まりました(この時は「ゼロ・グラビティ」をやっていました。まさかスペインの列車内でISSやソユーズや天宮のハチャメチャSFを見ることになるとは…(笑))
AVEは駅も空港のようでしたが、車内サービスも飛行機と同じです。まさに、イベリア半島を駆け抜ける地上のジェット旅客機!

マドリッドの市街地を抜けた列車は、すぐに広大な平原に出てぐんぐん加速していきます。



乾燥した荒野が広がる光景。
世界中の誰もが知るドン・キホーテとサンチョ・パンサが彷徨った(そして青池保子著「アルカサル-王城-」の愛読者である僕にとってはドン・ペドロとエンリケ・デ・トラスタマラが王位を巡り死闘を演じ続けた)、ラ・マンチャの大平原です。
「ああ、とうとう僕はスペインにやって来たぞ!」 と実感させてくれる眺めです。

時速300キロで流れ去るAVEの車窓は刻々と移り変わっていきます。
乾ききった荒野が果てると、緑豊かな草原地帯が現れました。



どことなく、懐かしのWindows XPのデフォルト壁紙を彷彿とさせる風景。
はて、あれはスペインで撮影されたんだったっけ…?(※実際にはカリフォルニアで撮影されたと言われているそうです)

アンダルシアが近づいてくると、車窓がまた変化。
赤茶けた土地にオリーブ畑が延々と続く風景は、地中海が近いことを教えてくれます。




07:Siesta…微睡む南国の古都、セビリアに到着に続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 05:マドリッド・アトーチャ駅は大熱帯植物園

2014-05-13 | 旅行記:2014初夏 スペイン
photo:Estación de Atocha アトーチャ駅植物園


04:エールフランスAF1400便でピレネー越え。スペイン到着!からの続き

2014年4月27日

スペインで過ごす最初の日の朝です。おはようございます、Buenas dias!

今日は朝8時にホテルをチェックアウトしたら、そのままホテルの送迎バスで空港まで送ってもらいます。
昨夜降り立ったばかりのマドリッド・バラハス国際空港の、国際長距離路線が発着する一番大きな第4ターミナルまで行くとスペイン国鉄renfe のセルカニアス(マドリッド近郊線)の空港駅があるので、先ずはここで日本で手配しておいたヨーロッパ鉄道乗り放題きっぷ「ユーレイルパス」をバリデード(使用開始手続き)します。天下御免の乗り放題きっぷも、公式な使用開始の手続きを取らないと無効のただの紙切れなので、ユーレイルパスのバリデードは旅の始まりの大事な“儀式”です。

空港にある近郊線駅でのユーレイルパスのバリデードと言えば、以前ウィーンのシュヴェヒャート国際空港にあるオーストリア連邦鉄道の駅でバリデードを試みたところ何と空港駅は無人駅で、結局いったん自腹で近郊線のきっぷを買ってから市内の大きな駅まで行って、改めて窓口でバリデードしてもらうといった事がありましたが(→Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 3:Wien Westbahnhof ウィーン西駅からの旅立ち、幸いにもバラハス国際空港の空港駅はちゃんと英語も通じる職員が常駐している窓口があり、無記入のユーレイルパスとパスポートを手渡すと問題なくバリデード完了。

これで僕のユーレイルパス、ユーレイルスペインパス(フレキシー) は今日から3回分使えるようになりました!

…しかし、バリデードが済んでも安心してはいけません。
最近ユーレイルパスは利用規定が厳しくなり、何と乗車する列車の区間を一々パスホルダーにレポートとして記入しなくてはいけなくなっているのです。もしレポートを未記入のまま乗っていることが乗務員に見つかれば、例えバリデードしてあろうがお構いなしに「罰金」として幾らかの現金をその場で巻き上げられ…もとい徴収されてしまうというから恐ろしい!
という訳で、空港駅の窓口で返してもらったユーレイルパスのホルダーにその場でこれから乗車する予定のマドリッド発セビリア行き高速列車AVEのレポートを記入。同時に、今日の日付も記入します(以前、これを忘れて痛い目にあった事がありますからね…同じ失敗は繰り返せない(笑)→Muses Europa Eisenbahn 2012-2013中欧鉄道音楽紀行 8:Hungaria Express 国際列車ハンガリア号の旅
「あっ、そうだ。僕、今からセルカニアス(近郊線)に乗って市内のアトーチャ駅まで行くんだけど、それもレポートに書かなくちゃいけないの?」と窓口のお兄さんに聞くと「セルカニアスは書かなくていいよ。はい、これ自動改札通るためのきっぷ」と、市内駅までの近郊線のきっぷもくれました。なかなか手際が良くて親切なスペイン国鉄の駅員さんです。ついでに、5月1日のマドリッド―バレンシア間往復のAVE指定席券(ユーレイルパス所持者特典の割引きっぷ)も購入して、これで鉄道旅行の準備は完了!


ただでもらったきっぷで空港駅の自動改札を通ってセルカニアスの乗り場まで行くと、すぐに市内方面行きの近郊電車がプラットホームにやって来ました。
流線型のデザインで、近郊電車とはいえカッコいいですね!


ちなみにセルカニアスの隣にはメトロ(地下鉄)の駅もあります。
メトロの車輌も流線型ですね、スペインの鉄道は流線型が好きなのかな?


セルカニアスの車内はまだ朝早いせいかガラ空きでした。スペインの公共交通機関は治安が良くないと聞いていたので、「誰も乗っていないなら、悪い奴に襲われようもないよな!」 と一安心。


空港駅から市内までは、郊外の工業地帯や操車場などが続く素っ気ない風景の中を走ります。
せっかくの流線型車輌なのに、走る速度はのんびりです。


空港から10分ちょっとで、マドリッド市内の中央駅の一つであるチャマルティン駅に到着。
マドリッド市内の北側にあり、かつてはフランス方面へと向かう国際列車が発着してマドリッドの表玄関として華やいでいた駅だそうですが、その後開通した高速鉄道のメインターミナル機能が市内南側にあるアトーチャ駅に移ってしまったので、現在は国内線ローカル列車が主に発着しているそうです。


そしてチャマルティン駅から約10分ちょっとで、マドリッドの現在の表玄関であるアトーチャ駅に到着!
僕も今日は、このアトーチャ駅から高速列車AVEに乗って出発します。旅が始まる駅です。



アトーチャ駅の近郊線発着プラットホームは長距離列車も共用しているようで、近郊線以外にも長距離運転の優等列車の姿を見かけます。
僕が空港から乗ってきたセルカニアスの流線型電車の隣に、なんだか見覚えのあるゴツイ列車を発見!

先頭車の前面がゴムのダンパーで覆われたこの異様な風貌の車輌…
北欧デンマーク製の高速気動車特急「IC3」のそっくりさんです!
スペインでは地元でライセンス生産された同型が非電化のローカル線を走る快速列車用に投入されており、振り子機能やフリーゲージトレインの機能まで追加された高性能ディーゼルカーとして活躍している模様。

何だかこのままスペインのIC3に乗って地方の非電化区間まで行きたくなってしまいましたが、今日これから乗る列車は駅上層階の高速鉄道乗り場で待っています。
個性的なスペインの列車たちに別れを告げて、近郊線改札口の先へと進んでいきます…
おっと!もう周辺は結構な人だかりです。治安が悪いというスペインの駅、所持品を奪われないように気を引き締めて、気合を入れて行きましょう!!


…と気合を入れてアトーチャ駅の近郊線改札口を出て歩いていたら、何故かそのまま駅の外に出てしまいました(笑)
我ながら気合入ってんだかボケっとしてるんだか分かりませんが、まだ時間はあるしせっかくなのでアトーチャ駅の建物を外から眺めてみることにします。
アトーチャ駅は小さな窪地に埋もれるように建てられていて、小高い丘の上に登って行くと駅舎の全景を見下ろして眺めることが出来ました。


「うわ~、アトーチャ駅ってカッコいいなぁ!!」
巨大なドーム天井を重厚なファサードが支える、ヨーロッパのターミナル駅らしい様式を備えた荘厳で素晴らしい駅舎です!

そして、駅舎の正面玄関をくぐってドーム内に入ると、さらに素晴らしい光景が…!


大ドームの下にあるのはプラットホームではなく、何と生い茂る熱帯植物!!
アトーチャ駅は駅構内に、熱帯植物園があるのです。何という贅沢な駅でしょう!

鉄道紀行作家の宮脇俊三先生は今からちょうど19年前の1995年5月にこのアトーチャ駅を訪れ、
「真新しいガラス張りの大ドームの下には、さまざまな木や草が植えられ、花も咲いて熱帯植物園のようだ。なぜ駅にこんなものをと思うが、あの陰鬱だったアトーチャ駅を回想すれば、祝福したい気持になる。」 と書かれています(ヨーロッパ鉄道紀行/新潮文庫より引用)

かつて、高速鉄道が開業する以前のアトーチャ駅はスペイン南部の各地方都市からの国内列車が発着する鄙びたターミナル駅で、宮脇先生によると「スペイン南部の貧しさが伝わってくる」 ような陰惨な雰囲気漂う駅だったそうなのですが、1992年にスペイン南部アンダルシア地方の中心都市セビリアで開催された万国博覧会に合わせて開業したスペインの高速鉄道AVEが乗り入れる大ターミナルとして大改造され、陰鬱だったという旧駅舎の大ドームも熱帯の花咲く大植物園へと大胆華麗に生まれ変わったのです。

それにしても、アンダルシアといえば煌めく陽光と薫る地中海の風、そしてカルメンの情熱と壮麗なる王城アルカサル…といったやたら明るいイメージを抱いていたのですが、つい数十年前までスペインは独裁者フランコ将軍に支配された暗く貧しい軍事独裁時代があったのですね…

さて現在、独裁者は死に、民主化を成し遂げ、万博とオリンピックも開催し国際社会で飛躍する現代のスペインの南部アンダルシアはどんなところなんだろう。
宮脇先生も嘆くほど貧しかったというスペイン南部は、今はどうなっているのでしょうか。

今から、高速鉄道に乗ってそれを見に行きます。さぁ、そろそろチェックインの時間です。
ラ・マンチャの乾いた大地を砂塵を巻き上げながら時速300キロで疾走する超高速列車AVEに乗って、セビリアを目指しスペインを一路南下する鉄路の旅が始まります!



06:高速鉄道でイベリア半島縦断!超特急AVEの旅に続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 04:エールフランスAF1400便でピレネー越え。スペイン到着!

2014-05-11 | 旅行記:2014初夏 スペイン
photo:夕暮れのシャルル・ド・ゴール空港2Fターミナル


03:エールフランスAF275便で空の旅、エコノミークラスの機内食からの続き

シャルル・ド・ゴール空港では約3時間の乗り換え待ちで、マドリッド行きのエールフランス欧州線に乗り継ぎます。
サマータイムが始まり夏至も近いこの時期、パリの夕陽はなかなか沈みません。空港ターミナルの大天井が夕映えで美しく染まるのを眺めながら、午後8時半発の乗り継ぎ便の搭乗時刻を待ちます。


空港がようやく薄闇に包まれ始めた頃、目的地スペインまでの旅の最終区間を飛ぶシャルル・ド・ゴール発マドリッド・バラハス国際空港行きエールフランスAF1400便、エアバスA320-100に乗り込みます。
フランスとスペインの首都空港同士を結ぶ国際線の便ですが小型機が使用されており、乗客も学生のスポーツチームや修学旅行(ヨーロッパの学校にもあるのかな…?)のような子どもたちの団体が乗り込んでいて、まるで高速バスのような気軽な雰囲気。僕と同じように日本発のエールフランス便から乗り継いだと思しき日本人団体ツアー客も乗っていたようです。


さようならパリ。もっと乗り換え時間があれば、市内まで散歩に行ったり出来たんだけどね。




パリからマドリッドまでの所要時間は約2時間。実際に飛んでいる時間は1時間少々で、感覚としては羽田から九州まで飛ぶ国内線のようです。
短い飛行時間ですが、ちゃんと機内食のスナックが出ます。

小さなサンドイッチを食べているうちに、AF1400便はピレネーを越えてアフリカへ…といきたいところですが、西ヨーロッパもすっかり陽が沈んでしまい窓の下にそびえている筈の山脈を見ることは出来ませんでした。


すっかり夜も更けた午後11時過ぎ、マドリッド・バラハス国際空港第2ターミナルに到着!

「ああ~やっと着いた!やっぱりヨーロッパの西の果ての国は遠いなぁ!!」

ターミナルビルの前にホテルの送迎バス乗り場を発見したので、ここで今夜の宿泊先となるホテルのバスが来るのを待ちます。
バス乗り場には時刻表も何も無く、ただホテル名が列記された看板が立っているだけなので果たして本当に迎えのバスが来てくれるのか心配でしたが、15分ほどで無事にホテルのロゴが書かれたミニバンがやって来ました。


日付が替わる頃、今夜のベッドが待つ部屋に到着。
真夜中近くの到着だったのでマドリッド市内までは出ずに、空港近くのHotel ibis Madrid Aeropuerto Barajasに泊まりました。
空港ホテルはわりと値段が安いのと、アメリカンスタイルの近代的なビジネスホテルが多いので、超長距離移動後で疲れている時は重宝します。


でも残念ながら、バスルームはシャワーブースのみでバスタブは無し。
熱いお湯をたっぷり張った風呂に入ってエコノミークラスでこわばった身体を伸ばしたかったのですが、せめてシャワーを念入りに浴びて疲れを流し去ります。
後はさっさと寝て、明日からのスペインでの日々に備えるとしましょう。

おやすみなさい。Buenas noches…



05:マドリッド・アトーチャ駅は大熱帯植物園に続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 03:エールフランスAF275便で空の旅、エコノミークラスの機内食

2014-05-10 | 旅行記:2014初夏 スペイン
photo:AF275便、ヨーロッパに到達


02:ヨーロッパへ!エールフランスAF275便…だが、しかし。からの続き



成田離陸から1時間程経過し、早くも日本の領空を離れようとするAF275便機内ではシートベルト着用サインも消え、地上10000メートルの巡航高度に到達して水平飛行となりウェルカムドリンクのサービスが始まります。


エールフランス機内ではエコノミークラスでもフランスワインやシャンパンが飲めるようですが、2020年のはやぶさ2地球帰還まで断酒の誓いを立てている僕はグッと我慢してソフトドリンク。
隣席から漂ってくる芳醇な薫りを嗅ぎながらオレンジジュースとクラッカーをいただきます。


機内食のメニューカードが配られました。
さて、“美食の国”フランスの飛行機ではどんな機内食を食べさせてくれるのかな…

1回目の機内食(昼食)は肉料理と魚料理から選べるようです。メニューを見ながらあれこれ考えて、魚料理をもらうことにしました。




こちらがエールフランスのエコノミークラス機内食(昼食)、魚料理「舌平目の雲丹ソース添え」。和食です。
高級食材の舌平目とは、さすがフランス!(笑)
でも思ったよりシンプルな内容です。量も控えめで、若い旅行者は物足りないかも。


そして何と、温かい味噌汁も配られました。
残念ながら具無しで「味噌スープ」といった感じでしたが、せめて豆腐かわかめが入っていればもっと嬉しかったかも。
ともあれ、これから暫く日本を離れる身には嬉しいサービスです。

食事を終えたら、後はもう特にやることがありません。
消灯され暗くなった機内では一眠りする人が大半ですが、僕は超長距離フライトでは敢えて眠らず到着後に一気にぐっすり眠ることで時差ボケを最小限に抑えこむ手法を使うことにしているので、シートモニターで映画を見たりパズルゲームをしたりして過ごします。
長編作品を4~5本も見ればもう飛行機はシベリアを飛び越え、ヨーロッパに到達しています。


パリに到着する1時間半程前、2回目の機内食(夕食)が出されます。



夕食は選択無しの1種類、カサレッチェパスタのクリームソースでした。
こちらも美味しかったけれど、せっかくパルメザンチーズがかかっているのに冷めた状態だったのが残念。

到着前の食事を終えたら、パリに向かってどんどん高度を下げて行きます。
今日は西ヨーロッパも青空に白雲が浮かぶいい天気だったようです。


2014年4月26日午後5時半(現地時刻)、成田から約11時間半かけて、でも時計の上ではわずか6時間足らずでAF275便はフランスの首都パリの空の玄関シャルル・ド・ゴール空港に到着しました。





今日はお疲れ様、エールフランスのボーイングB777-300ER。
本当はエアバスA380に乗りたかったけれど、サンフランシスコで飛べなくなったA380の代わりに東京まで救援に駆けつけてくれたおかげで助かったよ!




シャルル・ド・ゴール空港では僕が日本人と見ると怪しい日本語で「隣の客はよく柿食う客だ」 「かえるピョコピョコみピョコピョコ」 と笑顔で話しかけてくる親日家?の空港職員に出迎えられ、EU域内への入国審査を済ませてから、スペイン行きの便へと乗り継ぎます。
ヨーロッパに着きましたが、目的地はまだ先。フランスからピレネー山脈を越えた先へと、旅は続きます。

04:エールフランスAF1400便でピレネー越え。スペイン到着!に続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 02:ヨーロッパへ!エールフランスAF275便…だが、しかし。

2014-05-10 | 旅行記:2014初夏 スペイン
photo:成田空港第1ターミナル北ウイング第1サテライト14番ゲート


01:出発、福岡から成田へからの続き

JAL3052(AF8018)便で成田空港第2ターミナルに到着後、エールフランスのチェックインカウンターがある第1ターミナルに移動してパリ行きのAF275便にチェックイン。

タッチパネル式の自動チェックイン機にEチケットの予約番号を入力すれば問題なくチェックイン完了…したのですが、どういう訳だが事前に座席指定していたのと違う席番号で搭乗券が発券されてしまいました。
エールフランスの地上係員さんに事情を話すと
「申し訳ありません、本日275便は機材変更で別の機種の飛行機になってしまいまして、その関係でお客様の座席番号が変更されているようです。」
ええ~!?何だって~!?

何で僕がこんなに驚いたのかと言うと…
実はこれから搭乗するエールフランスAF275便は、ジャンボジェットよりも大きいことで話題となった新しい世界最大の総2階建て超大型旅客機エアバスA380で運航される予定の便だったからです。
僕はまだA380に乗ったことが無かったので、今回の旅の楽しみの一つがこのAF275便でのA380初体験だったのに…
その為に気合を入れて、半年前に航空券を予約した時に同時に、ごく僅かな席数のみ設定されているエコノミークラスの2階席を座席指定しておいたというのに…

ああ、なんてこったい…A380の象徴とも言うべきアッパーデッキで豪勢にパリに旅立つ筈が…


出発前にすっかり落胆してしまいましたが、出国審査場を通り抜けてAF275便の搭乗ゲートに行ってみると果たして総2階建ての巨大機ではなくシンプルな中型機ボーイングB777の姿が。

搭乗ゲートのエールフランス職員さんに聞いてみたところ、今日成田まで飛んで来る筈だったA380の機材が前の寄港地であるサンフランシスコ空港で何らかの技術的トラブルを起こしてしまい、そのまま飛べなくなってしまって足止めされ修理を行っているとのこと。
このB777は、飛べなくなったA380の代わりに急遽パリから東京まで駆けつけてくれたようです。
A380に乗れなくなったのは残念ですが、B777が助けに来てくれたおかげで予定が変更されること無く無事にヨーロッパへと旅立てるのは有り難いこと。気持ちを切り替えて、楽しく旅立つことにしましょう!
(それにしても僕は無事にチェックイン出来て搭乗券が発券されたから良かったけど、A380に比べたらB777の総定員数はかなり少ない筈だから座席が足りなくて今日乗れなくなった人もいたんじゃないかなぁ…ちょっと気になる)

機材変更されたにも関わらず特に混乱もなく乗客の搭乗も終わり、滑走路脇で暫く待たされましたがお昼頃にはAF275便は成田空港を離陸。

そして今回も、Twitter宇宙クラスタ航空写真部の精鋭カメラマンさん達に僕の乗ったB777を地上から撮影して頂きました!

こちらは、成田離陸の様子を撮影して下さったLeonaさんの作品。





誘導路をタキシングしてから滑走路を駆け抜け飛び立つまでの様子が捉えられています。凄い迫力!

そしてこちらは、成田離陸後どんどん上昇していく機体を取手市付近から狙い撃ちして下さったあつ志さんの作品。

高度を上げてぐんぐん飛び去っていく機体を見事に狙い撮りされています。青空に白い機体が映えて美しい!

素晴らしい写真をありがとうございました!!

さて、地上からカメラに見送られて飛び立ったAF275便の機内では、巡航高度に達する頃にはすっかりリラックス気分。


エールフランスのエコノミークラス座席のシートモニターは、横にリモコンが埋め込まれているのでちょっと画面が小さいかな。

AF275便は成田から太平洋に向かって飛び立ち、海の上で旋回して関東に再上陸後、JR上越線に沿うように日本上空を北上していきます。


やがて翼の下には、残雪を戴いた上越国境の山並みが…





新潟上空から佐渡ヶ島方面へと向かって日本海へと抜けて、AF275便は日本に別れを告げ一路ヨーロッパへと向かいます。
延々と続くシベリアを飛び越える、長い長いユーラシア大陸横断の旅路の始まりです。



03:エールフランスAF275便で空の旅、エコノミークラスの機内食に続く

2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行 01:出発、福岡から成田へ

2014-05-09 | 旅行記:2014初夏 スペイン
photo:日本の海と空を往く翼


今年のゴールデンウィークの旅先は、南欧スペイン。
ヨーロッパには何度も旅していますが、イベリア半島にまで足を伸ばすのはこれが初めてです。
僕が初めて見た南ヨーロッパの煌めく風景と、そこで出会った音楽と藝術の薫りを、時速300キロで疾走する超高速鉄道でつないで辿るスペインの旅の記憶に、暫しお付き合いを…



2014初夏・スペイン鉄道音楽美術紀行

天燈茶房亭主mitsuto1976 拝


2014年4月25日

…旅の始まりは、日本が誇る高速列車・新幹線で先ずは福岡へ。


ゴールデンウィークの連休前最終出勤日に、仕事を終えてからすぐに九州新幹線に乗って出発です。
この夜は、博多駅前のビジネスホテルで前泊。しっかりと睡眠をとって、明日の長時間フライトに備えます。

2014年4月26日

朝一番の地下鉄で福岡空港へ向かい、成田空港行きの早朝便にチェックインします。


福岡空港07:20発、成田行きJAL3052便、ボーイングB737-800。
成田空港で国際線の各路線へと接続する設定の便なので、JALと提携する各国の航空会社とのコードシェア便となっています。僕の手許の搭乗券にもエールフランスの便名であるAF8018便との記載があり、純然たる国内路線なのに何とも国際的な独特の雰囲気の漂う便です。
機内にも、成田から乗り継いで母国へと向かうと思しき外国人乗客の姿がちらほら…





福岡空港を飛び立ったJAL3052便(僕のチケットではAF8018便扱いですが)は、福岡市南部で旋回して九州を横断し四国へ抜ける航路で一路、成田へ。


JALのB737-800には、国内線エコノミークラスの座席にもシートモニターが装備されているんですね。
でも、さすがに飛行時間が短い国内線では映画の上映サービスはやっていませんでしたが。
なので飛行中はずっと、ルートマップを見ていました。今日は四国から紀伊半島の南端をかすめて、そのまま太平洋の上空を飛んで行くようです。


左舷窓側の僕の席からは、太平洋の向こうに本州の海岸線と、その上に広がる空を眺めることが出来ます。
日本の海と空もこれで見納め、暫しの別れです。


でも、よく見ると太平洋には赤潮が…
気温が高くなってきたせいでしょうか。ちょっと悲しい海との別れとなってしまいました。

成田空港に到着したら、国際線に乗り換え。今度こそ正真正銘のエールフランスの飛行機に乗り込んで日本を後にします。

02:ヨーロッパへ!エールフランスAF275便…だが、しかし。に続く