夏休みの台湾旅行の記録をまとめてみました。

2006.08.12
昼過ぎにエバー航空2105便で台北・桃園空港到着
桃園客運バスで台鉄桃園駅へ
桃園から1027次「自強号」(上写真)に乗車。
イギリス製の古めかしい「釣り掛け電車」。地元では親しみを込めて?「英国婆」と呼ばれているらしい。
でもこの婆さん、元気にモーターを唸らせてぶっ飛ばす。
この日は北回帰線直下の街嘉義の駅前の旅社に1泊。旅社のおばさんは日本語が達者。
フロントの横でカメやメダカをバケツに入れて遊んでいた女の子は日本在住の親戚の子で、福岡の春日市から遊びに来てるとのこと。
嘉義駅で明日朝9時発の阿里山行きの特快の切符を入手しておく。
いよいよ明日は世界三大登山鉄道の一つ阿里山森林鐡路に乗れる。

2006.08.13
朝から阿里山森林鐡路に乗車。嘉義発阿里山行特快「阿里山号」。
日本製の小さなディーゼル機関車がマッチ箱みたいなこれまた小さい客車を押して山を登っていく。
しかし、後藤新平さんもよくこんな物凄いところに線路を敷いたものだと感心する。本当に登山道をそのまま列車が登っていくような感じ。
3時間半、ループにスイッチバックを繰り返し列車の山登りを堪能して阿里山仮駅に到着。

麓の嘉義は蒸し暑かったのに阿里山は霧がたなびいて肌寒い。
この付近は1999年の台湾大地震の影響で森林鐡路もダメージを受けており、阿里山号も山頂までは行かず手前の仮駅で終着となる。
一般の乗客はここでホテルにチェックインして明日の朝の御来光を見るというパターンだが、
僕は御来光を拝みに来た訳ではないのですぐに午後の下山列車で引き返す。

仮駅横の車庫で蒸気機関車を発見!
阿里山名物の珍しい直角ギア式駆動「シェイ式機関車」だ。
近くでよく見ると石油(重油?)を焚いて走れるように改造されている。
いつでも走り出せそうにきれいに整備されているので、イベント時には走るのだろう。
麓に降りて、台南に移動。駅前のホテルを値切り倒してチェックイン。
値切り過ぎたせいで従業員仮眠室みたいな部屋に押し込まれてしまった。

2006.08.14
台南から高雄に移動。高雄で列車を乗り換え、台湾鉄道最南端部のその名も南廻線へと乗り入れる。
南廻線の枋寮から先の台東までは台湾でも一番の閑散区間。ここを1日2往復だけ走る「平快車(上写真)」に乗車。
平快(ピンクァイ)!この蒼い列車に乗るだけでも台湾に来た甲斐があるというものだ。
藍色白帯の平快車は日本製の旧型客車。日本では既に失われた「旧き佳き鈍行列車のかほり」をプンプン漂わせた昭和浪漫を纏った古豪達なのだ。

平快車は台湾南部の険しく美しい海岸線を疾走していく。
「旧き佳き鈍行列車」なので走行中も当然デッキのドアは開けっ放し!
台湾の大自然を全身に風を受けながら実感できる、嬉しい列車なのだ。
最後部のデッキで風景を堪能していると、乗り合わせた台湾人旅行者に声をかけられた。
鄭さんという台中在住の青年で、僕と同い年ということもありすぐに意気投合。
台東で彼の友人と一緒に食事にと誘われた。

台東大学の女子大生という鄭さんの友人と一緒に、大学近くの学生街で食事。
台湾名物の「タピオカミルク」(上写真)や不思議な「ヤクルト茶」を飲んですっかりいい気分。
鄭さんは食事代をどうしても受け取ろうとしない。
精一杯の感謝の気持ちを伝え、握手を交わして別れる。

2006.08.15
終戦記念日。
朝から宿のテレビのNHK‐BSで小泉首相の靖国神社参拝のヘリコプター実況生中継をやっている。
…日本のマスコミもヒマだね。
今日は昨日に引き続き平快車に乗って東部幹線を北上。
台東から花蓮まで、同区間を1日1往復!しか走らない貴重な200次平快で朝の田園を走る。
花蓮に着いたらすぐに今来た道を引き返し、目指すは米どころの池上。
池上駅のホームで立ち売りのお姐さんから名物「池上便當」を購入、駅裏の田んぼと山と青空を見ながら食べる。
食べる前に、ニイタカヤマ(玉山)に向かい黙祷。
台湾鉄道名物「池上便當」は、ご飯に鰹節の日本的な味だった。
便當を食べたら玉里まで戻り、銀色柴快「元・光華号」(上写真)に乗車。
この車両も日本製。かつては首都台北発着の優等列車「光華号」として駆けた栄光ある名車。
今では都落ちして花蓮~台東間の鈍行として走っているが、イブシ銀の車体には今なお優雅さが漂う。

カメラ片手に光華号の車内をウロウロしていたら、
車掌氏が運転席横の「車長座位」に招待してくれた上、日本人鐡路迷にお茶まで振舞ってくれた。
最前部の車長席で光華号の走りを満喫して、台東に到着。
今夜は台東発台北経由高雄行き、実に12時間56分走り続けて台湾を3分の2周する長距離夜行列車で夜を明かす。

2006.08.16
台東発高雄行き夜行「11次 莒光号」は台北で夜が明けて乗客も入れ替わり、夜行列車から朝一番の列車へと表情を変えて高雄を目指す。
連日の強行軍スケジュールに夜汽車の疲れが重なって、目が覚めても居眠りしているうちに高雄に到着。
すぐに折り返しの平快に乗る。南廻線の平快と違って藍色白帯のレトロ客車ではなく、明るい水色に塗られた冷房付きのリニューアル車なので面白くない。クーラーが効いてるのは有難いが。
高雄を出てしばらく走ると工事中の新左營駅を通過するが、ここが台湾新幹線の高雄側の終着駅になる。在来線の横に新幹線の運転所も建設されていて、日本の新幹線「のぞみ」で使われる700系を台湾用に改良した台湾新幹線専用車両「700T」がズラリと並んで営業開始に備えていた。

今日はこのまま台湾中部の都市台中に向かう。
疲れていたので駅前の大きなビルの大飯店に飛び込んでそのままチェックイン。
案外安い値段でバスタブ付きシングルルームを確保できたので満足。
フロントの人も気さくで雰囲気が良い。
早速、一風呂浴びて夜汽車の疲れを洗い流し、人心地ついたところでまた列車に乗って出かける。
台中駅から通勤電車に乗って目指すは「成追線」。
台北から南下して高雄を目指す「西部幹線」は、途中台中付近で海沿いと山側に別れて走る。台中駅は山側の路線にあるのだが、1日に数本だけ台中から海岸線へと直通する列車が走る連絡線がある。それが成追線なのだが、ここは台湾鉄道の穴場のような区間なので鐡路迷心を刺激する。乗ってみたい。
かつて日本の鉄道紀行文学の重鎮、宮脇俊三さんもわざわざ乗りに行ったというこの区間に乗車する。
夕暮れ時の通勤電車内は帰宅する学生や買い物帰りの人たちで一杯。
列車はありふれた郊外の住宅地を南下していくが、やがて大きくカーブを描き夕陽を背に北上する。方向を変えて山線から海岸線に合流したのが分かる。
台中郊外の小さな不思議な短絡線の旅だった。

台中のホテルに帰る前にちょっと寄り道。
台中の隣町の彰化駅に降りてみる。駅舎の中に小さな鉄道資料館があった。
ガラスケースの中に台湾鐡路管理局マーク入りのお皿があったが、これは過去に走っていた台湾の食堂車で使われたものだろうか。
2006.08.17
台中から西部幹線の通勤電車を乗り継いで二水へ向かう。
二水から、「緑のトンネル」と呼ばれる森の中を走ることで知られるローカル線「集集線」に乗車。
この路線は快適なリクライニングシートを装備した日本製のディーゼル車「冷気柴客復興号」が走っている。…はずなのだが、いつの間にかシートが通勤電車と同じロングシートに取り替えられている。せっかくの緑のトンネルの車窓もロングシートだと見難いぞ!
台湾国内でも有数の観光路線なのにサービス悪いぞ台湾鐡路管理局!と不機嫌になってしまった。
列車はつまらなくなったが、沿線がハイキングコースなどの観光スポットだらけの集集線は家族連れの行楽客で一杯。
運転席横で子どもが前面展望にかぶりついて大喜びなのは日本も台湾も一緒。
二水まで戻って、西部幹線を北上。
新竹で今日は1泊。
以前泊まったことのあるビジネスホテルにチェックイン。

新竹に来たら、これを食べない手はない。
名物の米粉(ビーフン)。
ホテルの近くの廟の横の夜市にビーフンを出す店がいくつもある。
小さなお椀で1杯30元(日本円で120円程)と超お手頃価格なので、何軒かの店を周って食べ比べるのが楽しい。

ビーフン以外にも、魚のダンゴが有名なのでこれにもチャレンジ。
手前は噛み切れないほど弾力のある皮に包まれた魚かなにかの餡の饅頭にタレをかけたもの。
奥は魚ダンゴのスープ。
新竹に来るたびに、夜店をはしごして腹一杯になるなあ。

2006.08.18
西部幹線を一気に北上、そのまま東海岸に回りこんで花蓮へ向かう。
駅前の大飯店にチェックインして、部屋に荷物を置くとすぐに駅へ戻り宜蘭行きの平快に乗車。
東部幹線に唯一残る、電気機関車が牽引する藍色白帯平快車だ。
南廻線の平快車と同じ昭和浪漫の車両だが、ディーゼル車がのんびり牽引するローカル色漂う列車ではなく、高規格の幹線を特急の「自強号」や「莒光号」の合間を縫って高速走行する緊張感のある走りが楽しめる列車だ。
タロコ渓谷につながる切り立った断崖絶壁が太平洋に落ち込む、ダイナミックな地形をトンネルと高架で貫く東部幹線を、平快は特急列車並みの猛スピードで激走する。
開けっ放しのデッキに立っていると、高速走行の風圧で振り落とされそうで恐怖を感じるほどだ。
とっぷりと日が暮れて、平快は断崖絶壁の海沿いから平野に入る。
日本の田舎の風景と何ら変わらない、雨上がりの田んぼに虫の鳴き声が聴こえる宜蘭平野を走って終着駅に到着。すぐに機関車を付け替えて、今来た道を花蓮に帰って行く。
夜も更けた花蓮駅に到着した藍色白帯平快車は、車庫には戻らずそのままホームで夜を明かして明日の朝また宜蘭へと向かう。
僕も平快車に別れを告げて、駅前の大飯店に帰る。
おやすみ平快車。お疲れさま。明日も頑張ってね。

2006.08.19
再び東部幹線を南下、この旅で3度目の台東へ。
名残りの光華号に乗車。
台東発の光華号は1日2便、朝便は午前4時台発車の早起き列車なので、有効時間帯に乗れるのは午後便1本だけだ。

接続列車の遅れを引きずって、光華号はなかなか台東を発車しない。
何度も車掌から「自強号が先に出るから急ぐなら自強号に乗れ」と言われるが、僕はこの光華号に乗るためにわざわざ台東まで出張って来たのだ。発車がどんなに遅れようと、自強号に乗り換えたりするものか!…と車掌氏に伝えるだけの台湾語の語学力がないので、執拗に乗換えを促す車掌氏を断り続けて不審そうに見られるのに耐えること1時間。
すっかり夕闇に包まれた台東駅を光華号は「よっこらしょ」とばかりに動き始めた。
光華号は「柴快」と名乗っているので快速列車扱いのはずだが、1つも駅を飛ばすことなく丹念に各駅停車していくが、駅ごとに乗客が一人二人と降りていく。
みんな台東から僅か数分で到着する駅まで行くのに1時間も待たされて大変だなと同情するが、よく考えると自分は用もないのに海外からこのローカル列車に乗りに来て待たされている訳で、人の心配してる場合かよ自分!と突っ込みの一つも入れたくなる。
やがて自分以外の乗客は全員降りてしまい、光華号の車内は運転士と車掌と僕だけになった。
台東から2時間余り走って、光華号は玉里駅に到着する。
さあ、今回の旅で乗りたかった列車にはすべて乗り尽くし、予定はすべて消化された。
台湾南部の小さな田舎町で、僕の今年の夏の旅は終着した。
さて、日本に帰ろう!
2006.08.20
玉里駅から花蓮に移動して、ここからは夜行列車で台北を目指す。
花蓮発深夜1時40分、台東発台北経由高雄行き夜行「11次 莒光号」…5日前に乗った台湾最長距離走行列車にまた乗車する。まさかこの列車に再び世話になるとは思わなかった。
しかし、未明の発車だというのに花蓮駅は大勢の乗客が集まり改札口は大騒ぎ。
ブルートレインがどんどん廃止され夜行列車が消滅へと向かっている日本とは随分違う。
夜行列車が元気な国は発展する活力のある若い国、というのが僕の勝手な持論なのだが、これまで旅してきた国でもエジプトや東欧では夜汽車が混んでて賑やかだったなあ…それに対して、西ヨーロッパは日本同様夜汽車は停滞ムードだし、アルゼンチンなんか夜行列車どころか鉄道そのものが機能停止してたし。。。
まあ、ある程度経済的に発展した国ではわざわざしんどい思いをして夜行列車に乗らなくてもいいだけのインフラ整備が進んでいるから、発展国では夜行列車は衰退するのが当然と言えるのかも知れないが、夜を徹して走り続けるだけのバイタリティを失った時点で国力は衰退に転じる…というのは穿った考え過ぎるだろうか?
これは別に「夜も眠らず24時間戦え!」と云う訳ではなく、もっと情緒的な意味を込めたつもりなんだけどね…
そんな事をあれこれ考えながら車窓を見ていたら、隣席の乗客に「日本人ですか?」と日本語で声を掛けられた。膝の上に日本から持ち込んだ文庫本を置いていたのが目に留まったのかな?
声を掛けてくれたのは、新竹在住の張さん。日本語検定試験の勉強中だそうだ。
いわゆる哈日族(ハーリーズー)=日本文化好きの人のようで、日本の振袖の着物とJポップ音楽が大好きとのこと。
僕も哈台鐡路迷=台湾鉄道大好き日本人です、と自己紹介すると大笑いされた。
新竹のビーフン夜店の話からこれからの日台友好論まで話が展開して、結局列車が台北に到着するまでずっと話をしていた。僕はこれから飛行機に乗って帰るだけだからいいけど、張さんは新竹に着いたらそのまま日本語学校で授業を受けるとのこと。貴重な睡眠時間を潰してしまって悪かったなぁ。。。
桃園空港を飛び立ったエバー航空の福岡行き「キティちゃんジェット」は1時間足らずで玄界灘の上空を降下態勢に入った。
時間感覚的には国内線の飛行機で九州から東京に行くのと殆ど変わらない。
九州の南に、ぽっかり浮かんだ魅力的な島国、台湾。
9日間、鉄道に乗ってばかりいたが、それでも忘れられない出会いがあり、友情を感じ、想い出ができた。
行けば行くほど、知れば知るほど好きになる国、それが台湾。
僕はこれからも、この九州の隣の島に通って鐡路に乗るだろう。
…さて、そろそろ10月31日の台湾高速鐡路の開業初日1番列車に乗るための台北行き航空券の手配を始めるか!
花蓮駅で別れた藍色白帯平快車にもまた乗りたいし、ね。


2006.08.12
昼過ぎにエバー航空2105便で台北・桃園空港到着
桃園客運バスで台鉄桃園駅へ
桃園から1027次「自強号」(上写真)に乗車。
イギリス製の古めかしい「釣り掛け電車」。地元では親しみを込めて?「英国婆」と呼ばれているらしい。
でもこの婆さん、元気にモーターを唸らせてぶっ飛ばす。
この日は北回帰線直下の街嘉義の駅前の旅社に1泊。旅社のおばさんは日本語が達者。
フロントの横でカメやメダカをバケツに入れて遊んでいた女の子は日本在住の親戚の子で、福岡の春日市から遊びに来てるとのこと。
嘉義駅で明日朝9時発の阿里山行きの特快の切符を入手しておく。
いよいよ明日は世界三大登山鉄道の一つ阿里山森林鐡路に乗れる。

2006.08.13
朝から阿里山森林鐡路に乗車。嘉義発阿里山行特快「阿里山号」。
日本製の小さなディーゼル機関車がマッチ箱みたいなこれまた小さい客車を押して山を登っていく。
しかし、後藤新平さんもよくこんな物凄いところに線路を敷いたものだと感心する。本当に登山道をそのまま列車が登っていくような感じ。
3時間半、ループにスイッチバックを繰り返し列車の山登りを堪能して阿里山仮駅に到着。

麓の嘉義は蒸し暑かったのに阿里山は霧がたなびいて肌寒い。
この付近は1999年の台湾大地震の影響で森林鐡路もダメージを受けており、阿里山号も山頂までは行かず手前の仮駅で終着となる。
一般の乗客はここでホテルにチェックインして明日の朝の御来光を見るというパターンだが、
僕は御来光を拝みに来た訳ではないのですぐに午後の下山列車で引き返す。

仮駅横の車庫で蒸気機関車を発見!
阿里山名物の珍しい直角ギア式駆動「シェイ式機関車」だ。
近くでよく見ると石油(重油?)を焚いて走れるように改造されている。
いつでも走り出せそうにきれいに整備されているので、イベント時には走るのだろう。
麓に降りて、台南に移動。駅前のホテルを値切り倒してチェックイン。
値切り過ぎたせいで従業員仮眠室みたいな部屋に押し込まれてしまった。

2006.08.14
台南から高雄に移動。高雄で列車を乗り換え、台湾鉄道最南端部のその名も南廻線へと乗り入れる。
南廻線の枋寮から先の台東までは台湾でも一番の閑散区間。ここを1日2往復だけ走る「平快車(上写真)」に乗車。
平快(ピンクァイ)!この蒼い列車に乗るだけでも台湾に来た甲斐があるというものだ。
藍色白帯の平快車は日本製の旧型客車。日本では既に失われた「旧き佳き鈍行列車のかほり」をプンプン漂わせた昭和浪漫を纏った古豪達なのだ。

平快車は台湾南部の険しく美しい海岸線を疾走していく。
「旧き佳き鈍行列車」なので走行中も当然デッキのドアは開けっ放し!
台湾の大自然を全身に風を受けながら実感できる、嬉しい列車なのだ。
最後部のデッキで風景を堪能していると、乗り合わせた台湾人旅行者に声をかけられた。
鄭さんという台中在住の青年で、僕と同い年ということもありすぐに意気投合。
台東で彼の友人と一緒に食事にと誘われた。

台東大学の女子大生という鄭さんの友人と一緒に、大学近くの学生街で食事。
台湾名物の「タピオカミルク」(上写真)や不思議な「ヤクルト茶」を飲んですっかりいい気分。
鄭さんは食事代をどうしても受け取ろうとしない。
精一杯の感謝の気持ちを伝え、握手を交わして別れる。

2006.08.15
終戦記念日。
朝から宿のテレビのNHK‐BSで小泉首相の靖国神社参拝のヘリコプター実況生中継をやっている。
…日本のマスコミもヒマだね。
今日は昨日に引き続き平快車に乗って東部幹線を北上。
台東から花蓮まで、同区間を1日1往復!しか走らない貴重な200次平快で朝の田園を走る。
花蓮に着いたらすぐに今来た道を引き返し、目指すは米どころの池上。
池上駅のホームで立ち売りのお姐さんから名物「池上便當」を購入、駅裏の田んぼと山と青空を見ながら食べる。
食べる前に、ニイタカヤマ(玉山)に向かい黙祷。
台湾鉄道名物「池上便當」は、ご飯に鰹節の日本的な味だった。
便當を食べたら玉里まで戻り、銀色柴快「元・光華号」(上写真)に乗車。
この車両も日本製。かつては首都台北発着の優等列車「光華号」として駆けた栄光ある名車。
今では都落ちして花蓮~台東間の鈍行として走っているが、イブシ銀の車体には今なお優雅さが漂う。

カメラ片手に光華号の車内をウロウロしていたら、
車掌氏が運転席横の「車長座位」に招待してくれた上、日本人鐡路迷にお茶まで振舞ってくれた。
最前部の車長席で光華号の走りを満喫して、台東に到着。
今夜は台東発台北経由高雄行き、実に12時間56分走り続けて台湾を3分の2周する長距離夜行列車で夜を明かす。

2006.08.16
台東発高雄行き夜行「11次 莒光号」は台北で夜が明けて乗客も入れ替わり、夜行列車から朝一番の列車へと表情を変えて高雄を目指す。
連日の強行軍スケジュールに夜汽車の疲れが重なって、目が覚めても居眠りしているうちに高雄に到着。
すぐに折り返しの平快に乗る。南廻線の平快と違って藍色白帯のレトロ客車ではなく、明るい水色に塗られた冷房付きのリニューアル車なので面白くない。クーラーが効いてるのは有難いが。
高雄を出てしばらく走ると工事中の新左營駅を通過するが、ここが台湾新幹線の高雄側の終着駅になる。在来線の横に新幹線の運転所も建設されていて、日本の新幹線「のぞみ」で使われる700系を台湾用に改良した台湾新幹線専用車両「700T」がズラリと並んで営業開始に備えていた。

今日はこのまま台湾中部の都市台中に向かう。
疲れていたので駅前の大きなビルの大飯店に飛び込んでそのままチェックイン。
案外安い値段でバスタブ付きシングルルームを確保できたので満足。
フロントの人も気さくで雰囲気が良い。
早速、一風呂浴びて夜汽車の疲れを洗い流し、人心地ついたところでまた列車に乗って出かける。
台中駅から通勤電車に乗って目指すは「成追線」。
台北から南下して高雄を目指す「西部幹線」は、途中台中付近で海沿いと山側に別れて走る。台中駅は山側の路線にあるのだが、1日に数本だけ台中から海岸線へと直通する列車が走る連絡線がある。それが成追線なのだが、ここは台湾鉄道の穴場のような区間なので鐡路迷心を刺激する。乗ってみたい。
かつて日本の鉄道紀行文学の重鎮、宮脇俊三さんもわざわざ乗りに行ったというこの区間に乗車する。
夕暮れ時の通勤電車内は帰宅する学生や買い物帰りの人たちで一杯。
列車はありふれた郊外の住宅地を南下していくが、やがて大きくカーブを描き夕陽を背に北上する。方向を変えて山線から海岸線に合流したのが分かる。
台中郊外の小さな不思議な短絡線の旅だった。

台中のホテルに帰る前にちょっと寄り道。
台中の隣町の彰化駅に降りてみる。駅舎の中に小さな鉄道資料館があった。
ガラスケースの中に台湾鐡路管理局マーク入りのお皿があったが、これは過去に走っていた台湾の食堂車で使われたものだろうか。
2006.08.17
台中から西部幹線の通勤電車を乗り継いで二水へ向かう。
二水から、「緑のトンネル」と呼ばれる森の中を走ることで知られるローカル線「集集線」に乗車。
この路線は快適なリクライニングシートを装備した日本製のディーゼル車「冷気柴客復興号」が走っている。…はずなのだが、いつの間にかシートが通勤電車と同じロングシートに取り替えられている。せっかくの緑のトンネルの車窓もロングシートだと見難いぞ!
台湾国内でも有数の観光路線なのにサービス悪いぞ台湾鐡路管理局!と不機嫌になってしまった。
列車はつまらなくなったが、沿線がハイキングコースなどの観光スポットだらけの集集線は家族連れの行楽客で一杯。
運転席横で子どもが前面展望にかぶりついて大喜びなのは日本も台湾も一緒。
二水まで戻って、西部幹線を北上。
新竹で今日は1泊。
以前泊まったことのあるビジネスホテルにチェックイン。

新竹に来たら、これを食べない手はない。
名物の米粉(ビーフン)。
ホテルの近くの廟の横の夜市にビーフンを出す店がいくつもある。
小さなお椀で1杯30元(日本円で120円程)と超お手頃価格なので、何軒かの店を周って食べ比べるのが楽しい。

ビーフン以外にも、魚のダンゴが有名なのでこれにもチャレンジ。
手前は噛み切れないほど弾力のある皮に包まれた魚かなにかの餡の饅頭にタレをかけたもの。
奥は魚ダンゴのスープ。
新竹に来るたびに、夜店をはしごして腹一杯になるなあ。

2006.08.18
西部幹線を一気に北上、そのまま東海岸に回りこんで花蓮へ向かう。
駅前の大飯店にチェックインして、部屋に荷物を置くとすぐに駅へ戻り宜蘭行きの平快に乗車。
東部幹線に唯一残る、電気機関車が牽引する藍色白帯平快車だ。
南廻線の平快車と同じ昭和浪漫の車両だが、ディーゼル車がのんびり牽引するローカル色漂う列車ではなく、高規格の幹線を特急の「自強号」や「莒光号」の合間を縫って高速走行する緊張感のある走りが楽しめる列車だ。
タロコ渓谷につながる切り立った断崖絶壁が太平洋に落ち込む、ダイナミックな地形をトンネルと高架で貫く東部幹線を、平快は特急列車並みの猛スピードで激走する。
開けっ放しのデッキに立っていると、高速走行の風圧で振り落とされそうで恐怖を感じるほどだ。
とっぷりと日が暮れて、平快は断崖絶壁の海沿いから平野に入る。
日本の田舎の風景と何ら変わらない、雨上がりの田んぼに虫の鳴き声が聴こえる宜蘭平野を走って終着駅に到着。すぐに機関車を付け替えて、今来た道を花蓮に帰って行く。
夜も更けた花蓮駅に到着した藍色白帯平快車は、車庫には戻らずそのままホームで夜を明かして明日の朝また宜蘭へと向かう。
僕も平快車に別れを告げて、駅前の大飯店に帰る。
おやすみ平快車。お疲れさま。明日も頑張ってね。

2006.08.19
再び東部幹線を南下、この旅で3度目の台東へ。
名残りの光華号に乗車。
台東発の光華号は1日2便、朝便は午前4時台発車の早起き列車なので、有効時間帯に乗れるのは午後便1本だけだ。

接続列車の遅れを引きずって、光華号はなかなか台東を発車しない。
何度も車掌から「自強号が先に出るから急ぐなら自強号に乗れ」と言われるが、僕はこの光華号に乗るためにわざわざ台東まで出張って来たのだ。発車がどんなに遅れようと、自強号に乗り換えたりするものか!…と車掌氏に伝えるだけの台湾語の語学力がないので、執拗に乗換えを促す車掌氏を断り続けて不審そうに見られるのに耐えること1時間。
すっかり夕闇に包まれた台東駅を光華号は「よっこらしょ」とばかりに動き始めた。
光華号は「柴快」と名乗っているので快速列車扱いのはずだが、1つも駅を飛ばすことなく丹念に各駅停車していくが、駅ごとに乗客が一人二人と降りていく。
みんな台東から僅か数分で到着する駅まで行くのに1時間も待たされて大変だなと同情するが、よく考えると自分は用もないのに海外からこのローカル列車に乗りに来て待たされている訳で、人の心配してる場合かよ自分!と突っ込みの一つも入れたくなる。
やがて自分以外の乗客は全員降りてしまい、光華号の車内は運転士と車掌と僕だけになった。
台東から2時間余り走って、光華号は玉里駅に到着する。
さあ、今回の旅で乗りたかった列車にはすべて乗り尽くし、予定はすべて消化された。
台湾南部の小さな田舎町で、僕の今年の夏の旅は終着した。
さて、日本に帰ろう!
2006.08.20
玉里駅から花蓮に移動して、ここからは夜行列車で台北を目指す。
花蓮発深夜1時40分、台東発台北経由高雄行き夜行「11次 莒光号」…5日前に乗った台湾最長距離走行列車にまた乗車する。まさかこの列車に再び世話になるとは思わなかった。
しかし、未明の発車だというのに花蓮駅は大勢の乗客が集まり改札口は大騒ぎ。
ブルートレインがどんどん廃止され夜行列車が消滅へと向かっている日本とは随分違う。
夜行列車が元気な国は発展する活力のある若い国、というのが僕の勝手な持論なのだが、これまで旅してきた国でもエジプトや東欧では夜汽車が混んでて賑やかだったなあ…それに対して、西ヨーロッパは日本同様夜汽車は停滞ムードだし、アルゼンチンなんか夜行列車どころか鉄道そのものが機能停止してたし。。。
まあ、ある程度経済的に発展した国ではわざわざしんどい思いをして夜行列車に乗らなくてもいいだけのインフラ整備が進んでいるから、発展国では夜行列車は衰退するのが当然と言えるのかも知れないが、夜を徹して走り続けるだけのバイタリティを失った時点で国力は衰退に転じる…というのは穿った考え過ぎるだろうか?
これは別に「夜も眠らず24時間戦え!」と云う訳ではなく、もっと情緒的な意味を込めたつもりなんだけどね…
そんな事をあれこれ考えながら車窓を見ていたら、隣席の乗客に「日本人ですか?」と日本語で声を掛けられた。膝の上に日本から持ち込んだ文庫本を置いていたのが目に留まったのかな?
声を掛けてくれたのは、新竹在住の張さん。日本語検定試験の勉強中だそうだ。
いわゆる哈日族(ハーリーズー)=日本文化好きの人のようで、日本の振袖の着物とJポップ音楽が大好きとのこと。
僕も哈台鐡路迷=台湾鉄道大好き日本人です、と自己紹介すると大笑いされた。
新竹のビーフン夜店の話からこれからの日台友好論まで話が展開して、結局列車が台北に到着するまでずっと話をしていた。僕はこれから飛行機に乗って帰るだけだからいいけど、張さんは新竹に着いたらそのまま日本語学校で授業を受けるとのこと。貴重な睡眠時間を潰してしまって悪かったなぁ。。。
桃園空港を飛び立ったエバー航空の福岡行き「キティちゃんジェット」は1時間足らずで玄界灘の上空を降下態勢に入った。
時間感覚的には国内線の飛行機で九州から東京に行くのと殆ど変わらない。
九州の南に、ぽっかり浮かんだ魅力的な島国、台湾。
9日間、鉄道に乗ってばかりいたが、それでも忘れられない出会いがあり、友情を感じ、想い出ができた。
行けば行くほど、知れば知るほど好きになる国、それが台湾。
僕はこれからも、この九州の隣の島に通って鐡路に乗るだろう。
…さて、そろそろ10月31日の台湾高速鐡路の開業初日1番列車に乗るための台北行き航空券の手配を始めるか!
花蓮駅で別れた藍色白帯平快車にもまた乗りたいし、ね。
