写真:被爆電車こと熊本電鉄モハ71形
今年は、地元熊本のローカル私鉄「熊本電気鉄道」が明治42年に創業してから100周年。
それに合わせて今日、熊本電鉄の車庫がある北熊本駅で100周年記念イベントが行われ、
その目玉として、広島への原爆投下で被爆したという伝説があり“被爆電車”と呼ばれる古参のレトロ車輌「モハ71形」がリニューアル修復されて展示とデモ走行が行われるとのことなので、出かけてきました。
八代市からJR鹿児島本線の普通電車に乗って、熊本電鉄との乗り継ぎ駅上熊本を目指す。
普通電車に乗ったら、座席が空いてても座らずに運転席後ろに立って前面かぶりつき。
最近は大人でこれをやる人も増えたけど、一昔前はイイ齢した大の男がこれをやってると白い目で見られて遣る瀬無かったんだよなぁ~
松橋駅のちょい手前で、熊本駅から第3セクター肥薩おれんじ鉄道の出水駅まで直通運転する快速「スーパーおれんじ」号とすれ違う。
ディーゼルカー1輌だけだけど、鹿児島本線内は特急をも凌ぐダイヤ設定で八代までノンストップでブッ飛ばす侮れない奴。
続いて宇土駅辺りで「SL人吉」と離合する筈…と見ていたら…
「あちゃー!宇土駅構内で離合しちゃった!」
本線上で出会ったら、もっと迫力ある写真が撮れたんだけど、残念。
熊本駅に着いたら、ちょうど阿蘇の宮地駅行き観光列車「あそ1962」が発車するところ。
「SL人吉」登場後はちょっと影が薄いですけど、乗って楽しい列車です。
夏休みに乗りたいな。
熊本駅の0番のりばに置かれた自販機はSLのグラフィック仕様。
しかも御丁寧に2種類あります。
道中も何だかんだと遊びながら、上熊本駅に到着。
ここからは御馴染「青がえる」こと熊本電鉄の人気者、元東急の5000系電車でイベント会場の北熊本駅へ!
今日はイベント参加者と思われる「鉄な方々」も多数乗車されています。
青がえるに揺られること約10分弱、北熊本駅に到着しました!
イベントは既に絶賛開催中!
車庫の前に熊本電鉄の歴代電車が並んでいます。
左から、“被爆電車”モハ71形、“青がえる”5000系、そして現在の主力車輌6000系。
元東急5000系。
航空機の技術を取り入れた流麗なモノコックボディが素晴らしいです。50年以上も前の設計とはとても思えません。
5000系の運転席に座ってみました。
流石に年季が入っています。かつてはこのマスコンハンドルを操作して渋谷駅を発車してたんだねぇ~。
側線で休んでいた、赤帯の6000系。
元は東京都交通局の三田線で走っていた地下鉄の電車です。
こちらは200系。元は南海電鉄の高野線を走っていました。
そしてこの200系、実は意外なきょうだいがいるのだ。それは…
なんと、ねこの駅長「たまさん」で有名な和歌山電鐡の「たま電車」や「いちご電車」「おもちゃ電車」と元は同系列なのだ。
(写真は「たま電車」。詳しくはこちら→そうだ、みんなでねこの駅長さんに会いに行こう!)
どちらも南海の中古車同士なんだね。確かに、基本的な顔のつくりは同じなのが解かります。雰囲気はえらく違ってしまっているが。
外に並んでる電車達を見たら、次に特別公開されている車庫へ行ってみましょう。
普段は見られない車庫の中。
様々な部品が並ぶ無骨な鉄骨屋根の下で整備中の6000系、かっこいい雰囲気です。
車庫の入り口では、被爆電車の部品オークションを開催中。
そしていよいよ、“被爆電車”モハ71形と間近で御対面!
デジカメをモノクロモードにして雰囲気を出してみました。
被爆電車と青がえる。
対照的なデザインですが、どちらも美しい。
モハ71形の車内に入ってみましょう。
創業100周年を記念して、車内はきれいに修復されています。
座席は板張り…
運転席。
なんと、運転士さん用の座席がありません!
スタッフの方に聞くと
「うちで使ってる時には座席を取り付けてたんですけど、修復する時にOBの方の記憶を基に原形に戻して撤去しました」とのこと。
昔の運転士さんは立って運転してたんかい!
昭和三年と刻まれた、日本車輌のメーカーズプレート。
今年(平成21年)で御齢八十一!
ちなみにこの“被爆電車”モハ71形、製造後17年目に広島で被爆したと伝えられるが、実際には昭和20年8月6日には下関の幡生工場にいたことが確認されており、被爆の難を辛くも逃れていることが判っている。
それでも、同形式のきょうだい電車達の多くは広島で被災して焼失している。
日本人が決して忘れることの出来ない重い記憶をとどめた電車として、“被爆電車”モハ71形は今日まで静かに何かを語り続けてきたのだね。
そしていよいよ、被爆電車が走ります!
体験乗車のお客さんを乗せて、車庫前を発車!
運転士さんが立って運転しているのが見えますね。
北熊本駅構内の側線を端っこまで走ったら、折り返し。
再び車庫前まで戻ります。
運転が終わったら、運転士さんがロープを引っ張ってパンタグラフを降ろします。
おじいちゃん電車、お疲れ様でした!
今日は毎時1回、乗車人数を30人程度に限定してモハ71形の構内デモ走行が行われました。
この後、僕も乗ってみたけど、81歳という車齢を感じさせない軽快な走りでした。
流石、今でも現役で構内の入れ換え作業をしているだけの事はある、スーパーおじいちゃん電車!
でも、スタッフの方に伺うと実際かなり古いので部品が限界に近づいているそうで、
「いずれ抵抗器が焼き切れるかも知れません」とのこと。
「何しろ交換部品がありませんからね、そうなったら新規に作らないといけないから大変ですよ。計算書を何枚も書いて役所に出して許可を申請せんといかんし…だから、北熊本駅の構内入れ換えだけで大事に走らせてます。
それに、もう車籍自体がないんですよ。だからお客さんを乗せて本線を走ることは法律上も出来ません。
第一、本線走行なんて過酷なことしたら本当に抵抗器が焼ききれちゃう、動けなくなって立ち往生ですよ(笑)」とのこと。
「やっぱり、いろいろ苦労があって大変なんですね。これからも、貴重な被爆電車を大事に面倒見てやって下さいね!」
貴重な体験が出来て、楽しい1日でした。
ちなみに熊本電鉄創業100周年記念イベントは来月、6月20日土曜日にももう一度開催されます。
“被爆電車”モハ71形は今後も北熊本駅構内を元気に走り続けますが、乗車出来るのはこれが最後のチャンスかもしれません。でも僕は、その日は日本にいないんだよなぁ…
被爆電車、もう一度乗りたかったな。
今年は、地元熊本のローカル私鉄「熊本電気鉄道」が明治42年に創業してから100周年。
それに合わせて今日、熊本電鉄の車庫がある北熊本駅で100周年記念イベントが行われ、
その目玉として、広島への原爆投下で被爆したという伝説があり“被爆電車”と呼ばれる古参のレトロ車輌「モハ71形」がリニューアル修復されて展示とデモ走行が行われるとのことなので、出かけてきました。
八代市からJR鹿児島本線の普通電車に乗って、熊本電鉄との乗り継ぎ駅上熊本を目指す。
普通電車に乗ったら、座席が空いてても座らずに運転席後ろに立って前面かぶりつき。
最近は大人でこれをやる人も増えたけど、一昔前はイイ齢した大の男がこれをやってると白い目で見られて遣る瀬無かったんだよなぁ~
松橋駅のちょい手前で、熊本駅から第3セクター肥薩おれんじ鉄道の出水駅まで直通運転する快速「スーパーおれんじ」号とすれ違う。
ディーゼルカー1輌だけだけど、鹿児島本線内は特急をも凌ぐダイヤ設定で八代までノンストップでブッ飛ばす侮れない奴。
続いて宇土駅辺りで「SL人吉」と離合する筈…と見ていたら…
「あちゃー!宇土駅構内で離合しちゃった!」
本線上で出会ったら、もっと迫力ある写真が撮れたんだけど、残念。
熊本駅に着いたら、ちょうど阿蘇の宮地駅行き観光列車「あそ1962」が発車するところ。
「SL人吉」登場後はちょっと影が薄いですけど、乗って楽しい列車です。
夏休みに乗りたいな。
熊本駅の0番のりばに置かれた自販機はSLのグラフィック仕様。
しかも御丁寧に2種類あります。
道中も何だかんだと遊びながら、上熊本駅に到着。
ここからは御馴染「青がえる」こと熊本電鉄の人気者、元東急の5000系電車でイベント会場の北熊本駅へ!
今日はイベント参加者と思われる「鉄な方々」も多数乗車されています。
青がえるに揺られること約10分弱、北熊本駅に到着しました!
イベントは既に絶賛開催中!
車庫の前に熊本電鉄の歴代電車が並んでいます。
左から、“被爆電車”モハ71形、“青がえる”5000系、そして現在の主力車輌6000系。
元東急5000系。
航空機の技術を取り入れた流麗なモノコックボディが素晴らしいです。50年以上も前の設計とはとても思えません。
5000系の運転席に座ってみました。
流石に年季が入っています。かつてはこのマスコンハンドルを操作して渋谷駅を発車してたんだねぇ~。
側線で休んでいた、赤帯の6000系。
元は東京都交通局の三田線で走っていた地下鉄の電車です。
こちらは200系。元は南海電鉄の高野線を走っていました。
そしてこの200系、実は意外なきょうだいがいるのだ。それは…
なんと、ねこの駅長「たまさん」で有名な和歌山電鐡の「たま電車」や「いちご電車」「おもちゃ電車」と元は同系列なのだ。
(写真は「たま電車」。詳しくはこちら→そうだ、みんなでねこの駅長さんに会いに行こう!)
どちらも南海の中古車同士なんだね。確かに、基本的な顔のつくりは同じなのが解かります。雰囲気はえらく違ってしまっているが。
外に並んでる電車達を見たら、次に特別公開されている車庫へ行ってみましょう。
普段は見られない車庫の中。
様々な部品が並ぶ無骨な鉄骨屋根の下で整備中の6000系、かっこいい雰囲気です。
車庫の入り口では、被爆電車の部品オークションを開催中。
そしていよいよ、“被爆電車”モハ71形と間近で御対面!
デジカメをモノクロモードにして雰囲気を出してみました。
被爆電車と青がえる。
対照的なデザインですが、どちらも美しい。
モハ71形の車内に入ってみましょう。
創業100周年を記念して、車内はきれいに修復されています。
座席は板張り…
運転席。
なんと、運転士さん用の座席がありません!
スタッフの方に聞くと
「うちで使ってる時には座席を取り付けてたんですけど、修復する時にOBの方の記憶を基に原形に戻して撤去しました」とのこと。
昔の運転士さんは立って運転してたんかい!
昭和三年と刻まれた、日本車輌のメーカーズプレート。
今年(平成21年)で御齢八十一!
ちなみにこの“被爆電車”モハ71形、製造後17年目に広島で被爆したと伝えられるが、実際には昭和20年8月6日には下関の幡生工場にいたことが確認されており、被爆の難を辛くも逃れていることが判っている。
それでも、同形式のきょうだい電車達の多くは広島で被災して焼失している。
日本人が決して忘れることの出来ない重い記憶をとどめた電車として、“被爆電車”モハ71形は今日まで静かに何かを語り続けてきたのだね。
そしていよいよ、被爆電車が走ります!
体験乗車のお客さんを乗せて、車庫前を発車!
運転士さんが立って運転しているのが見えますね。
北熊本駅構内の側線を端っこまで走ったら、折り返し。
再び車庫前まで戻ります。
運転が終わったら、運転士さんがロープを引っ張ってパンタグラフを降ろします。
おじいちゃん電車、お疲れ様でした!
今日は毎時1回、乗車人数を30人程度に限定してモハ71形の構内デモ走行が行われました。
この後、僕も乗ってみたけど、81歳という車齢を感じさせない軽快な走りでした。
流石、今でも現役で構内の入れ換え作業をしているだけの事はある、スーパーおじいちゃん電車!
でも、スタッフの方に伺うと実際かなり古いので部品が限界に近づいているそうで、
「いずれ抵抗器が焼き切れるかも知れません」とのこと。
「何しろ交換部品がありませんからね、そうなったら新規に作らないといけないから大変ですよ。計算書を何枚も書いて役所に出して許可を申請せんといかんし…だから、北熊本駅の構内入れ換えだけで大事に走らせてます。
それに、もう車籍自体がないんですよ。だからお客さんを乗せて本線を走ることは法律上も出来ません。
第一、本線走行なんて過酷なことしたら本当に抵抗器が焼ききれちゃう、動けなくなって立ち往生ですよ(笑)」とのこと。
「やっぱり、いろいろ苦労があって大変なんですね。これからも、貴重な被爆電車を大事に面倒見てやって下さいね!」
貴重な体験が出来て、楽しい1日でした。
ちなみに熊本電鉄創業100周年記念イベントは来月、6月20日土曜日にももう一度開催されます。
“被爆電車”モハ71形は今後も北熊本駅構内を元気に走り続けますが、乗車出来るのはこれが最後のチャンスかもしれません。でも僕は、その日は日本にいないんだよなぁ…
被爆電車、もう一度乗りたかったな。