天燈茶房 TENDANCAFE

さあ、皆さん どうぞこちらへ!いろんなタバコが取り揃えてあります。
どれからなりとおためしください

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 3:HAYABUSA - příběh sondy, která se vrátila

2015-05-30 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
PLANETÁRIUM PRAHA


2:Franeker 世界で最初のプラネタリウム“アイジンガー・プラネタリウム”からの続き

2015年5月2日

昨夜遅く、アムステルダムから最終便の夜間飛行でチェコ共和国の首都プラハに到着した。
プラハのヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港は市街地からはやや遠く、しかも夜遅くなると唯一の公共交通である路線バスもプラハ本駅行きAEバス(空港リムジンバス)も運行を終えてしまう。
自家用車で迎えに来てもらえない旅行者はタクシーに頼るしかないが、プラハのタクシーは「ぼったくり常習犯」が多いらしく評判が非常に良くないので、もう市街地に出るのを諦めて空港近くのホテルから送迎に来てもらってチェックイン。

一晩ぐっすり眠ってから再び空港に戻り、改めてAEバスに乗ってプラハ市内へ向かう。



プラハ本駅からメトロ(地下鉄)C線に乗り継ぎ、やや街外れにあるNádraží Holešovice駅で下車。
この駅から少し歩いたところに巨大なスポーツアリーナとイベント会場があり、その一画にあるホテルをプラハ市内での滞在先として予約してある。

Nádraží Holešoviceの駅前をキャリーを引きながら歩いていると、親切な地元のカップルに「どこに行くんですか?道は分かる?」と英語で声をかけられる。
どういう訳だか「あなたもマラソンに出るの?」と聞かれたが、翌日プラハ市内でシティマラソンが開催されるそうで各地から市民ランナーが集まっていたらしい。
「残念ながら僕はマラソンには出ないよ。走りませんよ(笑)」と答えて礼を言って別れる。

僕がプラハにやって来た目的は、マラソンではなくプラネタリウムだ。
スポーツアリーナとイベント会場の隣にある公園の中にあるプラネタリウム・プラハ(PLANETÁRIUM PRAHA)先月から上映が始まったプラネタリウム全天周映像作品「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」(チェコ語ではHAJABUSA-příběh sondy, která se vrátila)を観るために、僕はプラハまでやって来たのだ。



ホテルにチェックインして部屋に荷物を置いたら、すぐにプラネタリウム・プラハへと向かう。
事前にGoogle Mapsで調べてプラネタリウムから一番近い場所にあるという理由でこのホテルを選んだのだが、本当にすぐ近くで歩いて10分もあれば行ける。



スポーツアリーナとイベント会場の前を歩いて、隣の公園の入り口まで来ると、早速こんな道標を発見。
チェコ語の文字混じりでPlanetárium(プラネタリウム)と書かれた方角に向かって進んでいく。
…ちなみにチェコ語は非常に複雑で難しいことで知られる言語だそうだが、プラネタリウムの綴りは英文と同じなのですぐに理解出来たのが有り難い。



公園の森の奥へとトラム(路面電車)の線路が続いている。この線路の先に、目指すプラネタリウム・プラハがある。





森のなかに、トラムの電車が停まっている。
この公園の森はどうやらトラムの路線の終点になっているらしい。ヨーロッパではよく見かける方式なのだが、トラムの電車は一方走行で、終点についたら丸く輪を描いた線路をぐるりと一周りして進行方向を買えるしくみだ。
緑溢れる森の中に敷かれた、おもちゃの電車のような丸い線路を走るトラムはどこか現実離れしていて幻想的で、白昼夢のような雰囲気さえ漂う。





森のなかの線路の向こうに、これまた幻想的な建物が姿を現した。
丸いドーム屋根が「この建物は、宇宙とつながっている」 と主張しているかのようで、一目でそれと分かるプラネタリウムの建物…
ここがプラネタリウム・プラハ(PLANETÁRIUM PRAHA)だ。







建物の外にある掲示板にもしっかりと「HAYABUSA-příběh sondy, která se vrátila」のポスターが貼り出されている。
間違いない、ここでHAYABUSAを上映している!

…日本の小惑星探査機「はやぶさ」の壮大な旅と地球帰還を描いたプラネタリウム全天周映像作品「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」。
僕は、まだ「はやぶさ」が地球に帰還する以前の2009年の作品完成直後に、大阪市立科学館で行われた最初の一般向け試写会で初めてこの作品に出会った
以来、何度プラネタリウムのドームの中で「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」を観たことだろう、何度感涙に咽んだことだろう…
気がつけば僕は「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」を観る為にプラネタリウムを渡り歩くようになり、日本各地のみならず海外にも配給され上映されるようになったHAYABUSAを追いかけて、ドイツのハンブルグまで行ったのもいい思い出だ。

そして今回、ヨーロッパではハンブルグに続いて2度めの上映となるHAYABUSAを追って、僕はこの「約束の地へ」やって来た。
芸術と宇宙科学を愛したハプスブルクの神聖ローマ皇帝ルドルフ2世がティコ・ブラーエを、ヨハネス・ケプラーを呼び寄せた“星の都プラハ”にある、プラネタリウム・プラハまで!



早速、プラネタリウム・プラハでの「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」のチケットを購入。
チケット窓口に座っていた受付の女性は突然現れたチェコ語を解さない東洋人の男に戸惑ったようだが、すぐに笑顔で対応してくれた。英語が堪能な若いスタッフも応援に駆けつけ、何とか「HAYABUSAが観たい。翻訳ガイドのイヤホンは要らない。」という意志が通じて、無事に午後3時半からの上映回のチケットを買うことが出来た。

プラネタリウム・プラハは客席が指定席制のようで、チケット券面には座席番号と思しき数字が振られている。
価格は150チェコ・コルナで、これは日本円に換算するとだいたい750円くらい。日本国内のプラネタリウムの鑑賞料金とあまり変わらない。
ちなみに英語と日本語の翻訳ガイドのイヤホンをオプションで追加すると50コルナ増しとなるが、これは不要だ。チェコの人々にチェコ語で「はやぶさ」の旅を語りかける“チェコのHAYABUSA -BACK TO THE EARTH-”が観たいからだ。
…それに、何十回も観たのでナレーションの内容はもうほぼ完全に暗記してるしね(笑)



HAYABUSAの上映が始まるまで、プラネタリウム・プラハの館内を観ることにする。
ここはプラネタリウムであると同時に「宇宙科学館」としての役割も持っているようで、かなり充実した展示が並んでいた。



館内の展示を見て回っているうちに、「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」の上映開始時間である午後3時半となった。
展示フロアの上層階にあるプラネタリウム投影室へと向かうことにしよう。



プラネタリウム投影室に入ると、名機カールツァイス・イエナの投影機が出迎えてくれた。





現在、現役の投影機として使用されているこのカールツァイス・イエナ、脚部がかなり大胆に改造されていて、何と全天周映像を投影中は投影機が視界を遮って邪魔にならないように脚を折って「うつ伏せ」に出来るようになっている。

今回の投影では全天周映像作品「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」の上映のみで、カールツァイス・イエナを使っての星空投影は残念ながら行われない。
観客が「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」の世界に心置きなく浸りきれるように、投影機はうつ伏せになって遠慮してくれている訳だ。

観客もドーム天井の下の指定席に集まってきた。僕もカールツァイスばかり見ていないで、自分の指定席に着こう。
「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」のプラネタリウム・プラハでの上映は在チェコ日本国大使館とチェコ日本人会が共催・協力して実施されているそうなので、観客も地元チェコの人々に混じって在留日本人と思われる人々もかなり多い。
僕の隣の席も、日本人の親子連れのご家族だった。

そしていよいよ始まった「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」…
第一印象は「あっ、画像が明るくてきれい!」だった。プラネタリウム・プラハの全天周映像は眩しいほどに明るく、そして画質が素晴らしく鮮明だった!
「こんなに明るくきれいに見えるHAYABUSAは初めてだ… 世界最高水準の高画質なんじゃないか!?凄いなプラネタリウム・プラハ!!」

日本中で、そしてドイツでも、今までに何十回と観た「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」の世界が、チェコの言葉で語られる。
僕はもちろん、チェコ語は全く分からない。
それでも、宇宙を旅する「はやぶさ」に優しく時に力強く語りかけるようなチェコ語のナレーションには胸が熱くなった。
「はやぶさ」の旅と、それを全力で応援した我らの想い。それを完璧に切り取って超高精細なCGで描き出した名作「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」…
僕らの想いが今、日本から遠く離れた中欧の古都で綴られる。チェコの人々に、伝えられていく…



「はやぶさ」が今、星の都プラハの街に降り立った…



エンディングテーマ「宙よ」が流れ終わった時、プラネタリウム・プラハのドームの下は一瞬の静寂と、啜り泣きに包まれた。
想いは、確かに伝わった。

上映終了後、隣に座っていた日本人家族の奥さんに挨拶して話しかけてみた。
「はやぶさ」のことは日本から伝え聞いてはいたが、プラハでは情報が殆ど無く詳しいことは知らなかった。でも、今日「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」を観たのでやっと「はやぶさ」についてよく知ることが出来たので良かった。それに作品も映像が美しくて素晴らしい内容だったので感動した、とのこと。
お母さんの手をしっかり握りながら小さな女の子が「最後に泣きそうになった。もう一度観たいな」と言うのを聞いて、なんだか僕の方が泣きそうになったよ…

これで、今回の旅の目的は果たした。
満ち足りた気分でプラネタリウム・プラハを後にする。

「あの子、もう一度、お父さんお母さんに連れられてプラネタリウムにHAYABUSAを観に行けたらいいな…
プラネタリウムで日本から来た旅行者に会ったことなんか忘れてしまってもいいから、小さい頃にプラハの街で小さな宇宙船が旅をした物語を観たことと、その物語に泣きそうになるほど感動したという想い出は、いつまでも忘れないでいて欲しい…」




夏至も近づく初夏のプラハの街は夕刻になってもまだ明るく、当分は陽の沈む気配もない。
さぁ僕も、旅の成功を祝って今からプラハの街に繰り出そう!
今夜は実は、カレル橋のたもとにある宮殿で開催されるロイヤル・チェコ・オーケストラのコンサートを予約してあるんだ。モーツァルトとスメタナの音楽で、HAYABUSAの余韻に浸ることにしようか…

…さて、僕がプラハでクラシック音楽を堪能している間、読者の皆様はプラネタリウム・プラハ館内の宇宙とプラネタリウムの博物館の展示をお楽しみ下さい。
そこには、日本の老舗プラネタリウムとの意外な結びつきを想わせるものとの出会いの秘話があったのです。


4:プラネタリウム・プラハはカールツァイスと宇宙の博物館に続く

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 2:Franeker 世界で最初のプラネタリウム“アイジンガー・プラネタリウム”

2015-05-24 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
Eise Eisinga Planetarium


1:アムステルダム コンセルトヘボウでエルサレム弦楽四重奏団を聴くからの続き

2015年5月1日

朝早く起きてホテルをチェックアウト。送迎バスにスキポール空港まで送ってもらい、コインロッカーに手荷物を放り込んでから、空港地下のオランダ鉄道スキポール駅を8時半発のLeeuwarden(レーワルデン)行きインターシティで出発する。



列車は北部オランダの平野を走って行く。
この辺りは一面、干拓地なので高低差のない真っ平らな大地が地平線まで続いている。
僕が普段暮らしている熊本県南部の八代平野も同じ干拓で作られた土地なので見慣れた風景のような気もするが、やはりオランダの干拓地は北海からの厳しい海風に晒されるのだろうか、温暖湿潤な熊本の干拓地では見られない荒涼とした原野の風景も広がる。



干拓地をゆく線路をダイヤ通りに快調に飛ばすインターシティは、スキポールから2時間半弱で終点のレーワルデン駅に到着。ここでローカル私鉄のディーゼル列車に乗り換えておよそ10分で、Franekerという小さな駅に着いた。







Franeker(フラネケル)はオランダ北部フリースラント州にある人口2万人ほどの小さな町だ。







フラネケルの町は運河に囲まれた島のようになっており、町外れの駅から歩くといくつもの運河に架かる橋を渡って行くことになる。
そしてまさに「まるでオランダ絵画のような」運河を中心とした美しい風景をそこかしこで見ることが出来る。







町中に建つ道標には「Planetarium」の文字が。
その道標に従って歩いて行くと…




フラネケルの市庁舎と小さな運河を挟んで向かい合い建つ、赤煉瓦の可愛らしい家の正面玄関に「PLANETARIUM」の看板が。
これが、人類史上初めて作られた世界で最初のプラネタリウム
「Eise Eisinga Planetarium(アイジンガー・プラネタリウム)」 だ。

アイジンガー・プラネタリウムが作られたのは18世紀後半の事。
1774年5月8日の明け方に太陽系の4つの惑星(水星、金星、火星、木星)と月が東の空の非常に近い位置に集まって見えるという天文現象があり、当時すでに正確な天文学の知識が確立されていたのでそれが「非常に珍しいが、単なる見かけ上の現象」ということは判っていたにも関わらず、新聞は「星が地球と衝突する」「世界の終わりだ」と無責任に騒ぎ立て、人々は根拠の無い不安と終末論に恐れ慄いたという。

このような事態に非常に心を痛めた男が、ここフラネケルの町にいた。
当時まだ30歳の若き羊毛加工業者として、親から受け継いだ工房を市庁舎前に構えるアイゼ・アイジンガー(Eise Eisinga) である。
腕利きの羊毛職人として国際コンクールでの優勝経験もあったというアイジンガーだが、実は彼には本業以外にも情熱を傾ける対象があった。アイジンガーは、家業の傍ら独学で高等数学をマスターしてその知識をもとに天体観測に励む熱烈な宇宙ファンであり、市井の数学者にして科学愛好家だったのである!

宇宙科学を愛する者として、正しい科学知識を無視して面白おかしく騒動を煽る新聞とそれにいともたやすく煽動される市民の姿を目の当たりにしたアイジンガーはある決意をする。
「人々に、正しい宇宙科学の知識を伝えなければならない。誰にでも分かりやすく、理解して貰わなくてはならない…!」

その時から、アイジンガーの地道な努力の日々が始まった。
彼は自らの持つ豊富な天文知識と数学を駆使して、自宅の小さなリビングの天井に大宇宙のしくみを描き出そうと考えたのだ。
計算を繰り返して割り出した当時世界最先端の宇宙科学、太陽系の惑星の運行を目に見える形で振り子時計のからくりで駆動させることを思いつき、天井裏を大改造して歯車を組み合わせた精密な機械を自作して設置し、最後には自ら絵具と筆を取りその大装置の表装を美しく彩色までした。

こうして、彼が孤独な闘いを続けること7年。1781年に遂に完成した「天井に広がる大宇宙」を、アイジンガーはこう名付けた。
「Planetarium(プラネタリウム)」
…これが、プラネタリウムが名実共に世界に出現した瞬間である。

アイジンガーはその後、プラネタリウムとなった自宅のリビングに町の人々を招き入れ、太陽を中心に地球と月、そして当時発見されていた5つの惑星(水星・金星・火星・木星・土星)の運行をリアルタイムで正確に表示する様子を見てもらった。
「見る」ことの力は大きい。それまで宇宙の正確な状態を頭のなかで描いて理解する事が出来ず、それにつけ込む無責任で悪質な新聞のデマにいとも簡単に踊らされていた町の人々も、目の前で理路整然と分かりやすく、そして美しく表示される太陽系の運行の様子にまさに目が覚めるような思いで「真実の科学」を知ったことだろう。

アイジンガーのプラネタリウムは評判を呼び、やがてオランダの名だたる天文学者たちもこれを見学に訪れるようになり、その精巧な出来の素晴らしさに感嘆した科学者たちの推薦でアイジンガーはフラネケルの大学に招かれ、とうとう本職の天文学者として教授に就任したという。
宇宙と科学を愛した男の真摯な情熱が人生において実を結び、彼は大いなる夢を叶えたのだ。



宇宙が好きでプラネタリウムが好きで、好きが高じてとうとうプラネタリウム全天周映像作品「HAYABUSA2 -RETURN TO THE UNIVERSE-」出演を果たしてしまった僕にとっても、アイジンガー・プラネタリウムは憧れの場所だった。
今日、ついに憧れの聖地に来ることが出来たのである。

アイジンガーの作り上げたプラネタリウムがある彼の自宅は、今ではそのまま博物館となっている。
玄関のドアを開けると小さなエントランスがあり、チケットを購入するとすぐに受付の女性職員からリビングに招き入れられた。憧れの聖地の憧れの部屋の天井と、いきなりのご対面である。



博物館の女性職員は親切に英語であれこれ一通り説明してくれたが、説明が終わった後も僕は部屋を出ることが出来なかった。
憧れの聖地アイジンガー・プラネタリウムを、じっくりと、とにかくじっくりと見たい!
女性職員にお礼を言ってから、「一人でもっと見たいんです」と告げ、暫し見入ることにした。



アイジンガー家のリビングの天井にある大宇宙。
天井には輝く太陽を中心に太陽系の軌道図が描かれ、そこから金色の球体の太陽と地球も糸に吊るされて提げられている。
太陽の周囲を、楕円の軌道を描いて地球と月と5つの惑星たちが巡り、そしてそれが淡い青で美しく装飾されている。

綺麗だ。アイジンガー・プラネタリウムはとにかく美しい。
宇宙の真理を描こうとした男の、心の奥底にある強い愛情を感じるような気がした。アイジンガーは、自分の愛する宇宙の真実の美しさをこのプラネタリウムで表したかったのかも知れないと、ふと思った。







天井の隅には星座表と各種のカレンダー類の計器盤が並ぶが、驚くべきことにこれらの計器類は作られてから200年以上が経過した今でも正確に動き、機能を維持している。
カレンダーに表示された「2015年5月1日」を示す年号と日付を針が正確に指しているのを見た時は、思わず背筋が寒くなった。
…アイジンガー・プラネタリウムはまるで製作者の魂と意志が乗り移っているかのように、今もなお宇宙の運行と共に生き続けている。





部屋に掲げられた、この家とプラネタリウムの主アイゼ・アイジンガーの肖像。
死後200年が過ぎ去った今もなお、自分のプラネタリウムを見るために世界中から訪れる人々を迎え、見守り続けている。



部屋の一画の壁際には、アイジンガー夫妻のベッドルームがあった。ベッドの脇にはプラネタリウムを操作する振り子の調整装置もあり、ここは今でいうところの「コンソール」的な機能を持っている。
…やっぱりアイジンガーは、人々に見せるよりも先ず自分がじっくりプラネタリウムを見たかったんだろうなぁ。
夜遅く、皆が寝静まった後にプラネタリウムを独り占めして調整装置を握り締め、少年のような満面の笑みで天井を見上げるベッドの中のアイジンガーさんの姿が目に浮かんで、思わず吹き出してしまった。

プラネタリウムを室内から堪能したら、今度はバックヤードに潜り込んでみよう。
急角度の階段を登って天井裏の部屋に行くと、そこにはアイジンガー・プラネタリウムを動かすメカニズムが詰まっている。











青く美しいプラネタリウムの天井裏には、得体の知れない異様な機械の世界があった。
狭く薄暗い天井裏の空間に犇めく無数の歯車と、辺りを支配するように一定のリズムを刻み続ける低く垂れ込めるような振り子の駆動音。
アイジンガー・プラネタリウムの「投影装置」は、機械式のギアと歯車で構成された巨大な振り子時計のシステムである。
この複雑怪奇な機械もまた、すべてアイジンガーが設計し自作したもの。彼が自ら一本一本打ち付けたのであろう歯車に並ぶ無数の釘が、200年以上も正確に動き続ける脅威のプラネタリウムを支えている。



博物館の一画には、プラネタリアンであるアイジンガーのもう一つの顔である本業の羊毛加工業を紹介するコーナーもあった。
アイジンガーさんはとにかく何事も徹底的にやらないと気が済まないタイプらしく、本業の方でも腕利きの職人であり、また目端の利く羊毛仲買人でもあったそうだ。



アイジンガー・プラネタリウムの2階からは、おそらく200年前から変わっていないであろうフラネケルの町かどの風景が見える。
きっとアイジンガーさんも日々の仕事で疲れた時に、ふと自宅の羊毛工房から町並みを眺める瞬間があった筈…



プラネタリウムとなっているアイジンガー家のリビングの隣にある客間から見る裏庭には、小さな池や生け垣があり思わず心が和む。
でもきっと、この家の主にはこの小さな庭の向こうに無限に広がる大宇宙とそこを運行する天体の美しい秩序が見えていたと思う。
そしてそれは彼が作り上げた天井の人工の宇宙とつながっていた筈だ。

アイジンガーは宇宙の一部を正確に切り取って人々に世界の真実を伝え、
そして彼自身の心はさらにその先に無限に広がる大宇宙へと自由に羽ばたいて行ったに違いない…


「あなた、プラネタリウムを随分長い時間見ていたわね。楽しめた?」
こう言って見送ってくれた受付の女性職員に大いに感動した事と長居した礼を言って、僕はアイジンガー・プラネタリウムを後にした。
ふと、あのプラネタリウムを作り上げた時のアイジンガーさんと今の自分とがほとんど同じ年齢であることに気がついた。
「僕は、アイジンガーさんみたいに生きれるかな?…いや、生きねば!」
柄にもなくそんなことを考えながら、オランダ北部の小さな町フラネケルに別れを告げる。

今夜中に、オランダを出て次の国に向かう。
次に向かうのはチェコの古都プラハ。そこにもまた、プラネタリウムが僕を待っている。

3:HAYABUSA - příběh sondy, která se vrátilaに続く


熊本県八代港で解体された旧・大分ホーバーフェリーのホーバークラフトの部品が、まだ残されています!

2015-05-23 | 時事

先月初め、長らく置かれていた熊本県八代市の港地区で遂に解体されてしまった旧・大分ホーバーフェリーのホーバークラフトですが、何とその部品の一部がまだ八代港に残されているのを確認しました!

※参考記事:
旧・大分ホーバーフェリーのホーバークラフトを熊本県八代港で発見!(2013年01月19日付)
熊本県八代港に置かれていた旧・大分ホーバーフェリーのホーバークラフトが移動していました(2014年09月16日付)
熊本県八代港に置かれていた旧・大分ホーバーフェリーのホーバークラフトが解体されました…(2015年04月02日付)




以前ホーバークラフトの船体が3隻まとめて置かれていた岸壁の「対岸」にあたる防波堤地区の奥、マリーナや造船所のドックがある地区の産廃処理場にホーバークラフトの部品らしきものがあった、と勤め先の上司から聞き、今日さっそく探しに行ったのですが、本当にありました!
この独特の形状と赤いマーキング、間違いなくホーバークラフトの推進用ジェットファンです!

※写真はすべて産廃処理場の敷地外の公道上から撮影しています




古タイヤやワイヤー、廃車トラック等の産廃と並んで雑然とホーバークラフトの推進用ジェットファンが置かれています。
奥には細かく粉砕された産廃が積まれていますがどうやら木材屑のようで、ホーバークラフトの船体から発生したと思しき金属スクラップは見当たりませんでした。
また、解体直後に推進用ジェットファンと一緒に原型を留めたまま置かれていたエンジンも見当たりません。どうやらここにあるホーバークラフト関連の部品は推進用ジェットファンのみのようです。




推進用ジェットファンは船体との接合部が切り離され、その切断面がむき出しの状態ですが、解体はされず原型のままで置かれています。
なんだか、このまま再使用されることを前提として一時置きされているようにも見えるのですが…
なぜこの部品だけが未だにスクラップにされず残されたのか、そしてこの先どうなるのかは謎のままです。

かくして詳細は全く不明なのですが、今日(平成27年5月23日)現在もなおホーバークラフトの部品の一部が原型のまま残されています。
しかし、明日にはもう解体され鉄屑のスクラップと化しているかも知れませんが…

八代港の片隅で、ひっそりと、でも図太く、根性で生き残っている旧・大分ホーバーフェリーのホーバークラフトの船体の欠片。
今ならまだ、最後の別れを言うのに間に合うかも知れません。八代港に、ホーバークラフトの名残りに会いに行きませんか?

2015初夏 オランダ・チェコ紀行 1:アムステルダム コンセルトヘボウでエルサレム弦楽四重奏団を聴く

2015-05-10 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ
Het Concertgebouw, Amsterdam


2015年4月30日

成田から12時間のフライトでシベリアを飛び越え、ユーラシア大陸を横断してオランダの首都アムステルダム郊外にあるスキポール空港に到着した。
出発前に中央ヨーロッパ夏時間に合わせておいた腕時計は午後3時過ぎを指しているが、日本ではもう夜10時過ぎだ。



KLMオランダ航空のジャンボジェット機内では食事の時間以外はひたすらずっと寝ていたので、やや時差ボケ気味ではあるが眠気は無い。
今日はこれから、到着早々アムステルダムの街に繰り出してコンサート鑑賞の予定なので、必死に睡眠を取って音楽鑑賞に備えて体力を蓄えておいたのだ。
空港近くのトランジットホテルにチェックインして荷物を部屋に置き、軽く寝癖の付いた髪をとかして背広を羽織ったら、さぁ出かけよう!

スキポール空港の真下にあるオランダ鉄道スキポール駅から快速列車に乗って、アムステルダム中央駅までは約10分。
東京駅丸の内駅舎に似ているとも、無関係の他人の空似とも言われる赤煉瓦のアムステルダム中央駅舎を通り抜け、トラム(路面電車)のチケット売り場で往復乗車券を買う。
「コンセルトヘボウに行きたい」と何度言っても通じず、面倒になって綴りのメモを見せると「おお、Concertgebouw(コンセートゲボー、と聞こえた…)か!」
親切に、降りる停留所の名前とトラムの路線番号を教えてくれた。






教えられた停留所でトラムを降り、通りを渡ると…
見えてきた。初夏の明るい夕陽に包まれてそびえる、一目でそれと分かる威風堂々たる音楽堂。
世界に名だたるクラシック音楽の殿堂、コンセルトヘボウ

僕がコンセルトヘボウの名を初めて耳にしたのは高校生の頃だ。
当時はクラシック音楽よりはロックやポップスを聴いていたのだが、ある時校内に日本各地を巡回公演している海外のオーケストラのコンサート告知チラシが貼り出された。
何気なくそれを眺めていると背後から、親しかった国語教師に話しかけられた。
「これは世界的に有名な素晴らしいオーケストラだよ。こんなコンサートが熊本で聴けるなんて、滅多に無い機会だ。」

それがコンセルトヘボウを本拠地とするロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の1990年代初め頃の日本公演ツアーだったのだが、チケット代が高校生には高価だったこともあって結局、熊本公演には行かずじまい。
でも、その独特の響きのオランダ語の名称と先生の言葉が何となく忘れられず、またその頃からクラシック音楽を好きになって聴き始めたこともあって、以来ずっと「ああ、やっぱり無理してでもチケットを買ってコンサートを聴きに行けば良かった」と思い続けて幾星霜…

ついに、僕はやって来た。高校生の頃から想い続けたコンセルトヘボウに。




コンセルトヘボウの正面玄関ファサードは、広々としたミュージアム広場に面している。
ミュージアム広場の周辺にはゴッホ美術館やアムステルダム市立近代美術館もあり、広場では子供連れのファミリーが散歩をしていたり、ゲイやヘテロのカップルが仲良さそうにデートをしていたり、かと思うとこの国では合法であるドラッグをキメていると思しきジャンキーが奇声を張り上げていたり…
ある意味、アムステルダムの街を象徴するような一画に、コンセルトヘボウはある。

まだ明るいが、午後8時の開演時間が近づいた。
建物脇にあるボックスオフィスで日本からネット予約しておいた今夜のコンサートのチケットを受け取り、さっそく音楽の殿堂に足を踏み入れよう。





憧れのコンセルトヘボウ…だが、今夜聴くのは実はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団ではない。
今夜のプログラムは、コンセルトヘボウの小ホールで開催される室内楽アンサンブル。演奏するのはエルサレム弦楽四重奏団。

…熊本公演を聴きそびれて以来想い続けている大ホールでのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏は、次回アムステルダムに来た時までとっておこう。
今夜は、コンセルトヘボウまで来ることが出来た喜びと、イスラエルから来た四重奏団の演奏に心ゆくまで酔いしれるとしよう。


僕の席は、一番安い価格帯のチケットを買ったせいでかホールの一番後ろ側のバルコニーの下で、しかも目の前には柱が(笑)
でも、ホール全体の雰囲気がよく分かるし、コンセルトヘボウらしい素晴らしい音響はどの席で聴いても変わらない。





今夜演奏されたのは、
モーツァルト 弦楽四重奏曲第14番
シュルホフ Fünf Stücke
スメタナ Eerste strijkkwartet in e 'Uit mijn leven'
ハイドン 弦楽四重奏曲第74番 ト短調『騎士』


アンコールとして
モーツァルト 弦楽四重奏曲第4番より第2楽章 アンダンテ

(※エルヴィン・シュルホフは20世紀前半に活躍したチェコのユダヤ人でダダイズムの音楽家であり、その後に作品がナチスによって退廃音楽と見なされ迫害を受け、さらに本人も1942年に強制収容所で亡くなるという波乱の人生を送った人。
この作品を持ってくるあたりがいかにもエルサレム弦楽四重奏団らしい?)



コンサートが終わり、現実に戻る。
だが、まだ旅は始まったばかり。コンセルトヘボウを出るとアムステルダムの夜の街の雑踏が広がるが、そのどこかしら猥雑な街のカオスもまた夢の続きの一部なのだという気がしてくる。

さぁ、夢を果たしたコンサートの余韻に思い切り浸りながら空港のホテルに帰ろう。そして、シャワーを浴びてさっさと寝てしまおう。
明日も、朝早くから出かけるぞ…!オランダの北の小さな町にある、世界最古の、人が初めて作り上げたプラネタリウムを見に行くんだ。

2:Franeker 世界で最初のプラネタリウム“アイジンガー・プラネタリウム”に続く




オランダとチェコから帰ってきました

2015-05-05 | 旅行記:2015 オランダ・チェコ

皆さん、今年のゴールデンウィークはいかがでしたか?
天燈茶房亭主mitsuto1976も今日無事に旅から帰ってきました。

今回の行き先は、先日お伝えした通りオランダとチェコ。
好対照な二つのプラネタリウムを巡る旅を満喫してきました!

…今回も旅行記を書こうと思います。
でも、今夜はとりあえず充分な睡眠が必要。僕ももう若くはないので、旅から帰ると疲れと時差ボケが身体に堪えるようになってきました。
それに、世間では明日までゴールデンウィーク休暇という人が多いようですが、僕は明日から通常出勤。また次の旅の資金を稼ぐために頑張らないと!

とりあえず、今夜はチェコのプラハの街の中にある森の奥に佇むプラネタリウムの写真を、旅先からの絵葉書代わりに。
それでは、おやすみなさい。旅の話は、また明日以降じっくりと…