(写真)イスタンブール 旧市街エミノニュ桟橋から新市街ガラタ塔を望む
2007年1月3日
夜明け前のルーマニア、シギショアラ駅から乗り込んだブカレスト行き夜行列車は混んでいた。
通路に立っている乗客をかき分け(全席指定のはずなのに何で立ってる客がいるんだ?立席券でも売られているのか、或いは無札か?)、指定された2等座席車のコンパートメントに行ってみると、僕の席には男が座って「当然です」って顔している。訳が分からない。
そこに車掌が現れ、僕から指定席券とバルカンフレキシーパスを取り上げると裏に何かを書き付けて、それから僕の席を占拠している男をつまみ出してくれた。
車掌に「どうも」と言うとニヤッと笑いどこかに行ってしまった。
どうにか席にありつくも、コンパートメントは満席で、全員しかめっ面をして一生懸命寝ようとしている。何か…落ち着かない。こういう殺伐とした夜汽車は久しぶりだ。「青春18きっぷシーズンの満席の
ムーンライト九州の車内みたいな雰囲気だな。」
僕も寝ようと思ったが、なんか眠れない。悶々としてるうちに夜が明けてきた。昨夜、シギショアラで降り始めた雪は本降りになったようだ。暖冬で雪がまったくなかったルーマニアの大地も、ようやく雪に覆われようとしているのか。
そのうち、列車はどこかの駅に停車したまま動かなくなってしまった。「ヤバイ…大雪で不通にでもなったか…?」
今日はこの列車でルーマニアの首都ブカレストまで行き、そこで約3時間の乗り継ぎ時間を取った後でイスタンブール行きの国際列車「BOSPHOR EXPRESS」に乗ることになっている。もし今乗っているブカレスト行きが大幅に遅れてBOSPHOR EXPRESSに乗り遅れたら計画が大きく狂う。
「頼む…どうにか3時間以内の遅れでブカレスト北駅に着いてくれ…!」
幸い、列車は1時間半ほどで再び走り始め、そのまま雪の峠道を越えてどうにか2時間足らずの遅れでブカレスト北駅に滑り込んだ。
何とかBOSPHOR EXPRESSに間に合ったのはいいが、待ち時間の間に独裁者チャウシェスクの夢が跡「国民の館(ふざけた名前だ。実際は困窮した国民生活とは無縁の独裁者の私利私欲の居城だったというのに)」を見に行こうかと思っていたのだがおじゃんになってしまった。
それでも小一時間ほど時間があるが、ブカレスト北駅周辺はルーマニア国内でも一番治安の悪い超危険地帯なので、危なっかしくて駅の周りをブラブラ散歩するわけにもいかない。結局、駅構内のスーパーマーケットで夜汽車の旅に備えて必需品の水と食料を確保したりして過ごす(しかし、スーパーでも手荷物検査があったのには驚いた。この都市は一体何なんだ?昨日までの長閑そのものの田舎暮らしとの格差がありすぎる。)。

そうこうしているうちにBOSPHOR EXPRESSの発車時刻が近づいてきた。
乗り場に行ってみると、トルコ国鉄のクシェット(簡易寝台車)とルーマニア国鉄の個室寝台車を1両ずつ繋いだ短い編成がちょこんと停まっていた。
「これが、イスタンブール行きの国際寝台列車?」
栄光のオリエントエクスプレスの末裔であるはずのバルカン半島イスタンブール行き寝台列車なのに、BOSPHOR EXPRESSはたったの2両編成なのである。もちろん食堂車なんかない!

それでもルーマニア国鉄の個室寝台車は部屋もまあまあ広くて快適だ。
寝台にピシッと張られた清潔なシーツが嬉しい。
日本のJRのブルートレイン「はやぶさ」「富士」に連結されているA寝台1人用個室寝台「シングルDX」とほぼ同じ構造だが、ベッド幅が1メートル近くあってゆったりしているし上段ベッドも2つあって最大3人まで使えるようになっている。
部屋を覗いて写真を撮ったりしていると、初老の車掌が切符をチェックしに来た。バルカンフレキシーパスと寝台券を見せると預かって持っていってしまう。ヨーロッパの国際寝台列車では大抵、車掌が切符と一緒にパスポートを預かって深夜の国境通過時に通関手続きを代行してくれるので乗客は何も気にせず朝まで寝られるのだが、このBOSPHOR EXPRESSの車掌氏はパスポートを預かろうとしない。
「これは…まさか夜中に自分で通関手続きしないといけないって事?やったあ!!」
実は一度、夜中の国境駅のパスポートコントロールに並んで係員にあれこれ詰問されての国境越えっていうのをやってみたかったんだよね。

ブカレスト北駅を定刻よりやや遅れて発車した499列車BOSPHOR EXPRESSは、氷雨の降る憂鬱な空の下をトルコ目指してひた走る。
ルーマニアに入ってからずっと晴れたかと思えばすぐに雲って鉛色に閉ざされる空の下にいたが、明日は明るいアジアの入り口イスタンブールだ。鉛の空も嫌いじゃないが、やっぱり晴れた空が恋しくなる。
列車は湿りのせいで底冷えのする中を、停まったかと思うとまた動き出すという調子で走って行く。やがてどこかの駅で機関車が切り離され、どこからともなく現れた客車が先頭に連結された。乗り移って見てみるとハンガリー国鉄の寝台車だ。ブダペストとイスタンブールの間を2晩掛かりで走破する愛称なしの国際寝台列車らしい。

ブダペストから来た列車と併結したBOSPHOR EXPRESSは相変わらず憂鬱な空の下をひた走って行く。
日暮れも近づいた頃に停車した駅は、どうやらルーマニア最後の駅ギュルギュウだったらしい。車内で通関係員のパスポートチェックを受けるが、ここでも天下御免の菊の御紋章の入った日本国旅券を見せるとスタンプだけ押されてあっけなく手続き完了。
パスポートに押された出国印を確認すると、「あっ、入国印と書式が変わってる!」
そうなのだ。ルーマニアは1月1日付けでEU加盟国となったので、パスポートに押されるスタンプも早速EU諸国のそれと共通のデザインに変更されていたのである。結果として、僕のパスポートにはEU以前の独自デザインのルーマニア入国印とEU共通のルーマニア出国印が同じページに同居することになった。

ギュルギュウを発車すると列車はドナウ河を渡る。ドナウ河がルーマニアとブルガリアの国境となる。
4日前に
セルビア共和国のベオグラードのカレメグダン公園から見たドナウと久しぶりの再会だ。
国境を越えた列車はブルガリア最初の駅に到着する。ここでも車内でパスポートチェックを受けて問題なく通関完了。ルーマニアと同時にEU入りを果たしたブルガリアの入国印はやはりEU共通のデザインだが、外周のラインが二重線になっていている。悲願のEU加盟なので気合を入れて凝ったスタンプを作ったのかな?
国境駅のプラットホームを何となく眺めていると、少年に声をかけられた。
「旦那、腹減ってないか?ピザやホットドッグあるけど食わないか?」
というような事を英語で叫んでいる。ブカレスト北駅の売店で買った食糧があるから何も頼まなかったが、ふと日本の駅の立ち食いそばや駅弁が恋しくなった。
さあ、ここからブルガリアの旅が始まるのだが、何しろ日は暮れてくるし街灯りひとつないところを走って行くし、手持ち無沙汰だ。食事を済ませて歯を磨いてしまえば、起きていてもやることはないし(実はこの寝台車のトイレの奥にはシャワーの設備もあって、物珍しいので寝る前に一風呂浴びてみようかとも思ったのだが、トイレの中が床下から外気吹きさらしで寒過ぎたのと何となく不衛生な感じがするのでやめておいた)、明日の未明にはトルコへの入国通関で叩き起こされるだろうからさっさと寝てしまうことにする。
「乗っているとやることがないっていうのは、日本のブルトレと同じだな。」
寝台車のベッドは弾力があって寝心地がよかった。
夜明け前、ドアを強くノックされて目を覚ます。
「…トルコへの入国か」
ドアを開けると警備兵が立っていて、「今すぐ降りてあそこでパスポートチェックを受けるように」と命令口調で言う。
来た来た来たーーー!!!念願の叩き起こし強制並ばせパスポートチェックだ!
すぐに上着を着込んで、寝台車を降りる。ここはトルコの入国駅らしく、赤い三日月と星のマークの駅名板が掲げられている。

夜明け前に叩き起こされた他の乗客たちと一緒に、パスポートコントロールの窓口に並ぶ。
「この緊張感!威圧的な雰囲気!これだよこれだよ!昔の映画に出てくるような、この入国審査を一度体験してみたかったんだ!」と一人で喜んでニヤニヤしている日本人乗客の姿は出入国審査官の眼にはさぞかし不審に見えたと思うのだが、ここでも無敵の日本国旅券の威光は健在で他の国の旅客があれこれ詰問されたり所持品のチェックを受けている中でポンとスタンプを押されただけで放免されてしまった。
「せっかくだから、もっとあれこれ取調べて欲しかったな」
とか思いつつ未明の駅のプラットホームを歩く。我がBOSPHOR EXPRESSはブダペストから来た寝台車を繋いで4両編成になっている。トーマスクック国際時刻表を見ると、ここに来る途中でさらにベオグラードから来たBALKAN EXPRESSも併結しているはずなのだが、ということはブダペスト発寝台列車とBALKAN EXPRESSはそれぞれ1両だけの列車(客車の単行列車!?)なんだろうか。
向かい側のホームには、同じ編成の列車が停車している。多分イスタンブール発のブカレスト・ブダペスト・ベオグラード行き列車だろう。深夜の駅で上りと下りの列車が並ぶ光景は、学生時代に青春18きっぷを使って散々乗車した「
ムーンライト高知・松山・山陽」号の岡山駅での並びを彷彿とさせて感慨深いものがある(そういえばムーンライトも3方向行きの列車を1本に束ねた列車だったな)。
ホームで列車を眺めたり、小さな免税店を覗いてみたり、駅猫とあそんだりしていると「あんた、パスポートチェックは済んだか!?」と係員が回ってきて、空も白み始める頃に発車。

2007年1月4日
アジアが近づいてきた!
そう実感したのは、澄み切った朝の青空を見た時だった。昨日までの憂鬱な鉛色の空と氷雨は消え去り、爽やかな朝日が差し始めた。
我がBOSPHOR EXPRESSはその名の示す通りヨーロッパとアジアを隔てるボスポラス海峡のある街イスタンブールを目指してバルカン半島の先端をひた走る。既に辺りの風景にはどことなくアジアの匂いが感じられるような気がする。

最終区間に入った列車は、この旅に出て初めて見る海、マルマラ海に沿って走り、定刻より1時間程度遅れて終着駅イスタンブール・スィルケジ駅に到着した。
シィルケジ駅はボスポラス海峡でアジア側とヨーロッパ側とに分けられたイスタンブール市のアジア側旧市街に位置する終着駅である。
この駅は1889年に国際寝台車会社(ワゴンリ社)によってオリエントエクスプレスが運行を開始したのに合わせて開業した。
現在、オリエントエクスプレスの名を冠した列車はこの駅に発着する事はなくなったが、駅構内には今でもワゴンリ社がオリエントエクスプレスの乗客のためにつくった同名のレストランが営業を続けている。
さあ、イスタンブールだ。アジアの入り口だ。東ヨーロッパを横断して、とうとうここまで来たぞ!
まずは、予約しておいたホテルに行こう。まだ午前中だからチェックインは出来ないかも知れないが、荷物だけでも預けて、それからアヤ・ソフィアを見に行こう。駅前からトラムバイ(超低床路面電車)に乗って旧市街のスルタンアフメト地区のホテルへ向かう。この辺りはアヤ・ソフィアと青のモスク(スルタンアフメトジャーミィ)が並び立つ観光地帯で、イスタンブール歴史地域として世界遺産に登録されている。

青空に映えるアヤ・ソフィアに見惚れながら歩いていると、若い男から妙に流暢な日本語で話しかけられた。
「こんにちは。ホテル探してるの?どこのホテル?私が案内してあげますよ!さあ一緒に行きましょう!」
…怪しい。何なんだこの怪しさ満点の男は?
無視して歩き去ろうとすると「私、悪人じゃないよ!何で無視するの?聞こえてますか!ちょっとアナタ!」としつこい!
「ノーサンキュー!全然大丈夫です。ありがとう、さようなら!」と言い捨ててやると「全然大丈夫って日本語間違ってるよ!アナタ本当に日本人?日本人みんないい人のはずだよ」これには流石にムカついて、それから何を言われても完全にシカトしてたらやっと諦めてどこかに行ってしまった。やれやれ。
予約していたホテルを見つけて入り、プリントアウトしたバウチャーをフロントの女性に見せると、カウンターのパソコンをカタカタいじっていたが、困ったような顔をして「アナタの予約は入っていませんよ」
ハァ!?ちゃんとバウチャーもあるのに何言ってるの?
「アナタ、リコンファーム(予約再確認)しましたか?」
何ぃー!?再確認がいるのか!?
「アア、ナンテコッタイ。。。僕は再確認してないよ」
すると女性は「ちょっと待ってて…うん、大丈夫、OKですよ!今夜と明日は空き部屋があるから、安心して下さい」
やったーーー!!!
「ありがとう!ところで、今すぐチェックイン出来る?」
「もちろんいいですよ」
何とか確保できた部屋は最上階の角部屋で、窓からは金角湾と青のモスクが一望できる。
「随分眺めのいい部屋だな。」
部屋に荷物を置いて、さっそくアヤ・ソフィアに出かける。

東ローマ帝国によって東方正教会の大聖堂として建設され、その後オスマン帝国によってイスラム教モスクへと姿を変えたアヤ・ソフィア。
現在では宗教とは関係のない博物館となっているが、その内部はキリスト教とイスラム教の共存する不思議な空間だった。

アラビア文字でムハンマドの名を記したエンブレムの並ぶ上に目をやると、そこには聖母子のモザイク画がある。
かつてこの聖堂の内部を埋め尽くしていたキリスト教のモザイク画は、アヤ・ソフィアがモスクになると漆喰で塗り潰された。しかし、それによってモザイク画は外気から保護され、この聖堂が宗教から解き放たれた博物館となった現在、鮮やかに蘇る事になったのである。
アヤ・ソフィアの圧倒的空間を堪能してから、ガラタ橋を渡って新市街側に行ってみる。
ちょっと街を歩くと、あちらこちらから日本語で話しかけられる。
「こんにちは。私と一緒に観光しませんか?案内しますよ」
「お土産を買いませんか?私は悪い人じゃないから安心して!」
こんなのばっかりである。
ガラタ橋を歩いていると、「また会いましたね!元気ですか!」…今朝、ホテルの近くで会ったあの怪しい男だ。「またこいつか…」
ウンザリしながら歩いていると「あなた、何でそんなに機嫌が悪いの?ちょっと変よ」大きなお世話だ。
「でも、私あなたの気持ち理解できます。旅先では用心しないとね。」分かってるならつきまとわないでくれ。
「でもね、あんまり用心し過ぎるのもダメよ。相手を全く信用しないで、誰とも話もしないと、旅がつまらなくなるよ。」はいはいその通りですよ…でも、あんまり熱心に話しかけてくるので無視し続けているのもかわいそうになってきた。
「あなた、今朝から随分熱心に私に話しかけてきますね。」
「私、日本語教室の先生してますし、日本に何度も行ったことがあります。日本が大好きなんですよ。」
「そうですか。」
「あなたはずっと私を無視してたけど、あなたが用心深い人だって分かってるから私怒ってないから安心して。ちょっと日本人と話したかっただけね。それじゃ、私今から用事があるからこれでサヨナラね。あ、そうそう、これ私のやってるお店の名刺。きれいな絵を売ってます。よかったら見に来てね。」
オイオイ、日本語学校の先生だったんじゃないのかよ…しかし、得体は知れないが完全な悪人って訳じゃなさそうだな。もちろん完全にいい人でもないだろうが。

イスタンブール新市街の隠れた名物なのがこれ、テュネル(Tünel)。
世界で2番目に古い地下鉄の元祖で、全長わずか600メートル足らずのトンネルを行ったり来たりしている。
これを使うと新市街のきつい坂道を登らないで済むので、なかなか利用価値は高い。
陽もだいぶ傾いてきたので、今からガラタ塔に登って夕陽を見てみようか。

新市街のランドマーク、ガラタ塔は6世紀に灯台として建てられたもので、その後は要塞の監視塔や天文台や監獄などいろいろな用途に使われてきたらしいが、現在は展望台になっている。塔の最上階には展望テラスとレストランがあり、夜はベリーダンスのショーなどをやっていて団体ツアー御用達の観光コースになっているようだ。
とんがり帽子の屋根をかぶった塔の姿はどことなく童話の天文学者がとじこもって望遠鏡を覗いているようで幻想的なのだが、実際に登ってみると世俗的な観光地なのでがっかりする。
それでも、ここから見るイスタンブールの夕陽の美しさは格別だった。

夜行列車で到着するなりあちこち歩き回って、妙な客引きにもつきまとわれて、すっかりくたびれてホテルに帰って来た。
部屋に入ってまず目に飛び込んできたのが、ライトアップされた青のモスクの荘厳な姿だった。
「これは…!」
余りの美しさに、たまらず部屋を飛び出して青のモスクへと向かう。
青のモスクはその姿も美しかったが、内部は更に素晴らしかった。
その名の由来となったと伝えられる青く輝くタイルに彩られた高いドームには、高密度な祈りの空気、イスラームの宇宙を感じた。
やがてどこからともなくコーランを唱える声が聞こえ始め、ムスリム達が集まってきた。間もなく夜の祈りの時間らしい。異教徒は祈りの時間は遠慮しなければ、と外へ出ようとするも、既に扉は固く閉ざされ閂が掛けられている。
「閉じ込められた。。。こうなったら仕方がない」
やむなく、僕も敷き詰められたカーペットの一番後ろに正座して祈りに参加させてもらった。
「異教徒と言えども、僕は八百万の神を戴く日本人です。ムハンマドよ、ひとつ大目に見て下さい。」
ムスリムの祈りの声と共に、イスタンブールの夜はふけていくのであった。

(つづく)