ピヨ家は半月ほど、帰省を兼ねた避難生活を送りました。
地震の後の混乱は予想以上のものがあり、
情報の氾濫で、子どものいる家庭ではちょっとしたパニックが続きました。
特に信頼できなかったのは、原発のニュース…。
素人目にも、会見の様子はとても疑わしく思え、
最終的に自分の判断が子どもを守るのだ、と確信、
着のみ着のまま、ピヨ吉の実家を目指しました
途中、停電のため信号が止まっていたり、
立ち寄ったコンビニでは満足な食料が得られなかったり、
と混乱もありましたが、
高速道路は順調に進み、12時間で実家に到着。
ホッとしました
これで見えない恐怖(余震や放射性物質)から少し解放されます。
余震の度に震えていたわんこも、やっと落ち着きを取り戻し、
(後々、長い間神経性の腸炎を患うのですが )
夜も安心して眠るようになりました。
それだけでも十分に幸せ、なのですが、
急に帰省した私たち家族を温かく受け入れてくれて、
お父さん、お母さんには本当に感謝、感謝です
毎日普通に外を散歩できることが、こんなに貴重なことだったとは。
まったく夢にも思いませんでした。
テレビでは毎日原発の不気味な姿が映しだされていましたが、
約半月、私たちは安心して帰省ライフを楽しむことができました。
着いたばかりの頃はとても寒く、コートも必要でしたが、
半月の間に季節はゆっくりと進み、
気が付くと、お城の桜が満開に
冬眠中だったクマのベニーちゃんも、
いつの間にか目を覚ましました
地震の後の混乱は予想以上のものがあり、
情報の氾濫で、子どものいる家庭ではちょっとしたパニックが続きました。
特に信頼できなかったのは、原発のニュース…。
素人目にも、会見の様子はとても疑わしく思え、
最終的に自分の判断が子どもを守るのだ、と確信、
着のみ着のまま、ピヨ吉の実家を目指しました
途中、停電のため信号が止まっていたり、
立ち寄ったコンビニでは満足な食料が得られなかったり、
と混乱もありましたが、
高速道路は順調に進み、12時間で実家に到着。
ホッとしました
これで見えない恐怖(余震や放射性物質)から少し解放されます。
余震の度に震えていたわんこも、やっと落ち着きを取り戻し、
(後々、長い間神経性の腸炎を患うのですが )
夜も安心して眠るようになりました。
それだけでも十分に幸せ、なのですが、
急に帰省した私たち家族を温かく受け入れてくれて、
お父さん、お母さんには本当に感謝、感謝です
毎日普通に外を散歩できることが、こんなに貴重なことだったとは。
まったく夢にも思いませんでした。
テレビでは毎日原発の不気味な姿が映しだされていましたが、
約半月、私たちは安心して帰省ライフを楽しむことができました。
着いたばかりの頃はとても寒く、コートも必要でしたが、
半月の間に季節はゆっくりと進み、
気が付くと、お城の桜が満開に
冬眠中だったクマのベニーちゃんも、
いつの間にか目を覚ましました