もてるための哲学って本の中で倫理学者の竹内整一氏の「やまと言葉で哲学する」のなかで真宗大谷派(東本願寺)の僧侶である清沢満之の言葉がの部分を引用して解説していました。
清沢満之は、「信ずる」ことは当てにすることではないと言っている。当てにする心は、まだ預けきっていない心をとどめている。だから、思い通りに行かなかったとき、裏切られたと思うのだ、と。それは「信じて」いなかっただけのこと、たんに当てにしていただけのことだ、というのである。「信じた」ら、裏切られることはないということである。
つまり、信じるということはすべてを預けるということであって、その意味では、結果がどうであろうと、それはもはやどうでもいいことになります。だから、裏切られるという概念が生じる余地は無いのです。
これに対して、いい結果だけを信じるというのは、あてにするということにすぎず、本来の意味で信じるとは異なるというというわけです。
まさに、これこそが日本独自の誠実さであり、信頼の概念ではないかと思うのです。表面的には西洋の信頼と同じように見えて、2本のそれは結果いかんを問わず、すべてを預けることを意味しているのです。
と
この部分は日本人信じるという意味をよく表しているなと思いました。信じていたのに言ってるのを聞くとそれって信じてない人のいう言葉だよなあって思う自分がいます。信じるという言葉って、いろんな信じ方があるものなんだとは思いますが、私自身は、信じたら結果が裏切られても、ありがとうって言える感覚で育ってきたんだなあと思います。日本の感覚だったのかと、他の本読んでないので今はこう感じているけど。不思議ですね。
この本には、いろんな哲学者の言葉が引用されていて、そうだったんだあって思うことがたくさん書かれていました。とても勉強になりました。もてるためにって書いてあるからちょっとそっち?っともう方もいるかも知れませんが、人とのコミュニケーションの取り方や生き方、社会をよくしていきたいという思いもこもった内容になっているのにもびっくりでした。いろんなことを考えるきっかけになって面白い本でした。機会があったら是非読んでみてください。