横浜市鶴見区の 「大本山總持寺」に行ってきました。
大本山總持寺は能登で570年余り経った明治31年に火災により焼失してしまいましたが、本山貫主となられた石川素童禅師が
官許を得て明治40年現在の地に移転したのです。この素晴らしい鶴見の地に伽藍の多くが建てられ、能登總持寺の開創から
数えて591年目の明治44年に盛大なお式が執り行われたということです。
その後、約10万坪の広大な境内が次第に整備され、新しい建物が竣工されていきました。
この度は、ご好意で、若い修業僧の方(私と同郷)に広い總持寺の中を案内して頂くことができました。
あまり時間が無くて残念でしたが、写真撮影も許可してくださったので、何枚か載せてみたいと思います。
周りをみどりの木々に囲まれた参道はゆるい登り坂。
参道の途中には<鶴見大学>があります。
三松関(さんしょうかん)總持寺最初の関門
三松閣(さんしょうかく)平成2年に完成。檀信徒研修道場。
宿泊所、大講堂、食堂、大浴場などもこの地上4階、地下2階の建物の中にあります。
香積台(こうしゃくだい)総受付
大正9年に完成した総檜、切妻様式の建物。
入り口を入ると右手に総受付があり、拝観、墓地、法要、参拝などの受付を行います。左手は売店と休憩所になっています。
大本山總持寺は能登で570年余り経った明治31年に火災により焼失してしまいましたが、本山貫主となられた石川素童禅師が
官許を得て明治40年現在の地に移転したのです。この素晴らしい鶴見の地に伽藍の多くが建てられ、能登總持寺の開創から
数えて591年目の明治44年に盛大なお式が執り行われたということです。
その後、約10万坪の広大な境内が次第に整備され、新しい建物が竣工されていきました。
この度は、ご好意で、若い修業僧の方(私と同郷)に広い總持寺の中を案内して頂くことができました。
あまり時間が無くて残念でしたが、写真撮影も許可してくださったので、何枚か載せてみたいと思います。
周りをみどりの木々に囲まれた参道はゆるい登り坂。
参道の途中には<鶴見大学>があります。
三松関(さんしょうかん)總持寺最初の関門
三松閣(さんしょうかく)平成2年に完成。檀信徒研修道場。
宿泊所、大講堂、食堂、大浴場などもこの地上4階、地下2階の建物の中にあります。
香積台(こうしゃくだい)総受付
大正9年に完成した総檜、切妻様式の建物。
入り口を入ると右手に総受付があり、拝観、墓地、法要、参拝などの受付を行います。左手は売店と休憩所になっています。