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心づかいのモラル

2014-03-03 22:16:30 | ニューモラル
    
       心づかいのモラル

 心づかいのモラルは、いつでも、どこでも、どんな人でも実行できるものです。今、自分がしていることに、心を添えていけば、いつでも、どこでも、だれでもできるモラルです。
 たとえば、挨拶でも、ほんとうに心を込めて行えば、家庭でも学校でも職場でも見違えるように、明るくなるでしょう。
 また、心づかいのモラルは、健康で元気な人しか実行できないというものでもありません。病気で寝ている人でも、感謝の心で看病を受け、周りの人の幸せを祈ることによって、多くの人がなぐさめられて、健康な人以上に大きな影響を与えることができるのです。



 
 
 

 慈悲と利己心 

2014-01-24 21:04:48 | ニューモラル
  慈悲と利己心

 中国の『尚書(しょうしょ)』には「人心これ危(あや)うく、道心(どうしん)これ微(かすか)なり」とあります。人心つまり人間の心は大部分を利己心が占め、道心すなわち道徳心は、非常にかすかなものであるから、利己心を克服し道徳心を大いに発達させなければ、私たちの人生の末路(まつろ)は危ういというのです。
 ここでいう道徳心とは、温かく、やわらかな、すべてのものを慈(いつく)しみはぐくむ心のことで、仏教の言葉では「慈悲心」ともいえましょう。また利己心とは、自分中心の利己的な心です。
 つまり、私たちの心には常に両面のはたらきがあるわけです。意識しないでいると自分中心の心がはたらきやすいことをよく理解して「慈悲」を引き出すようにしたいものです。


 
  

「遠慮」の中身

2013-12-01 22:05:20 | ニューモラル
    「遠慮」の中身 

 本来、道徳的な姿であるはずの「遠慮」が、誤解を生むもとになったり、他人に迷惑をかけたりし、あげくの果てに自分までガックリきてしまうことがあります。これでは不道徳といえそうです。何が、こんな間違いを起こす別れ道になったのでしょうか?
 「遠慮」するその気持ちが、本当に相手や周囲の幸せのためを考えたことから発したのか、または、自分がよく思われたいとか、“自分はこんなに慎み深い”と誇示したいという自分本位の考えから出たものかの違いが、大きなへだたりのある結果を生んでしまうのです。
 「遠慮」も相手の立場で考え、行動することができてはじめて、道徳的といえるのではないでしょうか。
 
 

深い理性と真に人を愛する心

2013-10-01 22:00:18 | ニューモラル
  深い理性と真に人を愛する心

 「弱きを助け、強きをくじく」というと、一見カッコよく、道徳的に聞こえますが、弱者をすべて善人、強者をすべて悪人と見るのも、はなはだあわてた結論でしょう。また、弱い者を偏愛することになり、そのため、やたらと強い者を憎み、これに刃向(はむ)かう気風をつくってしまうという一面があります。
 このようにせっかちな考え方は、落ち着いた理性から生まれたものではなく、一時的な感情から出ることが多いものです。
 同情や親切は大切な道徳ですが、深い理性と真に人を愛する心が伴ってこそ、質のよい価値ある道徳といえましょう。

 
 

あなたと私が生み出すエネルギー

2013-08-25 21:26:47 | ニューモラル
 あなたと私が生み出すエネルギー 

 私たちは、人とのかかわりを持ちながら毎日を生きています。その相手は、家族であったり、友人であったり、また職場の同僚や先輩・後輩であったりと、さまざまです。
 お互いにかかわりを持つことで、必ず何かが生まれます。そのすべては、自分一人だけで生まれるものではなく、相手がいるから生まれるのです。それは、自分と相手とで生み出したさまざまな種類のエネルギーといってもよいでしょう。ですから、自分が相手とどのようにかかわっていくかによって、どのような種類のエネルギーでも生み出していけます。つまり、相手を育てようとすれば、相手もこちらを大切にしてくれるのではないでしょうか。