

明日は毘沙門神社の祭りなので、早朝5時過ぎ頃から境内の掃除に出なくちゃ

蚊とハチが大勢で私を待っている、ハチに刺されたことは今迄ないが、蚊には毎年必ず刺されるのである



■ 日野川沿いにあり、往時は蛇行した日野川に三方が囲まれた城だったようです。今は、小さな毘沙門堂がある辺りが周囲より高いところにあり、現在の日野川の土手沿いから入って行けます。集落側からは石段がついています。これ言った遺構は無さそうですが、集落側は切岸状で、北側に堀跡であろう窪地があります。
■ 築城時期は定かではないようです。斯波氏の家臣の太田貞敏が築城したとされます。文明元年(1469年)、朝倉孝景との戦で落城しました。子孫の太田宗清が織田信長に仕え、その子の一吉が豊臣秀吉に仕え、天正十年(1582年)、太田一吉は丹羽長秀の付奉行として先祖の地に入り、三千五百石でこの地を領したとされます。文禄二年(1593年)、六万五千石で豊後臼杵城城主となり、この地は嫡子の隆満が六千石で領しましたが、関が原の戦いでは西軍についたため改易され、廃城になったようです。
