<BS2> 2007年12月7日(金)午後7時45分~8時44分
第46話「医局長の遺書」
チャングムの治療により、中宗は視力を取り戻す。病名はユンスと同じながら処方が異なった理由を説明するチャングム。一同は感嘆し、オ・ギョモはユンスから医局長の座を取り上げ、自らの保全と巻き返しを図る。病気の真相が明らかになったことから、クミョンとチェ女官長への嫌疑も晴れ釈放されることに。チェ女官長は早速、自分たちを積極的に助けてくれなかったオ・ギョモに詰め寄る。
チャングムはヨンセンを通じて、中宗に拝謁。ハン尚宮(サングン)の名誉を取り戻してくれるよう訴えるが・・・。
医局長の座を追われ、身の処し方に思い悩んでいるユンス。チャングムはチョンホと一緒にユンスを訪ねる。今回の件で誤診が明らかになった以上、アヒル事件についてもユンスの証言を得たいチャングム。時を同じくして、チェ一族がユンスの自宅に刺客を送り込む。
中宗の病を治したことで皇后のチャングム
への信頼は絶大なものに。
内医院の医務官ですらその処方には
叶わなかった。
ヒット曲連発の陰でギャンブル、借金 桂銀淑の栄光と挫折

桂容疑者はソウル生まれ。高校生のときにスカウトされ、モデルとして活躍した後、歌手デビュー。昭和59年に来日し、作曲家の浜圭介氏に師事して翌年に「大阪暮色」で日本でもデビューを果たした。独特なハスキーボイスが受け、「すずめの涙」「ベサメムーチョ」「北空港」などのヒット曲がある。
紅白歌合戦に63年から7年連続出場。平成4年に日本有線大賞の有線音楽優秀賞、6年には日本レコード大賞優秀賞を受賞した。
その一方で、私生活ではトラブルが多発。ギャンブル好きとして知られ、たびたび借金をめぐる騒動を引き起こしていた。一時は借金が4億円にも達したとされ、平成13年には、借金返済に行き詰まったマネジャーが自殺、休業状態が続いていたが、昨年4月、元所属事務所と争っていた民事裁判で和解が成立し、活動を再開。今春から全国各地でコンサートツアーを行っていた。
今年9月には、知人から起こされた借金返済を求める訴訟で、東京地裁から請求通り1400万円の支払いを命じる判決が、言い渡されたばかりだった。
桂容疑者は母親(85)と2人暮らし。逮捕時は普段着で自身のCDを聴き、やせてやつれた様子だったという。
ファンのためには「すずめの涙」ぐらいではなく「真夜中のシャワー」になるほどの涙で反省して更正して欲しいと願う




完成したDVDをチームのメンバーと共に役員の方々で試写会



監督さんをはじめとしてメンバーの皆さんお疲れさまでした。

案内状を受け取った時は宛名の筆跡からKさんからの案内だなーぐらいにしか受け取っていなかった。25日の夕方になり改めて読んで見ると 最高の器で・・・
漆器の器でいただく「特製手打ち蕎麦」をご用意しております。
と書かれており「あー行けばよかったー
」。再び表を読むと一杯300円 とも。そそうな性格なものだから、これが本当の「あとの祭り」であろう。
鯖江市の河和田(かわだ)地区は伝統工芸の越前漆器の産地である。昨年まで勤務していた会社の仕事で河和田地区へは毎日、午前と午後の2回は行ったものである。その仕事で馴染みになった漆器店もあるが漆器関係の知人は以前から数人いたのである。
私の家には全然ないが町内の各家には
お膳・お椀などの木製漆器が各家のイベント用に家財道具として用意されている所が多いのである。そのイベント(冠婚葬祭)が様変わりしてきた。結婚式は式場で行うから家ではお膳・お椀などの漆器を蔵から取り出し準備して使用する機会がないのであるし葬祭もまた同じである。事実高価なものだから 「 もったいない 」 の気持ちから捨てるわけにもいかない、譲って欲しいという人もいない。使用してからの後始末も簡単ではなさそうである。
というような事情から漆器業界も になってきているとか。軒下工房 の名で各店舗などを見学しやすくして団体客などが散策・工房を見学しているが、各自が家のイベント用に大量に買うという事は残念だがないであろう
。
妻が越前漆器のコーピーカップをペアーで以前にある方から頂いたが 「 もったいなく 」て使ったことがない、漆器業界にとってありがたくない消費者が私達なのである 。K・T・M・Tさん伝統工芸ですから頑張って下さい。
貴婦人 / 小川はる子
経 歴 1985年「NHKのど自慢」にてチャンピオンになる。
1987年歌手デビュー。同年第6回メガロポリス歌謡祭他新人賞受賞。
主 な 歌 貴婦人(デビュー曲)
恋をちょうだい(麻生祐希とデュエット:1995年)
ハワイアン・フラ ミュージック(1998年:ボーカルで)
雪水仙(2004年)
ささ舟(2004年)
テレビ出演 「あなたの町で夢芝居」(1990年:NHK)にてレギュラーマドンナ役。
吉幾三、梅沢富美男らと共演
簡単な紹介ですがご存知の方は少ないと思います 。1987年歌手デビュー時は私たちが加盟していたある団体がキャンペーンガールとして契約して応援の活動を行なった関係で数回、彼女と一緒になり歌を聴きました。
有線でリクエストをする場合は「貴婦人/小川はる子」を必ずとか・・・・・。テープも彼女の会場で買いました。テレビの歌番組ではほとんど彼女を観れませんでしたが「あなたの町で夢芝居」(1990年:NHK)にレギュラーで出演していた頃は欠かさずにテレビを観ました。
デビュー後20年が過ぎましたが今はどうして、おられるでしょうか 。
サインをもらった頃はまだPCではなく東芝のワープロ 「Rupo」 を使用していましたので、まだmokuson2 とは名のっていませんでしたから 「〇〇さんへ 」となっています。