くんさん(またどうぞ。頑張っ)、ニア君(今度はジョjy…ですか。少し古くありませんか。しかも、遠隔操作タイプ。確か、特殊性があったかと思うのですが、一体、どんな能力があるんでしょう)、コメントありがとうございます
先週も今週も、ニュースに事欠かないほど、いろいろ怖い事件が起こったり、災害があったり、おめでたいニュースがあったり、死亡欄にはかならずどなたか載っていたりして、数え切れないです・・・(^^;)。そんな中で、目に留まったニュースの中から一つ <初、リンク>
インドの病院で糖尿病患者がアリに片目食われる (ロイター) - goo ニュース
殺人アリが眼球食い尽くす=たかられた糖尿病患者死亡・インド (時事通信) - goo ニュース
…起こったことに、どうこう言うのは好きではないので、ま、こんなことがあったのか~、などと目にしてくれれば、と。今の日本でこんなことが起こったら、どえらい騒ぎになります。というか、こんな目に合いたくない・・・
実は、いつの間にか、旧約聖書の方は、ホセア書に。
「わたしは誠実(せいじつ)を喜ぶが、
いけにえは喜ばない。
全焼(ぜんしょう)のいけにえより、
むしろ神を知ることを喜ぶ。
(ホセア書 6:6) 」
ここで、「わたし」と言っているのは神様ご自身。
このホセアが生きていた頃、ほかの人にもこんな預言(よげん)が神様からあったんだ。
「あなたがたの多くのいけにえは、わたしに何になろう。」(イザヤ書1:11)
って。
その頃、神様からのみことばを頂いていたイスラエルという国は、あんまりよろしくない状態だったn・・・ゴニョゴニョ。
で、「いけにえ」= 何か生きているものを犠牲にすること。だよね。
実際、「犠牲(ぎせい)」と書いて、「いけにえ」と読む。
ここでは、神様に捧げる生き物のことだ。いけにえを祭壇(さいだん)でささげる方法は何種類かあるんだけど、「全焼のいけにえ」というのは文字通り、祭壇の上で供物《牛とか、羊etcとか。とにかく傷のないオスでないとダメ》を焼き尽くし、すべてを煙にして空に立ちのぼらせることで、すべてを神様に捧げること。幕屋(のちには神殿)で毎朝毎夕にささげられるほか、毎週の安息日≪あんそくにち:一週間の終わり。土曜日≫、毎月の一日などにも捧げられていた。本来なら、神様がそれを喜んでくださるハズなんだけど...
その頃の人々は、一応、捧げていたんだが、神様が喜べるものではなかったんだ。まず、神様は洗え。身をきよめよ。私の前で、あなたがたの悪を取り除け。・・・(イザヤ書 1:16)って求めておられる。
それに、「いけにえを捧げます」っていう
自己満足?≪私はこんなに~のためにやったんだ。(おいおい、それよりも多くのものを神様が与えておられるし、犠牲まで払ってくださっているのに!?)≫
とか、 ただの習慣?≪親がそうしてきたし~≫
・・・ そういったことをするのでなく、本当に真の神様がどう思っているのか、神様がどういう御方(おかた)なのかを知ろうとすることの方が、いい
どうやって??
今は、 聖書 があるじゃないですか
先週も今週も、ニュースに事欠かないほど、いろいろ怖い事件が起こったり、災害があったり、おめでたいニュースがあったり、死亡欄にはかならずどなたか載っていたりして、数え切れないです・・・(^^;)。そんな中で、目に留まったニュースの中から一つ <初、リンク>
インドの病院で糖尿病患者がアリに片目食われる (ロイター) - goo ニュース
殺人アリが眼球食い尽くす=たかられた糖尿病患者死亡・インド (時事通信) - goo ニュース
…起こったことに、どうこう言うのは好きではないので、ま、こんなことがあったのか~、などと目にしてくれれば、と。今の日本でこんなことが起こったら、どえらい騒ぎになります。というか、こんな目に合いたくない・・・
実は、いつの間にか、旧約聖書の方は、ホセア書に。
「わたしは誠実(せいじつ)を喜ぶが、
いけにえは喜ばない。
全焼(ぜんしょう)のいけにえより、
むしろ神を知ることを喜ぶ。
(ホセア書 6:6) 」
ここで、「わたし」と言っているのは神様ご自身。
このホセアが生きていた頃、ほかの人にもこんな預言(よげん)が神様からあったんだ。
「あなたがたの多くのいけにえは、わたしに何になろう。」(イザヤ書1:11)
って。
その頃、神様からのみことばを頂いていたイスラエルという国は、あんまりよろしくない状態だったn・・・ゴニョゴニョ。
で、「いけにえ」= 何か生きているものを犠牲にすること。だよね。
実際、「犠牲(ぎせい)」と書いて、「いけにえ」と読む。
ここでは、神様に捧げる生き物のことだ。いけにえを祭壇(さいだん)でささげる方法は何種類かあるんだけど、「全焼のいけにえ」というのは文字通り、祭壇の上で供物《牛とか、羊etcとか。とにかく傷のないオスでないとダメ》を焼き尽くし、すべてを煙にして空に立ちのぼらせることで、すべてを神様に捧げること。幕屋(のちには神殿)で毎朝毎夕にささげられるほか、毎週の安息日≪あんそくにち:一週間の終わり。土曜日≫、毎月の一日などにも捧げられていた。本来なら、神様がそれを喜んでくださるハズなんだけど...
その頃の人々は、一応、捧げていたんだが、神様が喜べるものではなかったんだ。まず、神様は洗え。身をきよめよ。私の前で、あなたがたの悪を取り除け。・・・(イザヤ書 1:16)って求めておられる。
それに、「いけにえを捧げます」っていう
自己満足?≪私はこんなに~のためにやったんだ。(おいおい、それよりも多くのものを神様が与えておられるし、犠牲まで払ってくださっているのに!?)≫
とか、 ただの習慣?≪親がそうしてきたし~≫
・・・ そういったことをするのでなく、本当に真の神様がどう思っているのか、神様がどういう御方(おかた)なのかを知ろうとすることの方が、いい
どうやって??
今は、 聖書 があるじゃないですか