さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

寿命

2006-04-07 22:19:11 | Friday -news-
たまに、今までのニュースの記事を見てみたところ、もうそこには記事が無くなったようでした。どうやら、一定時間が経つと消されるみたいですね。


患者の細胞から膀胱再生、米で7人に移植成功
2006年 4月 4日 (火) 11:46
 【ワシントン=増満浩志】先天的な病気で機能に障害のある膀胱(ぼうこう)から、正常な細胞だけを取り出して培養し、膀胱を再生して患者7人に移植することに、米ウェイクフォレスト大などの研究チームが成功した。人間で、構造が複雑な臓器を再生し、移植したのは世界で初めて。術後約2~5年たち、経過は良好という。4日付の英医学誌ランセット電子版に発表した。
 患者は4~19歳。脊椎(せきつい)に生まれつき障害のある「脊椎髄膜瘤(りゅう)」のため、膀胱を制御する神経が働かなかった。このため、尿漏れのほか、尿がたまり過ぎて腎臓を圧迫したり、尿が逆流したりするなどして、腎不全を引き起こす恐れがあった。
 同大のアンソニー・アタラ教授らは、患者の膀胱から採取した2種類の正常な細胞を培養。これを患者の体格に合わせて作った型に載せ、膀胱の形に作り上げた。組織採取から7~8週間後に、この再生膀胱を体内に入れ、元の膀胱と縫合した。
 同教授らによると、移植によって、膀胱の尿を保持する機能が強化され、腎臓への悪影響が軽減された。深刻な腎障害も起きていないという。先天的な神経の障害は変わらないため、体内に埋め込んだチューブを使って定期的に排尿する作業が必要だが、尿漏れがなくなり、生活の質が向上した。
 ロイター通信によると、この研究にかかわっているベンチャー企業は、この技術を今年、米食品医薬品局(FDA)に認可申請する予定。ただ、論文では特定の病気の患者しか対象としておらず、「さらに研究が必要」との慎重な見方も出ている。
 これまで人間でも皮膚や骨などの組織を再生した例はあった。臓器では膀胱のほか、肝臓などの再生研究が進められている。




世界で医療スタッフ不足、日本の医師数は63位
2006年 4月 7日 (金) 10:50
 【ジュネーブ=渡辺覚】世界保健機関(WHO)は7日に公表した2006年版の世界保健報告で、 世界で約430万人の医療スタッフが不足しているとの推計を発表した。
 医療スタッフの員数・配置問題に焦点を当てた今年の報告は、エイズの感染拡大が続くマラウイやタンザニアで、人口1000人当たりの医師数が0・02人と、アフリカ諸国でスタッフ不足が極めて深刻だと指摘。
 アフリカで教育を受けた医師の4人に1人が経済協力開発機構(OECD)加盟の先進30か国で働く「頭脳流出」の現状にも懸念を表明、各国に人材育成と医療環境の整備を提言している。
 一方、日本は平均寿命で82歳の世界最長寿国の座を堅持しながら、1000人当たりの医師数は1・98人と、192か国中、63位の中位水準にとどまった。
 1位サンマリノの47・35人には遠く及ばず、OECD加盟国の中では最低クラス。同様に看護師は27位、歯科医師は同28位と、世界のトップ水準には達していない。


 同じく世界保健報告によると、04年の平均寿命が世界で一番長いのは日本、モナコ、サンマリノの82歳らしい。1000人当たり、医師数1位のサンマリノと、63位の日本が、ともに平均寿命1位ですか(女性は86歳と、日本が1位)・・・人数的にトップ水準ではなくても、日本頑張っているじゃないですか。
 医療スタッフの人数は、そこの医療水準を測る尺度のひとつにはなるけれど、必ずしも人数多ければいいってものでもないです・・・病院なんざ、具合が悪いときに行くものですから(ここ最近、予防医学が言われてきていますが、まだまだ)。そもそも、皆元気であれば、病院はそんなになくてもいいんですがね。
                                      

 また、世界192カ国中、日本など16カ国で平均寿命が80歳以上である一方、アフリカの26カ国とアフガニスタンの計27カ国は50歳未満。最も平均寿命が短いのはジンバブエの36歳。日本だったら「まだ30代なのに・・・」と言われそうです。

 もちろん、人それぞれ、人生の濃さも中身も違うから、一概に長生きがいいとは言えないかもしれない。

もしかしたら、ボケて何年も長生きするより、「まだ○○才なのに・・・」と惜しまれるほうがいいと思うこともあるかもしれない。

体も頭も昔のように動かなくて、人からも必要とされなくて、・・・それよりも人のお荷物になっているようで、そんな自分が嫌(いや)でたまらなく感じることもあるかもしれない。

自分が置かれている環境や状況が-少なくともそのときのその人にとって-あまりに厳しくて「死にたい」とか、神様が居(お)られることを知っている人なら「あとどのくらい地上にいなければならないのですか」と嘆くこともあるかもしれない。
                                                  
長生きって、恵まれているほうなんだけれど。そんな風に、嘆くことができるのは、そう考える余裕があるからなんだけれど。わかっていても、心は納得できなかったりする。実際、苦しいだけの人生だったら、たぶん皆(M除く)短いほうがいいって思うだろう。

        

 そもそも、どんなに長生きをしても幸せでないなら、死産の子のほうがましだっていう意見もある。死産の子のほうが、まだ安らかだから、と(伝道者の書 6:3-6)。

 こんなことを、ちょうど今、お子さんをなくした人には絶対言えないし、中途半端に「善意」な人が聞いたら怒り出すだろう。ただ、-全員が味わうわけではないけれど-死産の方が良かったと、死産だったらよかったのに、と本気であこがれる程、苦しい時期を味わう人も世の中にはいる。

 だが、結局、長生きしようと、短い人生だろうと、楽しい人生だろうと、苦しいことばかりの人生だろうと、同じことが起きる。

 『・・・同じ結末が、
  正しい人にも、
  悪人にも、善人にも、
  きよい人にも、汚(けが)れた人にも、
  いけにえを捧げる人にも、いけにえをささげない人にも
  来る。
  善人にも、罪人(つみびと)にも同様である。
  誓う者にも、誓うのを恐れる者にも同様である。』

                 (伝道者の書 9:2)

 もし、死んだあと何もなく、全てが無となるなら、「今生きている間を、どうにか楽しもう」とか、または刹那的(せつなてき)な発想になったりするだろうな。


  ただ、その生きている間
 ことがすべて、裁かれるなら話は違ってくる。裁かれる・・・評価されると言い直してもいいかもしれないけど。


  『・・・そして、数々の書物が開かれた。
   また、別のひとつの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。
   死んだ人々は、これらの書物に書き記されているところに従って、
   自分の行(おこな)いに応じてさばかれた。』
                     (
示 20:12)
      
人と比べて、自分はまだまし、とかではなく、神様の前で一度も罪を犯したことがないと証明される人ならいいが、・・・・キャベツはその備えはもうしましたが。
      

       あなたは、どうするのでしょう? 


                             
                                        

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コメント (5)
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