さすらうキャベツの見聞記

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どこからを「死」とするか

2009-07-14 18:27:32 | Tuesday 医療ニュース
<臓器移植法改正案>「脳死は人の死」成立 0歳から移植可能 A案、参院で賛成多数
2009年7月13日(月)18:00
 臓器移植法改正案は13日午後、参院本会議で採決され、3法案のうち、脳死を一般的な人の死とする「A案」(衆院通過)が賛成138、反対82の賛成多数で可決、成立した。15歳未満の子どもの臓器提供を禁じた現行法の年齢制限を撤廃し、国内での子どもの移植に道を開くとともに、脳死を初めて法律で「人の死」と位置づけた。ただ、死の定義変更には強い慎重論が残る。このため、A案提出者は審議の中で「『脳死は人の死』は、移植医療時に限定される」と答弁し、配慮を示した。


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「審議すべき問題を放置」=生命倫理会議が緊急声明(時事通信)

生命倫理を研究する大学教授らでつくる「生命倫理会議」(代表・小松美彦東京海洋大教授)が13日午後、記者会見し「討究されるべき諸問題が放置されたまま、わずか8時間の審議で最も危険なA案が可決された」とする緊急声明を読み上げた。

 同会議は「脳死は人の死」と科学的に立証されていないだけでなく、国民の合意も得ていないとして、成立した改正臓器移植法(A案)に反対。子供の臓器提供が親の承諾で認められるため、虐待の証拠隠滅になる恐れがあることや、人工心臓など臓器移植以外の治療法の存在などに触れ、改正法への危惧(きぐ)を示した。 
(2009年7月13日(月)21:03)



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 ついでに、http://fps01.plala.or.jp/~brainx/asahi1.htm#%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%AD%E5%BE%B4%E5%80%99%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%83%8C%E6%99%AF
(ラザロ徴候などなど)



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 臓器提供がなければ、脳死がこのようにクローズアップされることはなかっただろう。

 これに関して

・それを行う医療者側
・提供する側
・その家族
・それをもらう側

という立場を想定したり、

・脳死  
・臓器提供
・15歳以下からの提供

という観点から、議論、意見、感想などが出て来るかと。
(ただし、脳死等の定義を要確認のこと)
 2000年頃にも、小論文やディベートでよく扱われた内容でもあった。


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  日本においては、臓器移植はなかなか進まなかったが、その背景として、倫理的には、最初の臓器移植である札幌の和田移植の問題や、日本人の死生感があるとも考えられている。


 もちろん、提供する側は、クリスチャンならば「愛」(ヨハネ15:13)故、と提供することができるとしても、それを行う医療者側は、「殺人」である可能性も高い。事実、「脳死」状態を「人の死」と定義づけなければ、「殺人」にもなりうる。





 どこまでを「生」とするか。どこからを「死」とするか。




 (人が二重の線引きをできるものなんですかね…?)

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 ちなみに、提供してもらった側も、一生免疫抑制剤を使用しなければならない、というリスクがある。


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  (もう一つちなみに、この臓器移植については、ES細胞による再生医療が発達するまでの間のしのぎ(過渡期)だろう、ということも言われているが、ES細胞自体、倫理的な問題を含んでいる。)



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 いづれにせよ、私たちはいつか、この地上から去るのだ。
 その備えもしなければ…(-.-;)。

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