さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

病(やま)い

2009-09-01 23:22:12 | Tuesday 病院
大学の頃に読み、興味深かった書籍、「病いの語り~慢性の病いをめぐる臨床人類学~」(アーサー・クライマン著、誠信書房、1996)から、一部抜粋。


<>は、キャベツが勝手につけたところである。また、ここでは、あとで読みやすいように、勝手に段落を変えていることをお断りする。

P.12
<症状の意味 based on 文化的な共通理解-ただし無意識的に>

 われわれが検討しようとする病いの意味の最初のものとしてふさわしいのは、症状自体の表面的な明示的意味(denotation)である。これは、たとえば背部痛や、動悸や、喘鳴のような症状が、能力低下や苦悩という直示的で慣習的な意味を表すということである。こうした自明な意味表現は「自然のままの」ものとして見なされがちである。

 しかし、こうして自然のままに見えるものは、特定の文化における共有された理解にもとづいており、異なった社会集団のあいだでは往々にして相違するものである。

 症状の意味は、あるローカルな文化システムにおける標準化された「真理」である。
 なぜなら、その集団のもつカテゴリーがその世界へ投影され、そのうえでその世界のなかに見出されるために、自然のままのものと呼ばれるからである。

 つまりわれわれは、ローカルな形での共通知識を当然のものとして受け入れている。
たとえば、胸のしこりはがんかもしれないとか、
     熱でほてるときはひどく冷たいものを飲まないように注意しろとか、
     日焼けした肌は健康のしるしであるとか、
     太っているよりやせているほうがよいとか、
     一日一回の規則正しい便通が正常だといったことである。
病気とはどのようなものであり、人が、身ぶりや顔の表情や声の調子や言葉などの既成のパターンによって病気の経験を表現する際、それが何を意味しているのかをわれわれが相互に正しく認識できるようになっているのは、こうしたローカルな共通理解のためである。





 その結果、たとえば痛みについて話すとき、われわれはまわりのひとb・・・








 オヤ、また、きーbオードが不調.
 continued.


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