ゴーギャン展@東京国立近代美術館にて。
ポール・ゴーギャン Paul Gauguin (1848-1903)の『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』(1897-1898)
名前は知っていたが、初めて目にするこの作品は、
愛娘アリーヌが亡くなったという知らせを受け取ったあと、手がけたという。
右から左へ、時-とき-が流れている。
眠っている赤子から、死に行く老婆へ。
誕生から、不可避かつ不可逆の死まで。
また、
真ん中の女性は、禁断の果実を採るエヴァとも言われる。
(その左下の女の子が食べている果実は・・・もしかして、それ?
とはいえ、茶々を入れると、禁断の果実を食べるまでは、アダムもエヴァも『自分たちが裸である』とは知らなかったんだが・・・。
言われる所以は、ゴーギャンの作品の『異国のエヴァ』-モデルは、タヒチの14歳の愛人なのかな…と邪推-とやや類似しているせいか)
仙台から静岡に移り住んだ友人-先にこのゴーギャン展を観た人-が送ってきた葉書がきっかけで、重い腰を上げて観に行ったのだが、行って良かったようにも思う。
・・・平日だが混んでいて、ゆっくりはできなかったが。
・・・その日いろいろあり、しばらくの間、ため息もついたのだが。
灰色の東京駅のビル街に不釣合いな黄色のシャトルバスを利用したら、運転手さんがプチ東京案内もしていたのもまた、良かった。
.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*
この作品については、ゴーギャンが98年2月、友人のモンスレーに宛てて、手紙をしたためている(その最後の一部を抜粋)。
『・・・福音書に比すべきこのテーマをもって、私は哲学的な作品を描いた。
いいものだと、と思っている。そのうち元気が出たら、模写してあなたに送ろう。』
ポール・ゴーギャン Paul Gauguin (1848-1903)の『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』(1897-1898)
名前は知っていたが、初めて目にするこの作品は、
愛娘アリーヌが亡くなったという知らせを受け取ったあと、手がけたという。
右から左へ、時-とき-が流れている。
眠っている赤子から、死に行く老婆へ。
誕生から、不可避かつ不可逆の死まで。
また、
真ん中の女性は、禁断の果実を採るエヴァとも言われる。
(その左下の女の子が食べている果実は・・・もしかして、それ?
とはいえ、茶々を入れると、禁断の果実を食べるまでは、アダムもエヴァも『自分たちが裸である』とは知らなかったんだが・・・。
言われる所以は、ゴーギャンの作品の『異国のエヴァ』-モデルは、タヒチの14歳の愛人なのかな…と邪推-とやや類似しているせいか)
仙台から静岡に移り住んだ友人-先にこのゴーギャン展を観た人-が送ってきた葉書がきっかけで、重い腰を上げて観に行ったのだが、行って良かったようにも思う。
・・・平日だが混んでいて、ゆっくりはできなかったが。
・・・その日いろいろあり、しばらくの間、ため息もついたのだが。
灰色の東京駅のビル街に不釣合いな黄色のシャトルバスを利用したら、運転手さんがプチ東京案内もしていたのもまた、良かった。
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この作品については、ゴーギャンが98年2月、友人のモンスレーに宛てて、手紙をしたためている(その最後の一部を抜粋)。
『・・・福音書に比すべきこのテーマをもって、私は哲学的な作品を描いた。
いいものだと、と思っている。そのうち元気が出たら、模写してあなたに送ろう。』