昔、マナセという王様がいた。
時は紀元前650年頃。
中東の小国、南ユダ王国。
マナセは神の目の前で 悪を行い、
罪のない者の血を大量に流し、
それが首都エルサレムの隅々に満ちるほどだったという。
列王記を読むと、ナントヒドイ王様ナンダ、と思う。
が、面白いことに、歴代誌を見ると、
そんなマナセが、最後には、
神に祈り、悔い改めたことが(ちょこんと)記されている。
列王記は「人から見た歴史」、歴代誌は「神の目から見た歴史」とも言われるが、
一面だけでは、やはり人はわからない。
10代や20代の頃のマナセ王を見た時、
一体、誰が、彼が悔い改めると思っただろう? - 思えなかったに違いない。
人は、変化する。
良きにつけ悪しきにつけ。
それが、時間という制約の中にある、
私たち人間の醍醐味かもしれない。
だから、憶測や噂をもって
判断したくない。
そんなもので、
おのおのの前に、敵意を置いてほしくない。
もちろん、誰だって、弱いときもあれば、
間違うことだってある。
人間だもの。
それをもって、ダメだと決めつけずに
お互いに高め合えたら、どんなに良いだろう?
それぞれの弱い部分をカバーしながら
良い部分を伸ばしていけたら、どんなに良いだろう?
人間だもの。
時は紀元前650年頃。
中東の小国、南ユダ王国。
マナセは神の目の前で 悪を行い、
罪のない者の血を大量に流し、
それが首都エルサレムの隅々に満ちるほどだったという。
列王記を読むと、ナントヒドイ王様ナンダ、と思う。
が、面白いことに、歴代誌を見ると、
そんなマナセが、最後には、
神に祈り、悔い改めたことが(ちょこんと)記されている。
列王記は「人から見た歴史」、歴代誌は「神の目から見た歴史」とも言われるが、
一面だけでは、やはり人はわからない。
10代や20代の頃のマナセ王を見た時、
一体、誰が、彼が悔い改めると思っただろう? - 思えなかったに違いない。
人は、変化する。
良きにつけ悪しきにつけ。
それが、時間という制約の中にある、
私たち人間の醍醐味かもしれない。
だから、憶測や噂をもって
判断したくない。
そんなもので、
おのおのの前に、敵意を置いてほしくない。
もちろん、誰だって、弱いときもあれば、
間違うことだってある。
人間だもの。
それをもって、ダメだと決めつけずに
お互いに高め合えたら、どんなに良いだろう?
それぞれの弱い部分をカバーしながら
良い部分を伸ばしていけたら、どんなに良いだろう?
人間だもの。