

絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。』
(新約聖書・テサロニケ人への手紙第一 5章16節-18節)

周りの方々にご迷惑をかけていたり、失敗して青ざめたり、「…どうして、オレってこんなんなんだろう・・・


新しい朝を迎えられたこと、
ごはんが美味しいこと、
お風呂が気持ちいいこと、
今日は日曜日-お休みをいただけたから朝の日曜学校から何からすべて出られたぞ、とか、
聖書をゆっくり読む時間があったこととか、
ステキなひとときがあったこととか、
美味しい手作り餃子(ぎょうざ)をたらふく頂いたこととか、
台所をぴかぴかにできたこととか、
夕方雨が止んだこととか、
友人と会えたこととか、
事故にも遭わず一日無事に過ごせたこととか、
アイルランドのステキなお写真やらお話やら聞けたこととか、
愛する大切な人々が、まずまず元気に過ごしていることとか、
夕食後のお茶を美味しく淹れることができたこととか、
時間があったら、出エジプト記のあたりに頭が飛んでいたこととか、
手元に、聖書があることとか、
肩はひどい凝りだけれど、頭痛にまでは至らなかったこととか、
屋根があることとか、
自分の布団があることとか、
目がまだ見えて、字を読めることとか、
仕事もあって収入もあることとか、
自分が集会に行くのを妨げられないこととか、
失敗しても、突っ込みつつも笑いと優しさで覆ってくれる大切な人たちがいることとか、
こうやって、PCの前に座っていられる時間があることとか、
ポンコツとはいえ、身体がきちんと動いていることとか、
家族が今、入院しなくてすんでいることとか、
JR武蔵野線が止まったりしていないこととか、
忙しいとはいえ、今の職場の人々が、ステキな、厳しくも優しい方々ばかりであることとか、
胸が締め付けられるような気持ちも味わいつつ、じんわりとしたほのかな喜びもあることとか、
すでに、こんな者でさえクリスチャンとしてくださったこととか、
罪深い者なのに、神様に対して祈ることが許されていることとか-これは、自分が何か良い行いをしたからではなく(そんなのでは、神様の基準は満たせない)、ただイエス・キリストの十字架の贖(あがな)いによることだ-、
全世界の人々が、さまざま祈っている中、神様がこの小さな者の祈りさえも聞いてくださり、
加えて、そのうちいくつかをすでに聞き届けてくださったこととか・・・。

神様に、ありがとうって。
私が知らないうちに、いろいろ気配りなさってくださっている御方に。
私が生まれる前から、すでにすばらしいプレゼントを用意してくださった御方に。
もちろん、いますぐには喜べなさそうなことだって、あるけれど。

そんなときは、これを思い出そう。
『凡(すべ)てのこと相(あい)働きて益となる』(ローマ人への手紙8章28節)
ってことを。
今日も守られたことを感謝しつつ、眠りにつこう・・・

なんだか顔に見えてオカシイのは
小生だけでせうか?
顔にも見えたり、素敵な夕暮れにも見えたり・・・味わいがあるでしょうw