旧約聖書のやや真ん中あたり、「箴言」、「伝道者の書」、と続いて、「雅歌」がある。
雅歌書は、直訳では「歌の中の歌」。「歌の中の歌(song of songs)」、という表現構造は、ヘブライ語の最上級表現であり、「最高の歌」の意であるという 1)。
直接的には、ソロモン王と、シュラムの女が中心的に対話している形で描かれており、隠喩的には、今の時代では、キリストとクリスチャン(総体的に教会)との愛を示している。 2)
そんな中、『エルサレムの娘たち』が、あるとき、夫を探し続ける『シュラムの女』に向かって、こう尋ねる場面がある。
**************
「女のなかで最も美しい人よ。
あなたの愛する方は、ほかの愛人より
何がすぐれているのですか。
あなたがそのように私たちに切に願うとは。
あなたの愛する方は、ほかの愛人より
何がすぐれているのですか。」
・・・・・・現代風にいうと、こんな台詞かもしれない。
「あなたの恋人(もしくは好きな人)って、いったい、どこがいいの?」
**************
その問いに対して、シュラムの女はこう答える。
「私の愛する方は、輝いて、赤く、
万人(ばんにん)よりすぐれ、
その頭は純金です。
髪の毛はなつめやしの枝で、烏のように黒く、
その目は、乳で洗われ、池のほとりで休み、
水の流れのほとりにいる鳩(はと) 3)のようです。
その頬は、良いかおりを放つ香料の花壇のよう。
くちびるは没薬(もつやく)の液をしたたらせるゆりの花。 4)
その腕は、タルシシュ 5)の宝石をはめ込んだ
金の棒。
からだは、サファイヤでおおった象牙(ぞうげ)の細工。
その足は、純金の台座に据えられた大理石の柱。
その姿はレバノン 6)のよう。杉 6)のようにすばらしい。
そのことばは甘いぶどう酒。
あの方のすべてがいとしい。
エルサレムの娘たち。
これが私の愛する方、これが私の連れ合いです」
・・・え~~~っと、ですね。
たぶん、真っ正直に、この女性のことばをそのまま思い描こうとすると、たぶん、そう、たぶんですね、人ではない何かになってしまうと思うんですよ。
ええ、たぶん。いや、おそらく。いえ、十中八九。
ですが、(当時の物資等を知れば、もう少し面白いんですが、ごめんなさい。すぐには確実な資料を「注」に入れられない・・・)それぞれ、結局、すばらしいもの、最上級のもので、愛している方を表現しているんですよね。
(牧畜文化ではなく、農耕文化なせいか、こんな表現はなかなかないが)。
・・・・・・・私は、こんなふうに、神様を賛美できるだろうか・・・・
*****************
(そして、いつか、
相方さんとなる方を、こんなふうに大切に、ほめちぎることができるのだろうか。
日本だと、あまりご自分の連れ合いを人前で賞賛する方は少ないが。)
(思い出したついでにだが、どこかの兄弟も言っていたが、とくに、男性の場合、
「彼女(妻)のしたことを町囲みのうちで(=公で、人前で)ほめたたえよ」(箴言 31:31)
とも、旧約聖書の時点で、実は書いてあったりして・・・・・・それにしても、男尊女卑の凄まじいときから、こう記されているとは。)
【注・参考】
1)マイケル・マクローン;聖書の名句,創元社,2003
2)新約聖書において、キリストと教会とは、花婿と花嫁として描かれてもいる。
人と人との中で、もっとも近しい存在であり一つである、夫婦として。
3)
4)
5)
6)今は見る影もないが、昔、レバノンには「レバノン杉」という立派な杉の大木があったそうな。
雅歌書は、直訳では「歌の中の歌」。「歌の中の歌(song of songs)」、という表現構造は、ヘブライ語の最上級表現であり、「最高の歌」の意であるという 1)。
直接的には、ソロモン王と、シュラムの女が中心的に対話している形で描かれており、隠喩的には、今の時代では、キリストとクリスチャン(総体的に教会)との愛を示している。 2)
そんな中、『エルサレムの娘たち』が、あるとき、夫を探し続ける『シュラムの女』に向かって、こう尋ねる場面がある。
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「女のなかで最も美しい人よ。
あなたの愛する方は、ほかの愛人より
何がすぐれているのですか。
あなたがそのように私たちに切に願うとは。
あなたの愛する方は、ほかの愛人より
何がすぐれているのですか。」
・・・・・・現代風にいうと、こんな台詞かもしれない。
「あなたの恋人(もしくは好きな人)って、いったい、どこがいいの?」
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その問いに対して、シュラムの女はこう答える。
「私の愛する方は、輝いて、赤く、
万人(ばんにん)よりすぐれ、
その頭は純金です。
髪の毛はなつめやしの枝で、烏のように黒く、
その目は、乳で洗われ、池のほとりで休み、
水の流れのほとりにいる鳩(はと) 3)のようです。
その頬は、良いかおりを放つ香料の花壇のよう。
くちびるは没薬(もつやく)の液をしたたらせるゆりの花。 4)
その腕は、タルシシュ 5)の宝石をはめ込んだ
金の棒。
からだは、サファイヤでおおった象牙(ぞうげ)の細工。
その足は、純金の台座に据えられた大理石の柱。
その姿はレバノン 6)のよう。杉 6)のようにすばらしい。
そのことばは甘いぶどう酒。
あの方のすべてがいとしい。
エルサレムの娘たち。
これが私の愛する方、これが私の連れ合いです」
・・・え~~~っと、ですね。
たぶん、真っ正直に、この女性のことばをそのまま思い描こうとすると、たぶん、そう、たぶんですね、人ではない何かになってしまうと思うんですよ。
ええ、たぶん。いや、おそらく。いえ、十中八九。
ですが、(当時の物資等を知れば、もう少し面白いんですが、ごめんなさい。すぐには確実な資料を「注」に入れられない・・・)それぞれ、結局、すばらしいもの、最上級のもので、愛している方を表現しているんですよね。
(牧畜文化ではなく、農耕文化なせいか、こんな表現はなかなかないが)。
・・・・・・・私は、こんなふうに、神様を賛美できるだろうか・・・・
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(そして、いつか、
相方さんとなる方を、こんなふうに大切に、ほめちぎることができるのだろうか。
日本だと、あまりご自分の連れ合いを人前で賞賛する方は少ないが。)
(思い出したついでにだが、どこかの兄弟も言っていたが、とくに、男性の場合、
「彼女(妻)のしたことを町囲みのうちで(=公で、人前で)ほめたたえよ」(箴言 31:31)
とも、旧約聖書の時点で、実は書いてあったりして・・・・・・それにしても、男尊女卑の凄まじいときから、こう記されているとは。)
【注・参考】
1)マイケル・マクローン;聖書の名句,創元社,2003
2)新約聖書において、キリストと教会とは、花婿と花嫁として描かれてもいる。
人と人との中で、もっとも近しい存在であり一つである、夫婦として。
3)
4)
5)
6)今は見る影もないが、昔、レバノンには「レバノン杉」という立派な杉の大木があったそうな。