三島由紀夫の「憂国」を読みました。
以前このブログで美輪明宏さんの記事を書いたときに名前が出てきたので、ついでに三島由紀夫についても書いてみようかということで、読んでみた次第です。
このブログの読書カテゴリでは最近日本の文豪を扱っており、その一環ということでもありますが……じつは三島由紀夫、意外にミステリーともかかわりはあります。
江戸川乱歩原作の舞台『黒蜥蜴』をやったというのもその表れですが、ミステリー界において世紀の奇書と目される中井英夫『虚無への供物』を高く評価したりもしているのです。三島由紀夫には、ジャンルを問わず、すぐれた才能が世に出る手助けをするというようなところがあって、美輪明宏さんも、そんな三島の目にかなった天才の一人なのでした。
「憂国」は、二・二六事件時における、ある将校とその妻の自決を描いた物語です。
主人公である武山信二中尉は、二.二六事件で仲間が決起部隊に参加していた。このままだと、鎮圧部隊の側としてその仲間たちを討伐しなければならないことになる。それは忍びない……ということで、新妻とともに心中するのです。後半、武山中尉の切腹の場面は、じつに細密に描写されています。そこには、三島由紀夫が切腹というものに対して持っていた並々ならぬ関心があらわれているようです。
まあ、いかにもというか……あの自衛隊市ヶ谷駐屯地における自決事件をダイレクトに予感させる作品ともいえるでしょう。
まるで軍人の鑑ともいうべき主人公と、まありにもできすぎた嫁。
二人して潔く死に赴くその姿は、美しいのかもしれません。
しかし……ここに描かれていることは、やはり克服されなければならない何かだと私には思われます。
タイトルで「憂国」といっていますが、そもそも二.二六事件を義挙とすること自体、私は同意しかねます。
国を憂えるというのなら、二.二六事件は具体的な行動として方向性を誤っているといわざるをえないでしょう。
現実問題として、この事件は日本が暗黒時代に突入していく決定的なステップなのであり、その暗黒時代の果てには焦土が待っているのです。
この短編を収めた短編集『花盛りの森・憂国』の新装版の帯には《「憂国」は右翼じゃない、エロスだ》という宣伝文句があるんですが、これもどうなんだろうと私には思えました。
先述したように、切腹の描写には、三島の強い関心があらわれていて、そこにはいささかアブノーマルな執着のようなものがありますが、それこそ江戸川乱歩のようなエロスをここに感じるかといえば……そんなこともありません。まあ乱歩と比べるのもどうかという話ではありますが、ここには根本的な違いがあるように私には思われます。
三島が若き日の美輪明宏に「黒蜥蜴はきみ自身だ」といった話は以前紹介しましたが、それに対して美輪さんは「あなたこそ黒蜥蜴だ」と返したといいます。
たしかに、それは正しいかもしれません。
世界との戦い……そんなふうに考えると、「憂国」というのは案外ある種の方便で、割腹自殺ということそれ自体が目的だったんじゃないかという風にも思えます。そのほうが、仰々しく昭和維新の大義に殉ずるなどという美辞麗句よりもよほどマシなんじゃないかと感じられるのです。
まあ、私としては「薄気味悪いナルシスト」とまではいいませんが(笑)、過剰なまでの自己愛ということはたしかにいえると思います。それがある種の倒錯につながっていくという……そのへんが乱歩との共通項でもあるんでしょう。
ただ、その発露の仕方に、三島と乱歩とのあいだではやはり決定的に違う何かがあるように感じられ……そのあたりを突き詰めていくと、興味深い発見があるのかもしれません。