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神楽坂はん子「ゲイシャ・ワルツ」

2020-10-24 20:58:57 | 音楽批評



今回は、音楽記事です。

このカテゴリーでは、最近昭和歌謡の方向にいっていて、昭和初期の歌謡曲について何回か書いてきました。
それらの記事でも何度か名前が出てきましたが、この時代を代表する作曲家といえば、古賀政男です。
話のついでなので、ここらで古賀政男の曲についても書いておこうと思います。


紹介するのは、神楽坂はん子のゲイシャ・ワルツという歌です。

1952年のヒット曲。
神楽坂はん子がもともと芸者だったということと、当時ヒットしていた江利チエミ「テネシー・ワルツ」に対抗して、「ゲイシャ・ワルツ」となったそうです。

一応解説めいたことをちょっと書いておくと、冒頭に「あなたのリードで島田も揺れる」といっている「島田」とは「島田髷」のことで、下の画像のような髪型です。


さて――このゲイシャ・ワルツという曲、ゲイシャというものをモチーフにしていることもあいまって、いかにも日本の歌謡曲という感じがします。
その、“いかにも日本の歌謡曲”というふし回しが“古賀メロディ”と呼ばれたりするわけですが……意外にも、その古賀メロディには、朝鮮半島の音楽が強く影響しているといいます。

古賀政男という人は、福岡県出身ですが、多感な少年期を韓国で過ごしました。
幼いころに父が死去したため、仁川に住んでいた伯父のもとに身を寄せ、8歳から18歳までの十年ほどを韓国で過ごしているのです。このことが、いわゆる“古賀メロディ”に影響を与えたといわれています。

このあたりは、日本文化の特質をよく表しているように思えます。

古賀メロディ的な節回しは演歌にも強い影響を与えていると思われますが、そういう日本固有と思える文化も、源流をたどっていくと朝鮮半島や中国大陸に行きつくという……たとえば、古賀政男の作とされるヒット曲「南の花嫁さん」が、実は中国人作曲家による器楽曲をもとにしたものであるなどといったエピソードも、その一端でしょうか。

もちろん、それが悪いわけではありません。
外来の文物をアレンジして独自に発展させることが日本文化の特質であるなら、それはそれで“日本の文化”といっていいでしょう。
そう考えると、“古賀メロディ”はまさに日本的なるものであり、古賀政男は日本大衆歌謡を確立したともいえるのです。



以上見てきたように、古賀政男は日本の大衆音楽史に大きな足跡を残しました。

しかし……その経歴には黒歴史の部分も。

古関裕而と同様に、古賀政男もまた、戦時中には軍歌を作っているのです。

再三いってきたように、歴史的な背景を考えれば、そのこと自体はやむをえない部分もあるわけです。戦前から戦後にかけて活動したアーティストであれば、程度の差はあれ、たいていその手の話つきまとってきます。前回「軍歌を書かなかった作曲家」として紹介した服部良一も、軍に協力はしていました。であれば、古賀政男が軍歌を書いていたというのも、さほど問題にするべきではないでしょう。

ただ、古賀政男の場合、大作曲家ゆえなのか、時局がかなり差し迫ってきた状況下でも歌謡曲的な歌をまだ発表していました。

たとえば、1936年の「東京ラプソディ」。
「楽し都 恋の都 夢のパラダイスよ 花の東京」と歌うこの歌は、2.26事件が起きた年に発表されました。
また、先述の「南の花嫁さん」は、1942年。太平洋戦争の真っ最中です。
その明るい曲調や歌詞からして、戦時中に発表されたとはとても思えない歌なんですが……もしかするとそれは、古賀政男なりの時局への抵抗だったのかもしれません。

古賀政男は、戦後になって「広島平和音楽祭」というイベントを開催しています。
これは、結果として戦争に加担したことに対するある種の総括ともとれるでしょう。1974年。古賀がこの世を去る4年前のことです。その後20年にわたって続くことになるこの催しは、ある意味では古賀政男の置き土産ともいえるでしょう。

――ということで、次回の音楽記事では、この「広島平和音楽祭」にまつわる一曲について書こうと思います。





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