以前このブログで、カエターノ・ヴェローゾについて書きました。
そこでブラジルの軍事政権のことをちょっと書いたのですが……今回は、そのブラジル軍政について、書いてみたいと思います。
ブラジルの軍事政権は、他の中南米諸国と同様、ポピュリズム政権を軍がクーデターで倒したところからはじまります。
ポピュリズム政権は行き詰まりをみせており、軍はそこをついてクーデターを決行。キューバ革命以降、中南米での左派勢力拡大に警戒心を抱いていたアメリカをバックに、軍事独裁政権を樹立します。
行政府への権限集中、その結果として、国会の有名無実化、人身保護規定の停止、マスコミへの検閲――軍事独裁政権のおきまりのパターンで、国民の自由は奪われていきます。政府への批判的な報道は封じられ、政府が「危険人物」とみなした者は、令状なしで逮捕され、拷問される。およそ20年にわたる「鉛の時代」のはじまりで、その抑圧の中で多くの知識人がブラジルを離れていきました。カエターノ・ヴェローゾも、その一人です。
このブラジル軍政は、経済的には一定の成果を出したといわれます。
先述したとおり、ブラジル軍政は共産主義の浸透を防ぎたいというアメリカを後ろ盾としていたわけですが、それは経済政策にもくっくりと反映されています。
共産主義と対極にある、極端な経済的自由主義――いわゆる“新自由主義”を取り入れていくのです。
新自由主義を代表する経済学者といえばミルトン・フリードマンですが、その一派は、シカゴ大学を拠点としていたことからシカゴ学派と呼ばれます。
そのシカゴで学んだブリードマンの門下生たちは、シカゴボーイズと呼ばれ、南米の軍事政権で経済政策に関与していくのです。
ブラジルの場合、カンポスやシモンセンといった人たちがそれにあたるといいます。
保護的な仕組みを取り払って、外資に門戸を開くその経済政策は、一定の成果をあげました。
年平均10パーセントを超える高い成長率で、「ブラジルの奇跡」とも呼ばれる経済発展を実現したのです。
しかし、軍事政権の開発主義は、およそ7年ほど経ったところで行き詰まりをみせます。南米諸国によくみられる現象ですが、外資に大きく依存していたために、石油危機後の先進国の経済不況で資本流入がストップすると、たちまち苦境に立たされることになりました。
その要因として指摘されるのは、内需の弱さです。
自由経済の必然として貧富の格差を拡大させ、結局は国内市場を拡大させることができず、外資と外需にたよるいびつな経済構造から脱却できなかった……ということでしょう。そのため、海外の経済状態が悪化すると、資本が滞るだけでなく、生産したものも思うように輸出できなくなり、国内に消費市場がなければもうどうしようもなくなってしまいます。
それまでは、経済的な恩恵があればこそブラジル国民も軍政を容認していたわけですが、それがなくなれば、もう「鉛の時代」を我慢する理由もありません。国民のあいだでは激しい反政府運動がおこり、軍事政権は終焉を迎えるのです。
つまるところ、新自由主義的な経済政策というのは、導入した当初の数年間はうまくいくけれど、しばらくすると必然的にうまくいかなくなるということだと思うんです。
中南米諸国では、ブラジルと同じように新自由主義的な政策をとった軍事政権がいくつかありましたが、ほかの国々でもやはり同じような問題が生じ、結局のところ、ラテンアメリカに相次いで左派政権が誕生するということになりました。
軍政期のブラジルは、「拷問の手法においてはナチスを上回る」とさえいわれる苛烈な弾圧体制でした。
仮に「奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げたとしても、果たして、それは抑圧的な独裁体制と釣り合うものなのか。ましてそれが数年しか持続しえないものだとしたら……
そういったことを考えると、いくら経済がうまくいっているように見えたとしても、やはり独裁体制というのはダメなんだと思いますね。抑圧的な体制の下では、まともな消費社会が生まれないので、いずれ何かのきっかけでつまづき、坂道を転げ落ちるようにして崩壊していくでしょう。
そこでブラジルの軍事政権のことをちょっと書いたのですが……今回は、そのブラジル軍政について、書いてみたいと思います。
ブラジルの軍事政権は、他の中南米諸国と同様、ポピュリズム政権を軍がクーデターで倒したところからはじまります。
ポピュリズム政権は行き詰まりをみせており、軍はそこをついてクーデターを決行。キューバ革命以降、中南米での左派勢力拡大に警戒心を抱いていたアメリカをバックに、軍事独裁政権を樹立します。
行政府への権限集中、その結果として、国会の有名無実化、人身保護規定の停止、マスコミへの検閲――軍事独裁政権のおきまりのパターンで、国民の自由は奪われていきます。政府への批判的な報道は封じられ、政府が「危険人物」とみなした者は、令状なしで逮捕され、拷問される。およそ20年にわたる「鉛の時代」のはじまりで、その抑圧の中で多くの知識人がブラジルを離れていきました。カエターノ・ヴェローゾも、その一人です。
このブラジル軍政は、経済的には一定の成果を出したといわれます。
先述したとおり、ブラジル軍政は共産主義の浸透を防ぎたいというアメリカを後ろ盾としていたわけですが、それは経済政策にもくっくりと反映されています。
共産主義と対極にある、極端な経済的自由主義――いわゆる“新自由主義”を取り入れていくのです。
新自由主義を代表する経済学者といえばミルトン・フリードマンですが、その一派は、シカゴ大学を拠点としていたことからシカゴ学派と呼ばれます。
そのシカゴで学んだブリードマンの門下生たちは、シカゴボーイズと呼ばれ、南米の軍事政権で経済政策に関与していくのです。
ブラジルの場合、カンポスやシモンセンといった人たちがそれにあたるといいます。
保護的な仕組みを取り払って、外資に門戸を開くその経済政策は、一定の成果をあげました。
年平均10パーセントを超える高い成長率で、「ブラジルの奇跡」とも呼ばれる経済発展を実現したのです。
しかし、軍事政権の開発主義は、およそ7年ほど経ったところで行き詰まりをみせます。南米諸国によくみられる現象ですが、外資に大きく依存していたために、石油危機後の先進国の経済不況で資本流入がストップすると、たちまち苦境に立たされることになりました。
その要因として指摘されるのは、内需の弱さです。
自由経済の必然として貧富の格差を拡大させ、結局は国内市場を拡大させることができず、外資と外需にたよるいびつな経済構造から脱却できなかった……ということでしょう。そのため、海外の経済状態が悪化すると、資本が滞るだけでなく、生産したものも思うように輸出できなくなり、国内に消費市場がなければもうどうしようもなくなってしまいます。
それまでは、経済的な恩恵があればこそブラジル国民も軍政を容認していたわけですが、それがなくなれば、もう「鉛の時代」を我慢する理由もありません。国民のあいだでは激しい反政府運動がおこり、軍事政権は終焉を迎えるのです。
つまるところ、新自由主義的な経済政策というのは、導入した当初の数年間はうまくいくけれど、しばらくすると必然的にうまくいかなくなるということだと思うんです。
中南米諸国では、ブラジルと同じように新自由主義的な政策をとった軍事政権がいくつかありましたが、ほかの国々でもやはり同じような問題が生じ、結局のところ、ラテンアメリカに相次いで左派政権が誕生するということになりました。
軍政期のブラジルは、「拷問の手法においてはナチスを上回る」とさえいわれる苛烈な弾圧体制でした。
仮に「奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げたとしても、果たして、それは抑圧的な独裁体制と釣り合うものなのか。ましてそれが数年しか持続しえないものだとしたら……
そういったことを考えると、いくら経済がうまくいっているように見えたとしても、やはり独裁体制というのはダメなんだと思いますね。抑圧的な体制の下では、まともな消費社会が生まれないので、いずれ何かのきっかけでつまづき、坂道を転げ落ちるようにして崩壊していくでしょう。