手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

55年ぶりに聞いた友の声

2007-06-16 19:43:12 | 身辺雑記

 一月ほど前だったでしょうか、電話が来て、私が取りました。「もしもし、村川です」とうけた、すると「潤一君ですか」ときた。「はいそうです」と応えながら、誰だろう?と思う間もなく「田中です」という、頭の中で何人かの田中を思い浮かべる、だが「潤一君」と呼びかけるような田中の顔が浮かばない。すると「美幌の田中です、栄典です」という。判りました。大学時代のいわば悪友で、卒業後あったことは無いけれど、年賀だけはやり取りをしてきていた。卒業から、もう55年ほど経つ。その間一度も会ったことが無いし、電話のやり取りもなかった。其れが突然の電話。

 電話の内容は、6月20日に旭川で同期会の総会がある。その案内が来ていて、私は、既に欠席の返事を出した後だった。彼は、私に会いたい、私が行くのなら出ることにするからという、話だった。折角の誘いなので、それじゃ出ることにしよう。欠席の返事を出したばかりだけれど、取り消して出席にするからと約束する。

 次の日、まだ急ぐことも無いと、欠席の取り消しの葉書を書かないでいたら、夜、再び田中君から電話が入り、やっぱり行けない、また来年でも都合がつけばといってきた。それで終わったと思っていた。

 それが、先日(13日)に電話が来た。私がこのときも電話を取った。「潤一君ですか」ときた、おお!田中君かい、とすぐ返事が出来た。ところが、「20日の同期会の返事の締め切りが15日だけど、潤一君が出席するのなら僕も出席したい、まだ間に合うからどうですか、ずっと会っていないから、一度会ってみたい」という。どうも、話し振りは、一月前に電話で今年は行かないと約束したことを、忘れているみたいなのです。一寸気にかかりましたが、今改めて出席にする気も今度は起きなくて、私は行けない旨を話して、また来年でも都合がつけば会いましょうということで電話を切りました。

 55年ぶりの声、折角会いたいといってくれたのに、悪いことをしたようにも思うけれど、反面、一月前に話したことを忘れての電話となれば、これはすこし面倒な事態かもしれない、ひょっとして認知症に近くなっているのではと心配になる。

 自分を見つめても、この頃の物忘れは、酷いものだ。人の名前など、簡単に忘れて、思い出すのが容易でない。高倉健の名前を忘れて、あれあの夕張の黄色いハンカチの・・・といつたことは、日常茶飯事。

 それでも、詩吟の詩文はなかな忘れないみたい、でも、間違っていることすら気がつかないなんてことに何時なるかわからないのです。年を取っての怖さをこんなことで感じるのです。
コメント
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