時津風部屋での、新弟子かわいがりは、死にいたるまでのものだった。相撲界には、隠然として引き継がれているいわば弟子の教育のための、暴力というかわいがり方があるのだと思う。「しごき」「やきいれ」棒で尻を叩くとか、土俵でのぶつかり稽古という形での「かわいがり」が、あったのだと思う。
学校教育の場でも、愛の鞭を使う先生は結構多かった。いまや、愛の鞭も暴力として許されなくなっている。
戦時中、私は昭和20年に農業学校に入学して、寮に入った。そこで、上級生からの「焼きいれ」「しごき」を受ける経験をした。私が叩かれたのは一度だけでした。寮の1年生全員が食堂に集められ、説教をされ、言われたとおりにしなければこういう目に遭うのだといって、「整列びんた」をいただいた、叩かれたのはそのとき1回で済みました。
この一度の「説教」「整列びんた」は、生まれてはじめての恐ろしさだった。それから、そんな目に遭わないように、自分を変えました。言葉遣いから、立ち居振る舞い、勉強の仕方まで変りました。
何度も、しごかれる仲間もいました。説教は、よくされました。その場で前に出されて、殴られる仲間がいました。いつ自分にもそんなことが起きるかしれないのです。いつも気持ちを引き締めていなければならない、でも、苦痛には思いませんでした。
上級生の、このしごきも、程度がありました。叩くのでもほぼ往復びんた位で済んでいました。
私にとって、あの上級生からの、この愛の鞭は、自分を成長させるために随分役立ったのだと、受け入れてきました。
このような愛の鞭が暴力として許されなくなっている。このような時代でもほとんどの人は、きちんと順応し、しっかり生きている。すごいと思います、今の時代に、青少年期を自分が送ったとして、どんな生き方になっていたのだろうと考えると恐ろしくなります。
昔からあった、愛の鞭、しごきといったものが、今は変わっている。まさに暴力になり、その激しさは、殺すところまでやる・・・・どうしてそうなったのだろう。いじめの問題にしても、いじめる加減が半端でなくなっている。
教える人、私は結局学校で、先輩に教えられたところが多い。今の学校は先生がその任を果たさなければならない。愛の鞭を持たないで・・・。先生も大変だと思う。
相撲界も変わらなければならない。どんな秘策があるのか。難しい問題に直面することになるのでしょう。