最近は歴史ブームだとか。特に坂本龍馬伝のおかげなどで、維新の歴史が良く読まれているようだ。
私は詩吟を教えている関係で、維新の志士たちの詩も沢山扱いますので、いろいろ勉強をさせていただいています。そんななかの一つ、広瀬淡窓の「桂林荘雑詠」の結句を取り上げてみた。
江戸時代、各藩とも学問を重要視し、藩としての学問所を設けていた。また私塾も沢山有り、進んで学問をする青少年は多かった。広瀬淡窓も私塾を開き子弟のの育英に勤めた人である。桂林荘は後、咸宜園と称されるようになるが、ここには淡窓の見識を慕って全国から子弟が集まったという。その塾生たちの学問に対する真摯な態度がこの一節で知ることが出来る。朝食を作るために、君は水を汲んできてくれ、私は薪を拾ってこようといっている。たかがこれだけだけれど、共に学ぶ者として、共に助け合い、励ましあっている姿がふつふつと浮かんでくる。千里の道も遠しとせず、笈を背負って多くの子弟が集まったのだ。
ちなみに、詩吟が本格的にやられるようになったのは、この桂林荘からと言われてもいる。学ぶことは、楽しい。特に日本のように永く鎖国政策を採っていた国にとって、このような塾で新しい世界を学問を通して知ってゆくことは素晴らしいことだったのだ。学び、論ずることの素晴らしさを知らしめたのは、私塾だったと思う。