「ああ、おいたり、これ、たれの、あやまちぞや」と読む。朱子学の祖、朱熹の勧学文の結句です。「嗚呼」という詠嘆は、この詩では、すべきときに学問に励まず、ついに学のならないまま老いを迎えて自分を嘆く意味だ。しかし、単に学問と考えることは無く、自分の人生と考えてもいい。
私自身について言えば、今正に老境にあります。振り返ってみれば、教員として38年務め、校長は勿論教頭にもなれませんでした。教員としてその職責を十分果たしたかと振り返っても、到らなかったことだけが思い起こされます。退職して20年、今の自分をみて、「嗚呼」と嘆くことはありません。多くの方達と、共に励ましあい、共に努力しています。
40を過ぎて入った詩吟が、私の人生になりました。一寸の光陰を惜しんで学んだわけではありませんが、づっと続けてきました。
結局、地位とか財産の問題ではなく、どれだけ充実した人生に出来るかという問題だと思う。「是でよかった」と言って、従容として死につけるなら「嗚呼」という詠嘆はいらないのでしょう。
なお、朱熹には,この詩の内容と同じ詩「偶成」があります。「少年老い易く学なり難し」と言う誰もが知っている詩です。この詩の結句は「階前の梧葉已に秋声」です。