「ろうとう あらたにとどむ だくしゅのはい」杜甫の「登高」の一節です。
"老いさらばえて、今新たに好きな酒までも止めなきゃならなくなった"と言うのだけれど、そうなんですよね。誰にもいつか来ることなのです。
気持ちはまだ若いつもりでも、体は間違いなく歳相応にくたびれているのです。それでもついつい飲み過ぎて、二日酔いならぬ三日酔いなどしていては、酒もやめなきゃならない日が、ぐんと近くなる。
杜甫の場合は、こんな私たちとはまったく違う次元の話で、この詩を読むとなんとも言いようの無い悲哀が胸を打つのです。双璧と称される李白の酒は、とても楽しい酒に思われるが、杜甫の場合は苦しみを紛らす酒でもあったのでしょうが、その酒すら飲めなくなったとすると残るのは何なのでしょう。