手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

「親朋一字無く/老病孤舟有り」  杜甫

2010-04-10 19:39:57 | 随想

 この詩は、杜甫の死ぬニ年前の作です。洞庭湖のほとり、岳陽楼に登った時のものです。
前半は洞庭湖の大きな景観を見事に表現しています。その洞庭湖を前に自分の惨めな姿を書くのです、「親からも友達からも一字の便りすら無い。老いて病がちな自分にあるのは一艘の小舟だけだ」というのです。この頃の杜甫は、いろいろな病気(マラリヤ・肺病・神経痛・糖尿病など)を次々に患っていたようです。そして、一箇所に落ち着いていることなく、舟で旅を続けていたのだと言います。この句を読むと、「登高」の「潦倒新たに停む濁酒の杯」という言葉がよみがえります。

 本当に、李白とはまったく違う。李白の詩にはこのような、悲哀を感じさせるものが無い。杜甫は自分をこのような境遇にさせたのは、戦乱の世だと時勢を嘆いています。「国敗れて山河在り」と歌ったのは、まだまだ前で、この岳陽楼の詩の最後は「戎馬関山の北/軒に憑って涕泗流る」と結ばれます。関所の山の向こうでは今も戦いが続いている。そんな時勢を考えるにつけても涙が流れて止まない。というのでしょう。戦ゆえに故郷に帰ることも出来ず、放浪の生活をしなければならない己の身と、戦乱の世を憂える気持ちが重なっているのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする