手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

健幸くらぶ 詩吟    詩吟の世界の閉鎖性・・・

2016-03-16 20:13:16 | 詩吟関係
 健幸くらぶ詩吟今日は全員(6名)参加。

 今日は「日本刀 大鳥圭介」「弘道館に梅花を賞す 徳川景山」「山中問答 李白」の3題をやりました。吟の前に一人づつ素読をさせます。教室の生徒よりはるかに上手に読んでくれます。聞いていても気持ちが良い。吟は最初コンダクター伴奏をつけてやり、二回り目は前奏だけで吟じてもらいます。かなり慣れてきていますが、まだ前奏だけだと吟力が落ちます。

 しかし、其れが伝統で、詩吟の良さでもあるという反論があると思うけれど、いろいろな音楽芸能がありますが伴奏なしでやるのは詩吟くらいだと思う。最初から伴奏かあったわけではないでしょうが、伴奏があってこそ、歌う人も聞く人も楽しいから伴奏がされるようになったのだと思う。詩吟について言えば、勿論伴奏なしで吟じられてきたけれど、琵琶が伴奏楽器になってみたり、尺八が伴奏楽器になったりして来ていますが、琵琶にしても尺八にしてもそんなの多くの方がやれるわけでないから伴奏なしできたと思う。でも大きな大会などでは尺八とお琴を組み合わせた伴奏などが使われていた。しかし、小さに教室ではできないことでした。しかし、最近コンダクターという専用伴奏楽器ができてきました。更にCDでオーケストラ伴奏も作られ、それらを使えば伴奏有りで楽しめるのです。

 今私の所属している北詩連では先生方のほとんどはコンダクターの伴奏をすることができる。又、北詩連としてオーケストラ伴奏のCDなどを用意して呉れている。そんなことを考えると、もっと大胆に伴奏をつけて吟じる方向性を勧めるべきでないでしょうか。それでなくても庶民的な楽しさの領域からは遠い詩吟です。伴奏なしでやる下手な吟を聞かされたら、誰も興味を持たないでしょう。今詩吟人口の少なくなったことを嘆く人は多い。しかし、積極的に伴奏をつける運動が出てこない。今、全国一の勢力を誇る日本詩吟学院がそんな運動をしてくれると変わるかもしれない。コンダクターも尺八も同じ楽器です。尺八と同じ感覚でコンダクターを引けば、ちゃんと伴奏が成立するのです。一番問題なのは資格審査なのでしょうが、民謡が尺八伴奏で審査すると同じように、コンダクターの伴奏で審査するという方向を確立したら、先生方も本気でコンダクターの伴奏を稽古することになるでしょう。生徒さんもそれなら楽しく審査を受けることができます。

 それでも北詩連の 競吟大会がオーケストラ伴奏で進められているのは良いことだと思います。

 詩吟の世界の閉鎖性はひどいものだと思う。たとえば、プログラムの印刷にしても縦書きでなければならないみたいな考えがあるし、プログラムの吟題も漢詩の原文の通りでなければならないような考えが普通のようです。詩吟は芸能の領域になっていて、漢文からは離れているのですから、書き下し文で書くのが当然なのですが、そうはならない。こんな考えが主流なら詩吟はいずれ滅びることになるでしょう。詩吟が伝統芸能だといえないのでしょうか。この素晴らしい詩吟をもっともっと広め、多くの人に愛されるためには、もっと庶民の心に響くようなものにしていきたい。</font>
コメント
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