手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

春分  お盆の中日  お寺参りに行ってきた  法華の太鼓をたたいてみました

2016-03-20 20:36:26 | 身辺雑記
 私の家の宗派は日蓮宗です。父のルーツは佐渡なのでと納得していたのですが、またたま新潟で姪の結婚式があり兄弟が集まったので、そのついでにルーツを尋ねる気になってみんなで佐渡の小木港まで出かけてきた。行って驚いたのです。日蓮宗のお寺はないのです。ただ一つのあったお寺に行ってみました。墓碑に村川家がたくさんあるのです。屋号が分からなければ、ルーツを尋ねることもむつかしいようで要するに小木の出身だということを確認しただけの収穫でした。

 多分北海道にわたって、小木のお寺と同じ宗派がないので、佐渡に縁の深い日蓮宗に改宗したのだと思います。私はお寺に全く縁がなかったのですが、札幌で父を亡くし、その時たまたまお世話になることになったのが今の妙典寺なのです。丁度改築したばかりのお寺でした。本堂は土足で上がれ、椅子に座れますのでとてもありがたい。

 お彼岸とお盆には必ずお参りしています。椅子席の一番前の方に座る方たちが団扇太鼓をたたくのです。ずっと勧められても太鼓をたたく気にならなかったのですが、この頃たたかせてもらっています。だんだん良くなる法華の太鼓・・本当にそうです。簡単な拍子なのですがみんなの音が一つになるの少し時間がかかります。ドンカ ドンカ ドンドンカッカといったリズムです。

 住職はとても気さくな方で皆様から慕われてます。本堂には寄進されたグランドピアノがあり、また檀家の方に女性のプロ歌手がいて、何回か法事の後の食事時に歌を披露してくれたこともあります。グランドピアノは寄進した方が一度引いて聞かせてくださいました。

 今日は寒い一日でした。お寺から帰って、家でごころごろして過ごしました。明日も休日、午後からはカラオケに行ってみようかと思う。
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平和教場  8名出席   岩見沢神宮講・・・8名で参加します   

2016-03-19 18:44:45 | 詩吟関係
 人数が多く時間がかかりました。通常の稽古終わったら14時30分だった。少し休憩して岩見沢神宮講でやる吟題の稽古をしました。

 男性は皆様 独吟なのでいいのですが、女性4名での連吟が大変なのです。今日が最後の稽古です。オーケストラ伴奏を使っての出演です。石狩から来ている市橋さんがリーダーです。今日で二回目の稽古、もう少し工夫したいところもあるのですが、そのままやらせました。

 今年はお酒を飲まない小田桐さんと塚本さんの車に分乗してゆくことになりました。

 岩見沢神宮講の発表会、ここに案内されていて、この数年平和教場の会員が全員参加させてもらっているのです。とても不思議に思われるのでしょう。私たちは岩見沢神宮講の講員ではないのです。それがこのような形で参加しているのです。

 岩見沢神社での神宮講を立ち上げたのが、お亡くなりになった私の最初の詩吟の先生、東先生でした。東先生がお亡くなりになった年、私は象堂流を退会しました。この時共に象堂流を退会したのが葛西先生で、葛西先生は毎年私の会の交歓吟詠会に東先生とともに出席してくれていて私の会とは深い付き合いがありました。葛西先生は以前から神宮講で東先生のお手伝いをして、東先生が亡くなってからは神宮講を支えてきていました。そして、私の会の交歓会のような会を持つのが夢だったと思います。それが数年前から゚実現され、私の会への案内となっているのです。神宮講には象堂流を退会した多くの仲間が参加しています。又、北詩連の岩見沢支部が参加していています。主流となっているのは国風流です。又詩吟連盟岳風会所属の先生たちも参加していてとても楽しい会です。

 一寸困るのは、私の会から参加する人は特別扱いで、吟の紹介では先生つけで呼ばれるのです。一寸、くすぐったいのですが、お任せしています。今年は3月19日(火)、もうすぐです。
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手稲第二教場 詩吟  5名全員出席

2016-03-18 18:39:40 | 詩吟関係
 今日は教室も第三会議室が取れていてよかった。鈴木さん退会となりました。金曜日別の趣味に行くことになり、詩吟は福祉センターの方へ来るということです。それで会員数5名となり、今日は全員参加となりました。

 みんなとてもよく稽古をしてきてくれています、とくに初心の二人はとてもよく勉強てきてくれた感じでした。後半、交歓吟詠会の吟題を決めてもらい、その稽古をしてみました。みんなとてもいい吟題を選んだように感じました。その稽古の終わらせ、「海南行  細川頼之」をやって終わりました。

 高橋さんが復帰してくれて教室に張りが出たように思います。

 一昨日たまたま手稲駅アイクル広場を通りましたら、なんと「残響」のパネル展をしてるではありませんか。懐かしく一通り目を通してきました。「いの平」で田中先生とお会いしてその話を聞き、すごい感動を受け、私も胸像移転の賛助会員となって除幕式まても参加させていただきました、そして、ささやかでありますが随筆集を作り手元に今もあります。コミュニティセンターの文化祭で田中先生の講演会を開いてもらったこともありました。

 あの当時の感動を風化させたくないという思いが、此の展示会になっているのでしょう。札幌と鹿児島に「久成会」があって、毎年交流会が開催され、その折胸像の掃除をしていると聞いています。

 北海道は黒田清隆達薩摩藩の手で開拓が進められたのでしたが、村橋久成は政府のビール工場建設の計画に、適地は札幌だといって進言して、その設立を任され成功したのです。しかし、札幌ビール工場は民間に払い下げられるのです。北海道開拓の大きな力になるはずだったビール工場が、その力を発揮する前に払い下げになる。その底を流れている黒い霧に抗するには無力だった。職を辞することではその無念をはらすことのできなかった村橋は忽然と姿をくらまし数年後神戸で行路病者として行き倒れて見付けられるのです。

 北海道開拓に村橋のかかわったものは大変多く北海道開拓史に名を残さなければならない村橋が、札幌ビール工場の歴史にさへ名前が遺されていななかったのです。それを掘り起こしたのが田中先生で、「残響」という小説だったのです。
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反省会に出てきました  Kさんに失礼してしまった

2016-03-17 20:50:24 | 身辺雑記
 18時からある会の反省会があり参加してきました。昨年から飲酒に自信がなくなりました。もう今年は86歳になるのです。ほとほどに鉾を収めてもよいころです。でも飲み方次第でまだおつきあいくらいはできる状況があります。

 一時期ウコンを先に戴いて飲むことをしました。すると初めのお酒がおいしくないのです。しかし少し酒がまわってくるとどんどん飲むことになるのです。それがあまり良くないことに気づき、酒は止めようかと考えていました。しかし、心して飲めばお付き合い程度はできることに気が付き、ウコンは使わずにビールジョッキ一杯くらいでやめるように飲むことにしました。今日は中ジョッキ二杯ほどいただきましたが、今ブログをかけています。

 ただ一寸申し訳ないことをしました。会場を出たところで、同じ町内会のKさんと顔を合わせ一緒に帰りましょうと話してすぐそばに詩吟の仲間のSさんがいたので、挨拶しました。そしてハイヤーの乗車場に向かって歩き出しました。Sさんと話しながら歩いていて、Kさんそばにいるものと思いつつ歩いていました。ハイヤーの処でSさんと別れそばを見たらKさんいないのです。私は初めからハイヤーで帰るつもりでしたがそれをKさんに言わないで歩き出したのです。私がさっさと行ったので、Sさんと行動を共にすると思われたのかもしれません。申し訳ないことをしました。

 
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健幸くらぶ 詩吟    詩吟の世界の閉鎖性・・・

2016-03-16 20:13:16 | 詩吟関係
 健幸くらぶ詩吟今日は全員(6名)参加。

 今日は「日本刀 大鳥圭介」「弘道館に梅花を賞す 徳川景山」「山中問答 李白」の3題をやりました。吟の前に一人づつ素読をさせます。教室の生徒よりはるかに上手に読んでくれます。聞いていても気持ちが良い。吟は最初コンダクター伴奏をつけてやり、二回り目は前奏だけで吟じてもらいます。かなり慣れてきていますが、まだ前奏だけだと吟力が落ちます。

 しかし、其れが伝統で、詩吟の良さでもあるという反論があると思うけれど、いろいろな音楽芸能がありますが伴奏なしでやるのは詩吟くらいだと思う。最初から伴奏かあったわけではないでしょうが、伴奏があってこそ、歌う人も聞く人も楽しいから伴奏がされるようになったのだと思う。詩吟について言えば、勿論伴奏なしで吟じられてきたけれど、琵琶が伴奏楽器になってみたり、尺八が伴奏楽器になったりして来ていますが、琵琶にしても尺八にしてもそんなの多くの方がやれるわけでないから伴奏なしできたと思う。でも大きな大会などでは尺八とお琴を組み合わせた伴奏などが使われていた。しかし、小さに教室ではできないことでした。しかし、最近コンダクターという専用伴奏楽器ができてきました。更にCDでオーケストラ伴奏も作られ、それらを使えば伴奏有りで楽しめるのです。

 今私の所属している北詩連では先生方のほとんどはコンダクターの伴奏をすることができる。又、北詩連としてオーケストラ伴奏のCDなどを用意して呉れている。そんなことを考えると、もっと大胆に伴奏をつけて吟じる方向性を勧めるべきでないでしょうか。それでなくても庶民的な楽しさの領域からは遠い詩吟です。伴奏なしでやる下手な吟を聞かされたら、誰も興味を持たないでしょう。今詩吟人口の少なくなったことを嘆く人は多い。しかし、積極的に伴奏をつける運動が出てこない。今、全国一の勢力を誇る日本詩吟学院がそんな運動をしてくれると変わるかもしれない。コンダクターも尺八も同じ楽器です。尺八と同じ感覚でコンダクターを引けば、ちゃんと伴奏が成立するのです。一番問題なのは資格審査なのでしょうが、民謡が尺八伴奏で審査すると同じように、コンダクターの伴奏で審査するという方向を確立したら、先生方も本気でコンダクターの伴奏を稽古することになるでしょう。生徒さんもそれなら楽しく審査を受けることができます。

 それでも北詩連の 競吟大会がオーケストラ伴奏で進められているのは良いことだと思います。

 詩吟の世界の閉鎖性はひどいものだと思う。たとえば、プログラムの印刷にしても縦書きでなければならないみたいな考えがあるし、プログラムの吟題も漢詩の原文の通りでなければならないような考えが普通のようです。詩吟は芸能の領域になっていて、漢文からは離れているのですから、書き下し文で書くのが当然なのですが、そうはならない。こんな考えが主流なら詩吟はいずれ滅びることになるでしょう。詩吟が伝統芸能だといえないのでしょうか。この素晴らしい詩吟をもっともっと広め、多くの人に愛されるためには、もっと庶民の心に響くようなものにしていきたい。</font>
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福祉センター詩吟  18名でした

2016-03-15 20:41:12 | 詩吟関係
 先週の22名は多すぎる感じで、次からは減ると先週書いたのでしたが、その通り今日は18名でした。丁度良い人数です。

 今日で3月の稽古は終わり、来月4日まで休みです。今日は前半「桂林荘雑詠 その一」後半は「山行同志に示す」をやりました。

 「一歩歩高うして光景開く」山行を「書生の業」に例える。すぐ納得できる詩です。後期高齢者には関係のないことといってはいけないでしょう。人間死ぬまで向上心を持つべきだといっても死に際にはそんなことは関係ないでしょうが、世間に顔を出している間は、常に何かを求めていくべきだと思う。

 自分で最近つくづく感じているのだけれど、体調が結構悪くなっているのを実感するし、疲れも早い。それだけにやらなければと思いつつつも仕事を後回しにしたりする。今できることは限られているけれど、その一つをやりあげることが一歩踏み出すことなのだと思う。

 こんなつまらないブログをほぼ毎日書いているが、書くことがいわば私の一日の締めくくりなのです。もう、10数年続けていて書いた量は凄いものになるのでしょう。今更整理のしようもないし、整理する価値もないのだけれど、一寸もったいない気もする。

 自分史として早くに一冊まとめたのだけれど、別冊一冊作ってもいいかもしれない。考えてみましょう。いい仕事になるかもしれない。
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手稲第一教場  3名の稽古

2016-03-14 18:54:26 | 詩吟関係
 藤原さんが体調を崩して欠席、3名の稽古となりました。口岩さんが今日都合で30分早く帰りたいという話でしたので、前半で終わらすことにしました。

 堤さんは少し時間をかけて稽古しました。通常の稽古が終わった後、今日は「細川玉子 木村岳風」をやって終わりました。木村岳風の名前はみんな知っていました。ただ、北詩連の教本では岳風先生の詩文はとのあげられていないので意外だという感じを皆様持っていられた。

 詩吟の流派は多いけれど、岳風流と山田積善の積善流が源流になっていていることを話してあげました。

 口岩さんは名誉師範から副師範を取得したのですが、師範の受験資格がありませんので、師範の吟題の稽古も一段落していますので次からは私が用意する吟題を使って行くこととしました。ちょっと大変だと思いますが頑張ります。次回は「千曲川旅情の歌  島崎藤村」をまずやってもらいます。
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手稲文化協会 カラオケフェスティバルを見学してきました

2016-03-13 19:26:18 | 手稲文化協会関係


  今日区民センター区民ホールで手稲文化協会のカラオケフェスティバルが開催され、見学に行ってきました。10時30分からじまったのですが、私が着いたときは6人ほど終わったときでした。観客席は補助席をいれて満員状態、多分350人くらい入ったと思います。

 このフェスティバルは私が事務局長をしているとき、立ち上げたものです、。あの時はカラオケの団体は5団体くらいだったと記憶していますが、今日は9団体が参加していました。出場者が75名、それに賛助出ンの日舞が13曲加わっていますので、カラオケは2コーラスて進められていました。中にフラダンスをバックにしてウクレレを弾きながら歌っている方もいました。今やカラオケの出場者もその装いはプロ歌手並みデス。それぞれ凝った衣装で出演していました。花束が贈られたり、投げ銭まであったり大盛会でした。

 将にカラオケブームなのです。こんなに趣味に打ち込む人がいて、詩吟の趣味に興味を持ってくれないことは残念です。
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平和教場 詩吟  4名での稽古でした

2016-03-12 19:07:16 | 詩吟関係
  道路は快適になりました。平和までのドライブが楽しい。男性3名と女性1名の稽古でした。先週資格審査を受けた3名は今日から新しい吟題に入ります。でも先輩の吟を皆様聞いてきていますので、特別私が範吟をしなくても済みます。でも、まだまた゜手入れをしたた方が良いところがありあり、すこし丁寧に指導をしました。でも指導をしっかり受け止めることはむつかしいのです。何回も同じことを指導したりします。結局、稽古以外に策はありません。自分で苦労する中で次第に身について行くものです。初心のMさん資格審査の吟題では転句がひどいのですが。最後にみんなにやらせた「山中幽人と対酌す」では転句もちゃんとでき、褒めてあげました。今稽古しているものがダメで、別の吟題になるとちゃんとできる。面白いものです。

 平和教場が私の教室の出発点でした。もう30年を過ぎているのですが、思い返すと懐かしいことがたくさんある。素晴らしい人も沢山いた。既に他界した方も10指を数えるような状況だ。後私は何年面倒を見れるのかわからないけれど、一応後継者も決めているので頑張ってもらいたいと考えている。退会してまだ元気でいられる方も何人かいますが、今どうしておられるのか、お会いしたいものです。</font>
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手稲第二教場  3名  でもしばらく休んでいた平田さんが来ました。

2016-03-11 19:48:53 | 詩吟関係
  今日も料理教室が稽古場でした。新人のKさん今日から二段の稽古。平田さんの稽古を聞いてきていますからすぐできました。とても声量がありますのでこれから楽しみです。平田さん今日しばらく休んでいたのにとても声が出ていました。最後に今日とても声が出ていましたねといってあげたら、早く着いたので車の中でしばらく声出しをしていたという話でした。柿山さん半高音の回しBちょっと苦労しています。すんなりできる時もあるのですが、迷っているのですね。一度迷うとなかなか戻らないものなのです。

 最後、「無心」と「山中幽人と対酌す」をやって終わった。人数が少ないとゆっくり稽古ができるので助かる。

 3時10分前に終わって、私は「むらさきクリニック」に薬をもらいに行ってきました。丁度先客が4人でしたので、あまり待たずに済みました。

 3月11日、今日は東日本大震災5周年目でした。思い出しました。あの時は手稲第一教場の詩吟が終わりかけたときだったと思います。区民会館の3階第5会議室にいて地震に会ったのですが、ずいぶん長いこと揺れた気がした。でも区民センターが倒れるとは思えない感じでしたからそのままおさまるのをまったのでした。帰宅してテレビに釘付けになってあの惨状を見ていたのを思い出す。

 今日のテレビも朝から5周年の特番が組まれていた。復興は確かに進んでいるけれど、元に戻ることはとてもむつかしいことだとわかります。人口減少の続く今、地域に大きな企業などの進出がないとむつかしいのかもしれません。福島の原発事故の問題はやはり大きな障害になるのだと思います。</font>
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