今日沖縄では、68年前の沖縄戦の戦没者を悼む「慰霊の日」を迎える。
多くの犠牲者を出した太平洋戦争末期の例えようのない熾烈な沖縄戦。沖縄の人々に大きな痛みと苦しみ、それに悲しみを与えた沖縄戦。その後、沖縄では米軍人による様々な悲惨な事件も発生し、苦しみや悲しみそれに加えての怒りは今も消えることなく面々と続いています。
沖縄に占める米軍基地は全体の約74%。基地の県外移設や米軍の訓練受け入れなど、他県(本土)の人達は基地の負担を沖縄ばかりに押し付けている。少し冷淡すぎるのではないだろうか。
サラリーマンを退く直前にライフプラン講師の資格をとり、九州各地でライフプラン研修を10年にわたり主催してきました。そのため沖縄を訪れたのは50回を下りません。
研修会場や町の酒場や食堂、市場やサトウキビ畑で働く、沖縄の人たちはみんなおおらか、優しい方ばかりでした。もしかして、もしかして、沖縄の人たちは戦争での痛みや苦しみ、米軍人の犯罪など、たくさんの怒りを胸に仕舞い込み、毎日過しておられるのではないでしょうか。
国際通り近くの公設市場の傍の屋台で野菜を売る「おばあ」は、どの旅行者にも「ヤマトの人」と優しくにこやかに接してくれました。酒場では沖縄料理の数々を土地の人たちと変わらぬ言葉(つたないものではあるが)で注文し、泡盛を楽しく嗜み沢山の人たちとのふれあいが盛り上がりました。店のマスターは沖縄料理についてじっくりと話してくれました。
ある日、酒場のアルバイトの女子高校生に「一番おいしい泡盛はどれ」と尋ねると「みんなおいしい。でも本土の人は度の薄い泡盛を注文される。本当はクース(古酒)で度の高い泡盛を自分の好みに合わせうすく割って飲むのが一番おいしいよ」と教えてくれました。
仕事の合間に方々を歩いてまわったものです。那覇の中心地泉崎から歩きだし、糸満のひめゆりの塔、宜野湾のビーチと公園。今焦点となっている普天間飛行場、コザにある数々の米軍基地と。歩いていると何かふと異国を感じさせる風景があります。米軍基地です。嘉手納基地周辺では、ひっきりなしに戦闘機が轟音を立てて飛んでいます。その爆音には耳を覆いたくなります。
豊見城のサトウキビ畑では立ち止まり、黙ってサトウキビの刈り取りを眺めて見知らぬ私に声を掛けてくれました。「サトウキビあげようか」もちろん沖縄言葉です。「はいいただけますか」と答えた私に3メートルはあるだろうサトウキビを1本、鉈で斬って手渡してくれました。一節だけと思っていたのにこれは驚きです。
お礼をと言うと、少しでも本土の人によろこんでいただければと。大きく手を振られたのです。ありがとうございました。
公設市場の店のおじさんがもらってきたサトウキビを持つ私を見て、長いと持ちにくいでしょうと短く切ってくださいました。留守居している“うちの奥さま”の良いお土産となりました。沖縄にまつわる沢山の思い出があります。
昨年10月結婚48周年の旅行は沖縄でした。その時、台風に遭遇したものの親切なみなさんのおかげで、楽しい旅行ができました。また、今年も沖縄にしょうと“うちの奥さま”と話しています。沖縄大好きです。大好きな沖縄を“うちの奥さま”と一緒に訪れることが出来たのも幸せです。
老人夫婦の私たちには何もできませんが、せめて沖縄の人たちの怒りと苦しみ、そして悲しみを一緒に分かち合えればと願っています。
慰霊の日、遠い地から尊い犠牲となられた方々のご冥福を、今日式典に参加された皆様、それに沖縄の皆様とご一緒に、謹んで追悼させていただきました。