沖縄の本土復帰から44年を迎える。ことしで39回目を迎えた「5.15平和行進」が、沖縄県名護市を出発点に、13日にスタート。3日間で県外参加者1200名余りを含む延べ約4500人が、〝平和への願い”を込めて歩を進めた。
昨年5月15日本土復帰の日の地元新聞「琉球新報」の「社説」を思い出した。その一部を転記させていただく。
ことしは戦後70年の節目の年である。
私たち沖縄県民は悲惨な地上戦により住民の4人に1人が犠牲となった。
戦後27年間は米軍占領統治下に置かれ、日本国憲法は適用されなかった。本土復帰から43年目を迎える今も、米軍基地あるが故の事件や事故に苦しみ続けている。
「米軍基地があるが故の事件や事故」その言葉には、沖縄県民の苦しみと、恐怖と、怒りと、悲しみ、憤りが強く感じられる。
またしても、沖縄県うるま市の女性会社員が米軍軍属の男に性的暴行を受けたうえ殺され遺棄されるという、おぞましい事件が発生した。許されるべきことではない。人として強い憤りを感じる。
それにしても〝おきなんちゅう”の苦しみ、恐怖、怒り、悲しみを、〝やまとんちゅう”は遠いところの話と受け止めているのではなかろうか。よそ事ではない。この事件を契機として、沖縄の苦しみと怒り、沖縄の心を知り、一緒になって分かちあう。どうすればよいか一緒になって考えよう。
沖縄県と政府が対立する辺野古移設問題にしても、沖縄の怒りを共に分かち合うならば、必ず円満な形の解決を見いだすことができると信じるが、いかが。