毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

長野のリンゴが届きました。

2015-10-16 15:19:37 | 日記

   抜けるような青空の広がる爽やかな秋の日が連日続いている。秋は実りの季節。沢山の果物が出番を待っている。柿や栗に梨、最近はイチジク等も出回ってきた。外国の果物も豊富だ。待ちに待った大好きな季節、とても楽しい季節だ。

   昨日、「リンゴの里」長野県高山村からリンゴが2箱送られてきた。大きくて真っ赤な「シナノスイーツ」が箱いっぱいに並んでいた。1箱は娘家族に早速とどけた。箱を開け早速いただく。新鮮で甘いリンゴの味はたとえようがない。至福の味とでも言おうか。

   我が家はリンゴ好き。20年くらい前にリンゴを栽培されておられる長野高山の農家を知ってから、毎年リンゴを送っていただいている。その種類は「津軽・千秋・シナノスイーツ・王林・富士」の5品種。最初は栽培されている5種類のすべてのリンゴを1箱ずつ送っていただいていたが、それでは足りなくいつからか2箱送っていただくようになった。

 1回目の「津軽」はあっという間にたいらげた。「シナノスイーツ」は2回目の配送だ。これも多分長くはもたないことだろう。まだ、年末までにはまだ時間がある。次のリンゴが楽しみ、待ち遠しくてならない。

 「今年のリンゴは最高です。今年もまたおいしいリンゴをいただくことができました。ありがとうございます。」と早速お礼の手紙を書いた。

 

 


おじいさん電車が今日も走る

2015-10-15 15:28:14 | 日記

 熊本市の郊外に向かって電車が走っている。

 熊本電鉄の運営するこの電車、以前は熊本と菊池(隈府温泉)を結ぶ大切な交通機関だったが、時代の波には逆らえずだんだんと縮小され、現在に至っている。路線は市の中心街に近い藤崎宮前から合志市御代志までと上熊本~北熊本の2路線。

 車両といえば全国各地で長い間活躍し、その後引退した古い車両ばかり。まさに〝おぢいさん電車”ばかりだ。今走っているのは元東急の5000系初代と 元東京都交通局の6000形それに 南海の22000系そのほか構内の入れ替え用として広島を走っていた「被爆電車」旧国鉄のモハ71がある。

   (モハ71)

 その車両の中でも東急の5000系はその姿から「青ガエル」とよばれ今注目の的だ。製造されてから58年が経過している。車両の寿命は約30年といわれており、58年もの長い間現役で走り続けているのは全国でこの1台だけ。たくさんの鉄道ファン「撮り鉄」が、ただ1台の「青ガエル」の写真を撮ろうと全国から訪れてくるそうだ。丸みを帯びた下ぶくれの顔に「愛嬌がある」「かわいい」とファンに大人気。

 (青ガエル)

 だが、この「青ガエル」今年度限りで引退することが決まっている。何せ修理部品の調達がままならないそうだ。廃車は残念でならないが、すでにその代替車両として東京メトロ銀座線を卒業した01系 が入庫している。

 熊本電鉄は区間は身近いものの庶民の足としては大切な役割を果たしている。全線において、平日・土曜は9:00 - 15:30の間、日曜祝日は終日、列車内に自転車を無料で持ち込むことができる。運賃の安いこともあるが、時間の正確なことが通勤通学する方にとっては欠かせない存在だ。自転車に乗って町に買い物に出かけることもできる。〝おぢいさん電車”はまさに庶民の足。

 熊本電鉄の車両群。両端は6000系、中央は〝青ガエル”

          (自転車と一緒に)  

 

 

 


お医者さまとのお付き合い

2015-10-14 14:06:44 | 日記

  年を取るにつれお医者さまとのお付き合いが多くなった。。

 先月30日、昨年10月以来毎月飲み続けている十二指腸潰瘍の薬をとりにかかりつけのクリニックに出かけた。

 「下血で入院してから約1年。そろそろ内視鏡の検査を受けては。」と先生に勧められた。お願いしますとお答えしたところ、その場で検査設備のある病院に検査を依頼された。検査は明日10月1日午前9時と決まった。

 内視鏡検査は何回も受けているので、今度も大丈夫と軽い気持ちで指定された病院に出かけた。9時過ぎに始まった検査は11時過ぎに終わったが、検査結果はかかりつけ医の先生に連絡すると直接の説明はなかった。かかりつけ医の先生に書かれた検査結果の手紙を預かり、今度も何事もないだろうと意気揚々と家に帰った。検査の結果を心配していた”うちの奥さま”には何もなかった大丈夫と答えておいた。

 翌日の朝はやく、預かった手紙を持ってクリニックに出かけた。ドクターからその詳しい説明があった。胃の入り口付近に異常が見つかったという。ぎょぎょ。驚いた。先生はすぐに専門医の診察を受けてくださいといわれる。紹介された専門医は国立病院耳鼻咽喉科の先生だった。予約を13日に取っていただいた。

 指定されたその日の朝は食事抜き、水とお茶は飲んでいいというがそれはあまり取る気にならない。お腹がすいてきた。時間の経過とともにお腹がグーと泣く。

 10時30分から診察が始まった。緊張の極みだ。優しそうな先生だったが、自覚症状の全くない私の話を聞いた後、詳しく調べてみましょうと鼻の奥に麻酔をかけた。よくみると胃の内視鏡とは全く違う。先端に強い光をはなつ小さなこれも内視鏡だろうか、鼻の中を通し遠慮なくのどの奥へ突っ込まれた。痛くはないが初めてのこと、なんだが気持ちが悪い。何度かげっぷが出てきた。

 その結果は胃の入り口付近に腫瘍がある。多分良性のものだと思うが念のため組織検査をしてみましょうと先生はおっしゃった。次の検査を29日に指定された。内視鏡は前のものより少し大きいそうだ。麻酔は喉の奥までかけるという。良性か悪性か結果はその1週間後にわかるという。時間がたつうちにだんだんと心配になり怖くなってきた。最後は運を天にまかせるだけだとあきらめにも似た気持ちになってきた。

 この1月で、歯医者さんに3回、整形外科や皮膚科のクリニックにも何度か通っている。年は取りたくないものとつくづく思う。だが自然の摂理に逆らうことは無理なこと。

 話は違うが、1年ほど長崎市に住んだことがある。庶民の足は市内を走る路面電車。たびたびお世話になったものだ。料金はどこまで乗っても一律100円。ずいぶんと長いこと料金は据え置かれていたようだ。今は120円となっているが、その会社は市民の足として料金を安く保つために並々ならぬ大変な努力をされていたという。電車はすべて廃線となった各地の電車を使っているという。いまでは市内を走る路面電車は全国でも数少ない。したがって長崎を走る電車は、多分”おぢいさん”電車ではなかろうか。

 今朝の新聞に、長崎の路面電車が脱線し今も運休が続いていると出ていた。2007年にも同じ場所で、同じ電車が事故を起こしていると書いてある。1晩で2万8千人に影響があったそうだ。電車もまた自然の節理には逆らえないようだ。

  

 


高校野球観戦に付録があった

2015-10-10 21:33:52 | 日記

  年を取るにつれ外出の機会がだんだん少なくなり、家に閉じこもる日が多くなる。外出のほぼ半分以上は病院とのお付き合い。今日は違った。楽しい1日だった。

 夫婦そろっての自称高校野球大ファン。九州地区高校野球熊本大会準決勝2試合が開かれる藤崎台球場に夫婦で出かけた。球場では熱い日差しを避けて屋根のあるネット裏の最上階に陣取った。そこはまさに野球ファンの老人と婦人の指定席、おのずと会話が弾む。

 第1試合は八代秀岳館と東海大星翔。秀岳館が着実に得点を重ね8回コールドゲーム。第2試合はどちらも甲子園出場経験のある九州学院と城北の強豪同士の対戦。熱戦が続き最後は九州学院が3対1で勝利し、明日の決勝戦に進出する。

 

 ”うちの奥様”8番をつけた選手が打席に立つとチームを問わずに拍手を送り応援する。三振outともなれば大いに悔しそう。今は大学生の孫が高校時代に着けた背番号が8番。孫の姿と重なるのだろうか。

 楽しいひと時をありがとう。決勝戦は明日午後1時から、これも応援したいのだが2日続けての観戦には体力の限界がある。自信がない。

 お城を抜けた帰り道。お城祭りの白い旗が何本も立っている。二の丸広場には沢山のテントが張られ臨時の食堂街が出現していた。その人出の多さにはビックリする。夜開かれる「薪能」の舞台もただいま準備中。今日はお城まつりの最中だったのだ。

 

 熊本城の登り口御幸橋の上から坪井川を眺めると、川の中でたくさんの人が竹筒を挿している。今夜開かれる、熊本城周辺を約5万4千個のろうそくで彩る「熊本暮らし人まつりみずあかり」の準備のようだ。

      

 ろうそくの火の灯るまでにはまだ時間がある。

 家に帰るためバス停に向かう途中で熊本の中心街「銀座通り」が歩行者天国となっているのに気づいた。通りには屋台が立ち並び飲食のための机といすが並んでいる。沢山の人たちがビールや焼き鳥などを並べて楽しそうだ。もうもうと屋台から煙が出ている。その一角に小さな舞台が供えられダンスの発表があっていた。

  見る人も踊る人もみんなが楽しそう。

 久しぶりの野球見物の付録は「お城まつり」と「水灯かり」。素晴らしい楽しい1日となりました。

 

 


「ノーベル平和賞」残念だったがあしたがある。

2015-10-10 09:16:04 | 日記

 ノーベルi委員会は9日、ノーベル平和賞を「チュニジア国民対話カルテット」に授与すると発表した。

 受賞が有力視されていた憲法9条に反対する「9条の会」や、英国の大学名誉教授からの推薦を受けていた「原水爆被爆者団体」の受賞の朗報を心待ちしていたが、残念でならない。また、文学賞の村上春樹さんの受賞も見送られた。

 平和国家の礎ともいえる「日本国憲法9条」はノーベル平和賞として、手前勝手なことだろうが、これほどふさわしいものはあるまいと思う。また世界で唯一の原爆被爆国である日本の被災者が核廃絶を訴える意義はとても大きい。

 今年、ノーベル平和賞を受けることができなかったが心配することはない。これを機に、今まで以上に変わらぬ日々のますますの活動が続くならば、世界中の人々の平和に対する期待が損なわれるものではない。

 坂本九さんの歌った「明日があるさ」の歌詞を思い出した。 

 「いつかきっといつかきっと わかってくれるだろう 明日がある明日たがあるあしたがあるさ」

 「来年のことを言うと鬼が笑う」とあるが、来年のノーベル賞大いに期待しよう。