脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

四十九日のお彼岸。

2018年09月23日 19時41分49秒 | 近況
今月母が突然亡くなり、未だ忌中。四十九日の半分も経ってない。
母が死んでから、どうしたものか、私は早朝覚醒が止まらないのである。
毎朝、五時に目が覚めて眠れないので、そのまま起きてしまう。
睡眠不足で昼間ボーッとしている。早朝覚醒とは、気持ちの底に興奮や
落ち着きのなさが潜んでいるのだろうが、どうしてそうなるのか、自分
でも分からない。

母は、私がひとりで介護をしてきた肉親なので、未だに母の死が受け容
れられないのか。介護の苦労は終わったが、気持ちに少し未消化で辛い
ものがある。そんなとき、デジカメで撮影した生前の母の画像を眺める
と、癒される。人心にとって、想い出とは大切なものなのだなと思う。

津波や震災で、家も人も更には「想い出」も一切が流され、ご遺体さえ
還らない遺族の方々がいる。骨も無ければ、共に過ごした家も家財も写
真さえもない。遺族にとって、この徹底した喪失の、「喪」は心に過酷
だろうなと、我が身を顧みて初めて思った。そんな遺族の方々には、幽
霊でも好いから出て欲しいとは、もっともな話である。

ところで、私の姪が月末に結婚式を挙げる。当初はお昼からの結婚式は
母の食事の世話があり無理と、披露宴だけ出ると返事をしていたのだが、
母が亡くなった今、式から出席可能となった。だが、はたと思ったのは、
親の葬儀の喪主が、忌中にお祝い事に出るのは、いかがなものかという
ことである。

この件、葬儀の折に菩提寺のご住職に尋ねてみたら、それは全く構わな
いですよという答えで、少し意外だった。でも、自分としてはどうして
も母にも義理を立てたい気持ちがある。母は神仏にはうるさいヒトだっ
たから。姪には当初とおり、結婚式は出ないが、披露宴には顔を出すか
らと伝えた。「中庸」の知恵というか、どっち付かずなオトナの狡知。

2年前、父が他界したときは、四十九日はアッという間だったが、
今回はやけに、時間の経過を長々と、ジリジリと感じている。
もうお彼岸である。庭では彼岸花が赤々と咲いている。
父も母も(私も)甘党だった。今日はおはぎを仏壇にお供えした。
誰の心にも、秋が、静かに静かに深まると好い。




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