9月、お彼岸である。
9月は亡き父母の命日が伴に9月でもある。
墓参りに行き花を手向け線香をあげる。
菩提寺も母屋を新築するとかで、ここも家屋の解体中である。
我が家の解体は、9月20日に整地が終了し、
更地に杭が打たれロープが張られている。
すっかり坊主になった、我が家の跡地を眺めてみるが、
心に何も浮かばない。
ここに築35年の家があった。
その家が建つ前には、私の子供時代の古民家があった。
更には、戦時中には空襲で焼失した我が家もあった。
この度の掘削では、その当時の瓦礫が出た。
祖父が残して父が継いだ、この土地の我が家の歴史が90年。
更地になると、皆んな、夢、幻のようだ。
家も土地も人も、何もかもが、想い出の遠くへ去ってしまった。
こうしてまた、人が生きた小さな歴史が消えてゆく。
世の中は昔からその繰り返しだ。
万物は流れゆく雲のようなものだ。
ふと、「さよなら」という言葉と「ありがとう」という言葉が
脳裏をよぎった。
あぁ、お彼岸か。
そう、死者との対面の季節だ。
私が出来ることは、この世で出会っては、去って逝った
ご先祖様と、家と土地に、思い出たちに、
静かに感謝をすることだけだ。
永遠に「さようなら」…、
いつまでも、そしていつも「ありがとう」。
9月は亡き父母の命日が伴に9月でもある。
墓参りに行き花を手向け線香をあげる。
菩提寺も母屋を新築するとかで、ここも家屋の解体中である。
我が家の解体は、9月20日に整地が終了し、
更地に杭が打たれロープが張られている。
すっかり坊主になった、我が家の跡地を眺めてみるが、
心に何も浮かばない。
ここに築35年の家があった。
その家が建つ前には、私の子供時代の古民家があった。
更には、戦時中には空襲で焼失した我が家もあった。
この度の掘削では、その当時の瓦礫が出た。
祖父が残して父が継いだ、この土地の我が家の歴史が90年。
更地になると、皆んな、夢、幻のようだ。
家も土地も人も、何もかもが、想い出の遠くへ去ってしまった。
こうしてまた、人が生きた小さな歴史が消えてゆく。
世の中は昔からその繰り返しだ。
万物は流れゆく雲のようなものだ。
ふと、「さよなら」という言葉と「ありがとう」という言葉が
脳裏をよぎった。
あぁ、お彼岸か。
そう、死者との対面の季節だ。
私が出来ることは、この世で出会っては、去って逝った
ご先祖様と、家と土地に、思い出たちに、
静かに感謝をすることだけだ。
永遠に「さようなら」…、
いつまでも、そしていつも「ありがとう」。