この賃貸マンションに越してから、1か月経過した。
どうにも、未だ自分の住まいという気がしない。
本宅が別にあって仮住まいしているような、友達のアパートに
でも住んでいるような気分で、実感がわかないでいる。
更地となった実家跡地の脇を、自転車でよく通るが、
自分には、ポッカリと穴でも開いたような風景に見えて、
言葉が浮かばない。まだ建築工事は始まってない。
土地が死んで、喪に服している姿にも見える。
「土地」とは不思議な商品だと思う。消費して摩耗したり壊れた
りすることがなく、商品として転売が可能である。それは何度でも
死んでは、持ち主を換えて再生されるものでもある。土地も家も、
物理的な商品ではなく、実用価値を超える、所有者個人の観念形態
下にある、心情的、愛着的で、関係的で、人間的な何かである。
勿論、土地一般が皆そのような観念形態にある訳ではない。
実用の土地ではなく、先祖伝来の土地とか、人間の顔をした土地と
いうものの本質は、空間的なものであるよりは、経過した時間とか
歴史にあるのだろう。私は我が家の歴史の喪失に、未だ茫然として
いるのである。悲しいとかいうより、ただ茫然と…。
最近、川上ミネというピアニストを知って、よく部屋で鳴らしている。
木住野佳子というピアニストがいるが、タッチや間が似ているが、
ミネさんの方が、より抽象的な音楽性である。とても心地よく響く
ピアノで、一人居の部屋の空間に合っている。
お気に入りの音楽に出会えた時、
とても得した気分と、人生に喜びを感じる。
このブログを読まれている方も、彼女のピアノ、
是非聴いてみて下さい。
どうにも、未だ自分の住まいという気がしない。
本宅が別にあって仮住まいしているような、友達のアパートに
でも住んでいるような気分で、実感がわかないでいる。
更地となった実家跡地の脇を、自転車でよく通るが、
自分には、ポッカリと穴でも開いたような風景に見えて、
言葉が浮かばない。まだ建築工事は始まってない。
土地が死んで、喪に服している姿にも見える。
「土地」とは不思議な商品だと思う。消費して摩耗したり壊れた
りすることがなく、商品として転売が可能である。それは何度でも
死んでは、持ち主を換えて再生されるものでもある。土地も家も、
物理的な商品ではなく、実用価値を超える、所有者個人の観念形態
下にある、心情的、愛着的で、関係的で、人間的な何かである。
勿論、土地一般が皆そのような観念形態にある訳ではない。
実用の土地ではなく、先祖伝来の土地とか、人間の顔をした土地と
いうものの本質は、空間的なものであるよりは、経過した時間とか
歴史にあるのだろう。私は我が家の歴史の喪失に、未だ茫然として
いるのである。悲しいとかいうより、ただ茫然と…。
最近、川上ミネというピアニストを知って、よく部屋で鳴らしている。
木住野佳子というピアニストがいるが、タッチや間が似ているが、
ミネさんの方が、より抽象的な音楽性である。とても心地よく響く
ピアノで、一人居の部屋の空間に合っている。
お気に入りの音楽に出会えた時、
とても得した気分と、人生に喜びを感じる。
このブログを読まれている方も、彼女のピアノ、
是非聴いてみて下さい。