現代は、日本語が乱れているという指摘がなされて久しい。
言葉とは、時代とともに用法や読み方も変化するものではある。だが、
総理大臣が、未曾有を「みそうゆう」、踏襲を「ふしゅう」と読んだ
のには、驚く。彼はこれらの言葉の意味も使用法も知ってはいるので
あろうが、読み方、他者への伝え方で躓いたのだ。
昼によく行くスーパーの一角にベーカリー・コーナーがある。
私はそこでパンを選んで買うのだが、少し理解不明な注意書きがプレ
ート板で二箇所に貼ってある。
「パンの敷き紙は取らずに、レジへお持ちください」というもの。
敷き紙とは、パンの下に敷いてある白やピンク、銀の紙のことである。
先日、敷き紙を取らずにパンだけトレーに乗せてレジへ持って行った。
すると、レジ打ちの若い女性は、溜息まじりに「敷き紙がないと、値
段が分かりませんので、(値段を)確認して来ます。」と言う。
私はすぐに一つ一つのパンの値段を告げると、「敷き紙は取らない
ように」とプレートに記してあったけどと説明したら、彼女は怪訝そ
うに「後で確認してみます。」とだけ応えた。
さっき、このスーパーにパンを買いに行ってみた。
あの注意書きは変えているかな、と見たら、同じ文言のままであった。
パン売り場の担当らしい年配のおばさんがいたので、尋ねてみた。
彼女は、敷き紙と一緒にパンをお持ちになればいいんですよ、と言う。
私は、ここに「敷き紙は取らずに」と書いてあるじゃあないですか?
敷き紙は取ってはいけない、パンだけ持ってレジに行け、という意味に
なるでしょう?と言ってみたが、彼女はキョトンとしていた。
傍にいた若い女性客が間に入ってくれて、「敷き紙をパンから取らな
いで、パンから外さないままで」という意味ですよ、と教えてくれた。
私は一瞬、脳ミソをひねった。
この表現は、客に対する普通の日本語だろうか?と。
商品を売る側が主体となって言葉の表現がなされているのだ。
パンから敷き紙を取るな、一緒に取って下さいということだが、
客を主体に言葉を考えるのなら、パンは敷き紙と一緒にお取り下さい
のはずである。パンを主体に発想して、客という他者へメッセージが
意味を結んで届くように、気が配られていないのである。
客は棚からパンを取ろうとしているのであり、そこで「敷き紙は取ら
ない」でという条件が追加されれば、客はパンのみを取るのが理の当
然に思うのではなかろうか。
些細なことだが、パソコンやメール、駅では自動改札機等、生身の他
者との接触が減り、他者が見えにくい時代なのではなかろうか。
それは相手の立場に身を置いてモノを考えにくい、言葉の表現も拙劣
になりがちな時代なのだろうと思う。
こうして記している私自身、どれだけ自分の言葉や表現が読み手に
伝わっているものかと思うと、心もとない気分である。
言葉とは、時代とともに用法や読み方も変化するものではある。だが、
総理大臣が、未曾有を「みそうゆう」、踏襲を「ふしゅう」と読んだ
のには、驚く。彼はこれらの言葉の意味も使用法も知ってはいるので
あろうが、読み方、他者への伝え方で躓いたのだ。
昼によく行くスーパーの一角にベーカリー・コーナーがある。
私はそこでパンを選んで買うのだが、少し理解不明な注意書きがプレ
ート板で二箇所に貼ってある。
「パンの敷き紙は取らずに、レジへお持ちください」というもの。
敷き紙とは、パンの下に敷いてある白やピンク、銀の紙のことである。
先日、敷き紙を取らずにパンだけトレーに乗せてレジへ持って行った。
すると、レジ打ちの若い女性は、溜息まじりに「敷き紙がないと、値
段が分かりませんので、(値段を)確認して来ます。」と言う。
私はすぐに一つ一つのパンの値段を告げると、「敷き紙は取らない
ように」とプレートに記してあったけどと説明したら、彼女は怪訝そ
うに「後で確認してみます。」とだけ応えた。
さっき、このスーパーにパンを買いに行ってみた。
あの注意書きは変えているかな、と見たら、同じ文言のままであった。
パン売り場の担当らしい年配のおばさんがいたので、尋ねてみた。
彼女は、敷き紙と一緒にパンをお持ちになればいいんですよ、と言う。
私は、ここに「敷き紙は取らずに」と書いてあるじゃあないですか?
敷き紙は取ってはいけない、パンだけ持ってレジに行け、という意味に
なるでしょう?と言ってみたが、彼女はキョトンとしていた。
傍にいた若い女性客が間に入ってくれて、「敷き紙をパンから取らな
いで、パンから外さないままで」という意味ですよ、と教えてくれた。
私は一瞬、脳ミソをひねった。
この表現は、客に対する普通の日本語だろうか?と。
商品を売る側が主体となって言葉の表現がなされているのだ。
パンから敷き紙を取るな、一緒に取って下さいということだが、
客を主体に言葉を考えるのなら、パンは敷き紙と一緒にお取り下さい
のはずである。パンを主体に発想して、客という他者へメッセージが
意味を結んで届くように、気が配られていないのである。
客は棚からパンを取ろうとしているのであり、そこで「敷き紙は取ら
ない」でという条件が追加されれば、客はパンのみを取るのが理の当
然に思うのではなかろうか。
些細なことだが、パソコンやメール、駅では自動改札機等、生身の他
者との接触が減り、他者が見えにくい時代なのではなかろうか。
それは相手の立場に身を置いてモノを考えにくい、言葉の表現も拙劣
になりがちな時代なのだろうと思う。
こうして記している私自身、どれだけ自分の言葉や表現が読み手に
伝わっているものかと思うと、心もとない気分である。