パソコンが壊れたので、またヤフオクで中古PCを買った。
6年前の富士通FMVで、CPUはPentium4、OSはWinXP、
リカバリCD付で2,500円(送料別)だった。
安過ぎて不安もあったが、今の処、何の問題もなく動いている。
PCが壊れたとき、MSのワードやエクセル等のOfficeソフトは
旧PCからアンインストール不能の場合、新PCにインストール
や認証は可能なのだろうか?
つまり、2台での使用扱いが認定されるなら不可ということにな
ろうが、試してみたら、ネット上で再認証になったがOKだった。
新規にPCをセットアップした後、壊れた旧PCからデータだけ
でも取り出せないかと思い、一週間ぶりに電源を入れてみたら、
画面が現われ、動いた!
捨てようかと思ったが、治っていたのである。
パソコンとは、かくも機嫌次第なシロモノなのだろうか。
この段階で、旧PCを捨ててしまうヒトも多いのではなかろうか。
但し、データがいくつか飛んでしまっているようで、弥生会計の
現在の経理データが消えていたり、ヤフオクでの商品を登録して
いた「お気に入り」データが全てなくなっていた。
Anti-virでウイルス検索をしてみたが、ウイルスはなかった。
新PCには、ウイルス・セキュリティ・Zeroを入れてみた。
これもヤフオクで入手して無期限用版で1,000円だった。
ウイルスの反応なしで、気になる問題もなかった。
昨日の新聞に「ウイルス作成罪」が刑法に新設されるとあった。
原発事故の放射能とパソコンのウイルスは、どっちも目に見えない
脅威、不可知の領域から侵入する害悪という点でよく似ている。
文明の進歩とは、便利さや効率の向上であるが、同時にウイルスの
ような敵を作り続け、それを克服してきた歩みなのかもしれない。
だからPCを手放せないと同じように、原発も手放せないという
ロジックに行き着くものかどうか?
地震や津波で被災しても、この国は潰れないで乗り越えてきた。
我々はPCをウイルスで台無しにされても、立ち直そうとする。
だが、放射能災害の永続性と深刻さには、立ち向かうすべがない。
放射能は、それもやがては、科学の進歩で克服されるよと語り得る
代物とは根本的に異なる、人類や生命への究極的な異物に思える。
確か若い頃に読んだ高木仁三郎氏の文章にも、原子力と地上の生命
体とは、根本的に相容れない関係にあることへの畏怖が記されてあ
った記憶が薄っすらとある。
人間がこの生身である以上、人間文明の限界、進歩の限界に放射能
や放射線被曝は位置するように思う。そのことへの深い自覚なしに
は、国であれ誰であれ、原子力に係わるべきではない、と思う。
6年前の富士通FMVで、CPUはPentium4、OSはWinXP、
リカバリCD付で2,500円(送料別)だった。
安過ぎて不安もあったが、今の処、何の問題もなく動いている。
PCが壊れたとき、MSのワードやエクセル等のOfficeソフトは
旧PCからアンインストール不能の場合、新PCにインストール
や認証は可能なのだろうか?
つまり、2台での使用扱いが認定されるなら不可ということにな
ろうが、試してみたら、ネット上で再認証になったがOKだった。
新規にPCをセットアップした後、壊れた旧PCからデータだけ
でも取り出せないかと思い、一週間ぶりに電源を入れてみたら、
画面が現われ、動いた!
捨てようかと思ったが、治っていたのである。
パソコンとは、かくも機嫌次第なシロモノなのだろうか。
この段階で、旧PCを捨ててしまうヒトも多いのではなかろうか。
但し、データがいくつか飛んでしまっているようで、弥生会計の
現在の経理データが消えていたり、ヤフオクでの商品を登録して
いた「お気に入り」データが全てなくなっていた。
Anti-virでウイルス検索をしてみたが、ウイルスはなかった。
新PCには、ウイルス・セキュリティ・Zeroを入れてみた。
これもヤフオクで入手して無期限用版で1,000円だった。
ウイルスの反応なしで、気になる問題もなかった。
昨日の新聞に「ウイルス作成罪」が刑法に新設されるとあった。
原発事故の放射能とパソコンのウイルスは、どっちも目に見えない
脅威、不可知の領域から侵入する害悪という点でよく似ている。
文明の進歩とは、便利さや効率の向上であるが、同時にウイルスの
ような敵を作り続け、それを克服してきた歩みなのかもしれない。
だからPCを手放せないと同じように、原発も手放せないという
ロジックに行き着くものかどうか?
地震や津波で被災しても、この国は潰れないで乗り越えてきた。
我々はPCをウイルスで台無しにされても、立ち直そうとする。
だが、放射能災害の永続性と深刻さには、立ち向かうすべがない。
放射能は、それもやがては、科学の進歩で克服されるよと語り得る
代物とは根本的に異なる、人類や生命への究極的な異物に思える。
確か若い頃に読んだ高木仁三郎氏の文章にも、原子力と地上の生命
体とは、根本的に相容れない関係にあることへの畏怖が記されてあ
った記憶が薄っすらとある。
人間がこの生身である以上、人間文明の限界、進歩の限界に放射能
や放射線被曝は位置するように思う。そのことへの深い自覚なしに
は、国であれ誰であれ、原子力に係わるべきではない、と思う。