我が家は祖父の代から近所のお寺の檀家である。つい最近、寺から勧進の
案内が届いた。地所を拡張したいので、用地取得費と庫裡建て替え費用の
ご寄進を願いたいという。寺は、門前が狭い路地に面して不便であり、路
地前の住宅を立ち退かせて買取り、大通り沿いに玄関を構えたいらしい。
しかし、そんな寺の立地事情やら事業拡張のために、檀家とはカネを工面
せねばならない立場なのだろうか? 私の常識では寺が自費・自腹でやる
べき事案に思えるのだが。私立学校等でも新校舎建設の際に寄付を募るの
はよくあるが、学校や宗教になると、どうして当然のように縁故者にカネ
をねだれる理屈になるものか。
帰属や縁を伝手に寄付等カネの無心が、社会的慣習的に許されているのは、
教育機関と宗教団体、地縁組織の町内会くらいだろうか。大昔卒業した大
学からは今も年に数回大学機関紙等が届くが、必ず寄付用の振替用紙が同
封されている。このような寄付は任意だが、この度のお寺の寄付要請(勧
進)は、各檀家割当ての徴収に近い。檀家一口10万円で3年間で3口以
上寄進せよというが、これに支払義務や法的根拠はあるのだろうか?
一部の世間では、菩提寺の施設設備や調度品等は檀家の共有財産であり、
檀家にはそれらを守る責務があるのだと言う。しかし寺の地所や施設等は
宗教法人の資産であり、住職一族が法人役員に就任しているのが、一般的
であろう。財産が檀家に帰属する根拠も実態もない。だから、檀家の総意
があっても寺の財産等を処分する権限など存在しないし、寺(その土地や
建物等資産)が誰のものかと言えば、当たり前だが住職一族のものである。
新たに取得する土地は寺(若しくは宗教法人)の財産に帰属し一部改修や建
て替えた建物等も同様である。これに要する費用を檀家が負担すべき道理
は希薄に思う。寺の施設の老朽化とか災害に遭遇した場合等で寄付を要請
するなら理解もするが、前述のような寺門経営だか寺の事情・都合ならば、
当事者である寺が自己資金や銀行借入れで行うのが筋であろう。
寺社が社会的影響力をもち、檀家と信仰を中心に互助共同体で結ばれてい
た時代や歴史文脈では、寄進や勧進だのも受容されたであろうが、今日の
菩提寺と檀家の関係は、墓の売買当事者に過ぎない。寺や住職は日常の生
活感覚では墓所の売主か、お布施で葬儀や法事を司る宗教事業者に過ぎな
い。そこには信仰も共同体もない。そんな宗教事業主が、墓の持ち主程度
の意識しかない檀家に勧進しても、寄付の不当な強要にしか映らない。
寺領の拡張で土地を取得するのなら、土地の所有権や収益の帰属は寺なの
だから、費用の半額くらいは寺が出すべきであり、一部を檀家負担とする
ならまだ話は通るが、土地取得費から改修工事等全てを檀家寄進で賄う計
画とは、私にはどうにも承服しかねる話である。
計画立案者は先代が没して日の浅い50代住職である。勧進の書面には、
寄付について賛否を問う姿勢はなく、何口の寄付をいつして貰えるか返答
が欲しいという一方的内容である。寄付額としては、年賦払いなら出せな
い額ではないが、寺の自己負担については言及がなく、檀家の懐を当然の
ように当てにした資金計画等、寺の手前勝手が不愉快である。
寺社の寄進文化という伝統も少しは理解するが、檀家は寺の被支配者でも
なければ、財布でもパトロンでもないのである。「喜捨」というご都合主
義の言葉があるが、檀家にとっては「苦捨」が正しい。せめて税金の寄付
金控除に該当すればと思うが、寺社への布施や寄進に適用はない。
この件、無回答で放置して様子をみるか、寺と個別に話をするか、争わず
世俗の習いで理不尽に順応するか、どういう対処が良いものやら、考えあ
ぐねている。
(寺社等の宗教法人が、檀家や氏子或いは信者等に、過大な布施や寄付等
の強要をしないよう、この関係を消費者行政にでも位置付けて取締りや
管理を、国や自治体が行えるしくみでも、本来作るべきなのだろうが…。
だが困ったことに、政治にとって宗教は禁断の「聖域」なのである。)
案内が届いた。地所を拡張したいので、用地取得費と庫裡建て替え費用の
ご寄進を願いたいという。寺は、門前が狭い路地に面して不便であり、路
地前の住宅を立ち退かせて買取り、大通り沿いに玄関を構えたいらしい。
しかし、そんな寺の立地事情やら事業拡張のために、檀家とはカネを工面
せねばならない立場なのだろうか? 私の常識では寺が自費・自腹でやる
べき事案に思えるのだが。私立学校等でも新校舎建設の際に寄付を募るの
はよくあるが、学校や宗教になると、どうして当然のように縁故者にカネ
をねだれる理屈になるものか。
帰属や縁を伝手に寄付等カネの無心が、社会的慣習的に許されているのは、
教育機関と宗教団体、地縁組織の町内会くらいだろうか。大昔卒業した大
学からは今も年に数回大学機関紙等が届くが、必ず寄付用の振替用紙が同
封されている。このような寄付は任意だが、この度のお寺の寄付要請(勧
進)は、各檀家割当ての徴収に近い。檀家一口10万円で3年間で3口以
上寄進せよというが、これに支払義務や法的根拠はあるのだろうか?
一部の世間では、菩提寺の施設設備や調度品等は檀家の共有財産であり、
檀家にはそれらを守る責務があるのだと言う。しかし寺の地所や施設等は
宗教法人の資産であり、住職一族が法人役員に就任しているのが、一般的
であろう。財産が檀家に帰属する根拠も実態もない。だから、檀家の総意
があっても寺の財産等を処分する権限など存在しないし、寺(その土地や
建物等資産)が誰のものかと言えば、当たり前だが住職一族のものである。
新たに取得する土地は寺(若しくは宗教法人)の財産に帰属し一部改修や建
て替えた建物等も同様である。これに要する費用を檀家が負担すべき道理
は希薄に思う。寺の施設の老朽化とか災害に遭遇した場合等で寄付を要請
するなら理解もするが、前述のような寺門経営だか寺の事情・都合ならば、
当事者である寺が自己資金や銀行借入れで行うのが筋であろう。
寺社が社会的影響力をもち、檀家と信仰を中心に互助共同体で結ばれてい
た時代や歴史文脈では、寄進や勧進だのも受容されたであろうが、今日の
菩提寺と檀家の関係は、墓の売買当事者に過ぎない。寺や住職は日常の生
活感覚では墓所の売主か、お布施で葬儀や法事を司る宗教事業者に過ぎな
い。そこには信仰も共同体もない。そんな宗教事業主が、墓の持ち主程度
の意識しかない檀家に勧進しても、寄付の不当な強要にしか映らない。
寺領の拡張で土地を取得するのなら、土地の所有権や収益の帰属は寺なの
だから、費用の半額くらいは寺が出すべきであり、一部を檀家負担とする
ならまだ話は通るが、土地取得費から改修工事等全てを檀家寄進で賄う計
画とは、私にはどうにも承服しかねる話である。
計画立案者は先代が没して日の浅い50代住職である。勧進の書面には、
寄付について賛否を問う姿勢はなく、何口の寄付をいつして貰えるか返答
が欲しいという一方的内容である。寄付額としては、年賦払いなら出せな
い額ではないが、寺の自己負担については言及がなく、檀家の懐を当然の
ように当てにした資金計画等、寺の手前勝手が不愉快である。
寺社の寄進文化という伝統も少しは理解するが、檀家は寺の被支配者でも
なければ、財布でもパトロンでもないのである。「喜捨」というご都合主
義の言葉があるが、檀家にとっては「苦捨」が正しい。せめて税金の寄付
金控除に該当すればと思うが、寺社への布施や寄進に適用はない。
この件、無回答で放置して様子をみるか、寺と個別に話をするか、争わず
世俗の習いで理不尽に順応するか、どういう対処が良いものやら、考えあ
ぐねている。
(寺社等の宗教法人が、檀家や氏子或いは信者等に、過大な布施や寄付等
の強要をしないよう、この関係を消費者行政にでも位置付けて取締りや
管理を、国や自治体が行えるしくみでも、本来作るべきなのだろうが…。
だが困ったことに、政治にとって宗教は禁断の「聖域」なのである。)