伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』を読書中である。
この作品は弟の奥さんがすごく面白いと言ってたが、
映画化されたんだっけか?
伊坂氏のモノは『重力ピエロ』を読んだことがあるが、
私にはつまらなかった。
『ゴールデンスランバー』も筋は良いが、だるい。
私には、伊坂作品は相性が合わないと感じている。
伊坂氏の文章は、宮部みゆき氏と似ていて、登場人物同士の会話に
退屈な雑談が多いのである。宮部氏の『模倣犯』だけは評価するが、
後は何冊読んでも、途中で放り投げてしまう。
世間では面白いと定評のある作家でも、相性が合わないとダメである。
さて、『ゴールデンスランバー』であるが、こんな箇所があった。
「わたしなんて顔、ぜんぜんいじってないのに、少し写真がいつもと
違う感じになっただけで、目をいじったとか鼻に何か入れたとか、
噂されるんですよ。酷いですよお」
(『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎、新潮社。310pから引用)
「わたし」とは、宅配運転手である主人公・青柳雅春が偶然に危機を救
ってあげた有名アイドルである。
噂で関心が動く一般大衆、噂であれ売らんかなの芸能マスコミ。
この場合、虚報であれ、大衆の耳目が傾き、売れればいいのである。
事実や真実が問題なのではなく、目的のためにはいくらでも大衆を欺く
知恵や技術こそが大切である。政治家や官僚、財界人等の大物ならば、
そんな思い上がった考えを、常識の如く持っていても不思議は無い。
『ゴールデンスランバー』は、管理社会が行き着く処、権力は大衆を
監視しつつメディアで操り、犠牲の山羊が必要ならば、いくらでも作
り出せるという、恐ろしい社会となっていく、なんてことに警鐘を鳴
らすべく、作者は描いているのだろうか? そうではないだろう‥。
このテーマは古くは、ホッブズの『リヴァイアサン』であり、
ジョージ・オーウェルの『1984』的であり、カフカ的でもあり、
つまりは、村上春樹的でもある。
先頃、厚生労働省の元局長の女性が、無実の罪を検察から着せられて
いたことが明らかになり、目出度く無罪放免となったが、
彼女、村木某さんだっけ?、は「青柳雅春」に似ている。
世間とは、誰であれ「逮捕されたから犯人」であると思い、噂する
イイカゲンかつ無責任な存在体である。
この「世間」的な欲望と塩辛さ、無責任さや匿名性等々の特性を
大衆に与えつつ、特定の個人へ向けて逆風を煽るような、
妖怪のような「権力」が、我々の社会には様々存在するのであろう。
このような妖怪は、如何に退治されるべきか?
妖怪退治は、さて、相手が妖怪だけに、人間の手にはあまる。
読書中の『ゴールデンスランバー』に、少し期待しよう。
この作品は弟の奥さんがすごく面白いと言ってたが、
映画化されたんだっけか?
伊坂氏のモノは『重力ピエロ』を読んだことがあるが、
私にはつまらなかった。
『ゴールデンスランバー』も筋は良いが、だるい。
私には、伊坂作品は相性が合わないと感じている。
伊坂氏の文章は、宮部みゆき氏と似ていて、登場人物同士の会話に
退屈な雑談が多いのである。宮部氏の『模倣犯』だけは評価するが、
後は何冊読んでも、途中で放り投げてしまう。
世間では面白いと定評のある作家でも、相性が合わないとダメである。
さて、『ゴールデンスランバー』であるが、こんな箇所があった。
「わたしなんて顔、ぜんぜんいじってないのに、少し写真がいつもと
違う感じになっただけで、目をいじったとか鼻に何か入れたとか、
噂されるんですよ。酷いですよお」
(『ゴールデンスランバー』伊坂幸太郎、新潮社。310pから引用)
「わたし」とは、宅配運転手である主人公・青柳雅春が偶然に危機を救
ってあげた有名アイドルである。
噂で関心が動く一般大衆、噂であれ売らんかなの芸能マスコミ。
この場合、虚報であれ、大衆の耳目が傾き、売れればいいのである。
事実や真実が問題なのではなく、目的のためにはいくらでも大衆を欺く
知恵や技術こそが大切である。政治家や官僚、財界人等の大物ならば、
そんな思い上がった考えを、常識の如く持っていても不思議は無い。
『ゴールデンスランバー』は、管理社会が行き着く処、権力は大衆を
監視しつつメディアで操り、犠牲の山羊が必要ならば、いくらでも作
り出せるという、恐ろしい社会となっていく、なんてことに警鐘を鳴
らすべく、作者は描いているのだろうか? そうではないだろう‥。
このテーマは古くは、ホッブズの『リヴァイアサン』であり、
ジョージ・オーウェルの『1984』的であり、カフカ的でもあり、
つまりは、村上春樹的でもある。
先頃、厚生労働省の元局長の女性が、無実の罪を検察から着せられて
いたことが明らかになり、目出度く無罪放免となったが、
彼女、村木某さんだっけ?、は「青柳雅春」に似ている。
世間とは、誰であれ「逮捕されたから犯人」であると思い、噂する
イイカゲンかつ無責任な存在体である。
この「世間」的な欲望と塩辛さ、無責任さや匿名性等々の特性を
大衆に与えつつ、特定の個人へ向けて逆風を煽るような、
妖怪のような「権力」が、我々の社会には様々存在するのであろう。
このような妖怪は、如何に退治されるべきか?
妖怪退治は、さて、相手が妖怪だけに、人間の手にはあまる。
読書中の『ゴールデンスランバー』に、少し期待しよう。