先日実施された大学入試センター試験の問題を新聞で見ていた。
甥っ子が一人、この試験を受けているので、何となく気になって、国語
の問題を見たら、小林秀雄が出題されていて、昔の私の受験時代を思い
出した。また牧野信一なんて、昭和初期のマイナーな作家も出題されて
いて、ふぅ~ん、マキノねぇ、と思った。
(牧野は、30代の終わり頃に、実家の納屋で自殺してしまうのだけど、
評価遅れで惜しい作家でもある。私は、牧野の作品は好きである。)
出題されていたのは、小林秀雄の「鍔(つば)」というエッセイだが、
読んだことがなかったので、一読してみた。私に問題が解けるかなと思
い、何となくやってみた。問2、3、4、5の、本文傍線部に適するも
のを五肢択一せよは出来たが、問6の()()で躓いた。
問6()は、小林秀雄ではよく見かける言い回しが、本文から二箇所切
り取られて示され、両者に共通する表現上の特徴を四択で選べというも
のだが、二箇所とは下記部分である。
「現代人が、言葉だけを辿って、思わせぶりな文句だとか、拙劣な歌だ
とか、と言ってみても意味がないのである。」
「だが、事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ。」
選択肢の四択で迷ったのは、②か③かである。
② 「と言ってみても」や「と言ったところで」のように、議論しても
仕方がないと、はぐらかしたうえで、自説を展開しようとするとこ
ろに表現上の特徴がある。
③ 「意味がない」や「面白くもない」のように、一般的にありがちな
見方を最初に打ち消してから、書き手独自の主張を推し進めるとこ
ろに表現上の特徴がある。
この答えは③なのだそうだが、②でも良いように思えた。
②の「はぐらかした」という表現が、小林先生の作品世界に相応しくな
いと判断すべき処なのだろう。が、まさにこんな出題こそ、「面白くも
ない」である。
問6()は、本文の構成を問うもので、本文が四つの部分に分けられて
いるが、全体の構成のとらえ方として最適解を四択で選べというもの。
これも①か③か迷ったが、①でも③でも、その他でもないとも思った。
① この文章は、最初の部分が全体の主旨を表し、残りの三つの部分が
それに関する具体的な話題による説明という構成になっている。
③ この文章は、それぞれの部分の最後に、その部分の要点が示されて
いて、全体としてはそれらが並立するという構成になっている。
正解は①なのだが、「最初の部分が全体の主旨を表し」というが、三つ
目の部分の文章の下記のような箇所にこそ、小林秀雄の本領を感じる。
「‥‥彫でも象嵌でも、美しいと感ずるものは、必ず地金という素材の
確かさを保証しているように思われる。戦がなくなり、地金の鍛えも
どうでもよくなつて来れば、鍔の装飾は、大地を奪われ、空疎な自由
に転落する。名人芸も、これを救うに足りぬ。」
私には、四つの部分は、この同じ主題の反復・変奏に思えた。
部分はどこを取っても全体の主旨を標榜しており、三番目の最後の部分
で作家の思想表現が高まる。
結びの四番目では、「ただの樹」の上空を舞う鷺(さぎ)の姿を捉えつつ、
思惟が情感と混ざり合いながら、エンディングのフェードアウトを綴り、
まるで楽曲が閉じるという調子で、情景描写に転じて、考える私(作者)
と思惟の永遠な時間が、共に虚空に消えゆくような余韻が漂う。
私如き素人が何を言うか!だろうが、受験国語批判は措くとしても、
小林秀雄は18歳程度の若者に理解が出来るのだろうかと、昔も今も疑
問に思っている。私自身も受験生当時は、あまり理解出来なかったし、
今でも完全には理解していないと思っている。私がこの批評家を理解し
始めたのは、30歳を過ぎた頃からだったように思う。
かなり久しぶりに、小林秀雄の文章に触れてみたが、読んでいると頭が
自然と活性化されてくる。集中力と思考力を強く促してくる文章だ。
80年代前半に亡くなり没して久しいが、今尚当代随一の批評家だと思う。
だが、小林秀雄・読解レベルを、高校生に課すことは、過大要求に思う。
受験国語に小林秀雄の出題は近年少ないそうだけど、国語の読解に強く
なりたければ、私は小説作品を読むよりも、文芸評論を読むと良いと思
う。作品の読み方・見方、物事の論じ方も学べるので、お勧めしたい。
牧野信一も「地球儀」のような、家族ドラマを描いた作品ばかりでなく、
「鬼涙村(きなだむら)」とか「バラルダ物語」「ゼーロン」なんて面白
い。今の時代とも共鳴する作品世界があり、再評価されて良い作家だと
思う。親しみ易く面白い作品も多いので、若い方々には、エンタメでも
読むつもりで軽く読んで欲しいと思う。
甥っ子が一人、この試験を受けているので、何となく気になって、国語
の問題を見たら、小林秀雄が出題されていて、昔の私の受験時代を思い
出した。また牧野信一なんて、昭和初期のマイナーな作家も出題されて
いて、ふぅ~ん、マキノねぇ、と思った。
(牧野は、30代の終わり頃に、実家の納屋で自殺してしまうのだけど、
評価遅れで惜しい作家でもある。私は、牧野の作品は好きである。)
出題されていたのは、小林秀雄の「鍔(つば)」というエッセイだが、
読んだことがなかったので、一読してみた。私に問題が解けるかなと思
い、何となくやってみた。問2、3、4、5の、本文傍線部に適するも
のを五肢択一せよは出来たが、問6の()()で躓いた。
問6()は、小林秀雄ではよく見かける言い回しが、本文から二箇所切
り取られて示され、両者に共通する表現上の特徴を四択で選べというも
のだが、二箇所とは下記部分である。
「現代人が、言葉だけを辿って、思わせぶりな文句だとか、拙劣な歌だ
とか、と言ってみても意味がないのである。」
「だが、事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ。」
選択肢の四択で迷ったのは、②か③かである。
② 「と言ってみても」や「と言ったところで」のように、議論しても
仕方がないと、はぐらかしたうえで、自説を展開しようとするとこ
ろに表現上の特徴がある。
③ 「意味がない」や「面白くもない」のように、一般的にありがちな
見方を最初に打ち消してから、書き手独自の主張を推し進めるとこ
ろに表現上の特徴がある。
この答えは③なのだそうだが、②でも良いように思えた。
②の「はぐらかした」という表現が、小林先生の作品世界に相応しくな
いと判断すべき処なのだろう。が、まさにこんな出題こそ、「面白くも
ない」である。
問6()は、本文の構成を問うもので、本文が四つの部分に分けられて
いるが、全体の構成のとらえ方として最適解を四択で選べというもの。
これも①か③か迷ったが、①でも③でも、その他でもないとも思った。
① この文章は、最初の部分が全体の主旨を表し、残りの三つの部分が
それに関する具体的な話題による説明という構成になっている。
③ この文章は、それぞれの部分の最後に、その部分の要点が示されて
いて、全体としてはそれらが並立するという構成になっている。
正解は①なのだが、「最初の部分が全体の主旨を表し」というが、三つ
目の部分の文章の下記のような箇所にこそ、小林秀雄の本領を感じる。
「‥‥彫でも象嵌でも、美しいと感ずるものは、必ず地金という素材の
確かさを保証しているように思われる。戦がなくなり、地金の鍛えも
どうでもよくなつて来れば、鍔の装飾は、大地を奪われ、空疎な自由
に転落する。名人芸も、これを救うに足りぬ。」
私には、四つの部分は、この同じ主題の反復・変奏に思えた。
部分はどこを取っても全体の主旨を標榜しており、三番目の最後の部分
で作家の思想表現が高まる。
結びの四番目では、「ただの樹」の上空を舞う鷺(さぎ)の姿を捉えつつ、
思惟が情感と混ざり合いながら、エンディングのフェードアウトを綴り、
まるで楽曲が閉じるという調子で、情景描写に転じて、考える私(作者)
と思惟の永遠な時間が、共に虚空に消えゆくような余韻が漂う。
私如き素人が何を言うか!だろうが、受験国語批判は措くとしても、
小林秀雄は18歳程度の若者に理解が出来るのだろうかと、昔も今も疑
問に思っている。私自身も受験生当時は、あまり理解出来なかったし、
今でも完全には理解していないと思っている。私がこの批評家を理解し
始めたのは、30歳を過ぎた頃からだったように思う。
かなり久しぶりに、小林秀雄の文章に触れてみたが、読んでいると頭が
自然と活性化されてくる。集中力と思考力を強く促してくる文章だ。
80年代前半に亡くなり没して久しいが、今尚当代随一の批評家だと思う。
だが、小林秀雄・読解レベルを、高校生に課すことは、過大要求に思う。
受験国語に小林秀雄の出題は近年少ないそうだけど、国語の読解に強く
なりたければ、私は小説作品を読むよりも、文芸評論を読むと良いと思
う。作品の読み方・見方、物事の論じ方も学べるので、お勧めしたい。
牧野信一も「地球儀」のような、家族ドラマを描いた作品ばかりでなく、
「鬼涙村(きなだむら)」とか「バラルダ物語」「ゼーロン」なんて面白
い。今の時代とも共鳴する作品世界があり、再評価されて良い作家だと
思う。親しみ易く面白い作品も多いので、若い方々には、エンタメでも
読むつもりで軽く読んで欲しいと思う。