脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

心が折れる前に‥。

2008年08月25日 11時21分43秒 | コギト
自分の人生に、相変わらずの世相の移ろいに倦んでくると、
全てが書割じみて、つまらない反復に見えてくる。

キルケゴールは何故あの『反復』という退屈な文章を書き残したのか?
「反復」あるいは「魔の退屈」こそ、「死に至る病」だからだろう。
彼はそれをキリストとの信仰的な交愛で乗り越えようとしたのだろう。

ニ-チェの「永劫回帰」も似たようなものである。
ツァラトストラは、この「魔」に気づいて、一旦絶望の淵に沈む。
ニ-チェはカソリックを攻撃しては「神は死んだ」と述べたが、
「超人」思想という新たな人格神は、キリスト教の焼き直しである。

ニーチェも西欧文化圏のパラダイムから抜けられなかったのだ。
キリスト教を土壌とする地域では、キリスト教=権力である。
それを排撃しようとしたニーチェは周囲から孤立し、深い孤独に陥る。

彼は、確か1900年ミラノで狂死したと記憶するが、
彼の脳は、梅毒スピロヘータに冒されていたとも聞く。
ニーチェも女の肉に救いを求めたという、ただの人なのだろう。
但し、ニ-チェの書物を読めば、彼の天才は驚嘆に値する人物である。

      *      *      *      *

私は、心の外面は「筋肉」で出来ている気がする。心臓の話ではない。
キルケゴールもニーチェも、いやあらゆる哲学者は、筋トレするがいい。
日に最低、腕立て伏せ30~50回、スクワット100回でよい。
それが無理なら、一時間は散歩するがいいと思う。
(カントは、時計の針よりも正確に、散歩をしていたというが。)

あとは、瞑想あるいは座禅が良い。
私は深夜真っ暗な8畳間で、20~30分程、手印を組んで正座する。
作法は我流、素人の野狐禅で良い。とにかく息を整え深く静かにして、
全てを忘れ、全てを捨て去るように座る。

自分が広大無辺、茫漠で漆黒、星の煌く神秘な大宇宙の奥深くに、
一人で不動に座っている姿を観想しながら、座っている。

筋肉に俗を生きる力を得、無心から深い癒しの力が得られる。
これが私の、基本となる心身の健康法である。


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