母親が、昼にカステラを食べたいから買ってきて欲しいという。
うつ病とか摂食障害のヒトは、お粥だの柔らかいモノを食べたがる。
リビドー(生きようとするエネルギー)が口唇期に退行しているのだろ
うか。柔らかにモノは、「母親の乳房」のメタファーとも言える。
かつてこのブログに、現実とは母子関係が象徴的に変奏されたような
ドラマだと書いたが、この基本の見方は今でも変わらない。父は不在
なのだ。だから男なら、自分が父へと成長するドラマでもあるのだが、
人間の現実の基本系は、母子関係の置き換え・変装が軸であると思う。
家族とか家庭とは、父が「承認」を、母が「愛情」を子供に与える場の
ことだと思う。ところが父は経済社会の歯車でしかなく、母も、子の母
である前に「女」でいたがるとか、母の方が子に愛情を求めたがるよう
になると、子は承認にも母性愛にも飢えて、家庭の外にそれらの代替・
代償を探し求めるようになる。
家庭の外には、地域・学校・会社等々あるが、ネット空間という新たな
帰属先が加わり膨らんでいる。ネットに父(承認)とか母(愛情)を本気で
求めるような現実倒錯は、しばしば期待を裏切られて、街頭の無差別殺
人等凶悪犯罪の引き金になったり、近頃問題のリベンジ・ポルノという
報復現象も、痴話喧嘩の腹いせだけでなく、加害者も被害者にも、何処
か現実感の遠近が、奇妙に歪んでしまったようなズレを感じる。
ネットやコンピュター、それらを介して結びついた現実とは、生身の結
びつき以上に、常にズレや誤解、歪みや悪意等の目に見えない不可知な
部分を、多く含んでいるものと観念すべきなのだが、オレオレ詐欺の被
害者のように、ある種の魔力には、判っていてもついズルズル引きづら
れるというものかもしれない。
モノ・カネに豊かになると、心の貧困は増すという法則なのだろうか。
今後も、人工知能やロボット工学等が発展を続けるだろうが、承認や愛
情に飢えて、人間の主体の場を電脳に奪われ続けた果てには、文明栄え
て、人心滅ぶという意味での、人間の終焉に行き着くような、ペジミズ
ムな予感しか私には浮かばない。
うつ病とか摂食障害のヒトは、お粥だの柔らかいモノを食べたがる。
リビドー(生きようとするエネルギー)が口唇期に退行しているのだろ
うか。柔らかにモノは、「母親の乳房」のメタファーとも言える。
かつてこのブログに、現実とは母子関係が象徴的に変奏されたような
ドラマだと書いたが、この基本の見方は今でも変わらない。父は不在
なのだ。だから男なら、自分が父へと成長するドラマでもあるのだが、
人間の現実の基本系は、母子関係の置き換え・変装が軸であると思う。
家族とか家庭とは、父が「承認」を、母が「愛情」を子供に与える場の
ことだと思う。ところが父は経済社会の歯車でしかなく、母も、子の母
である前に「女」でいたがるとか、母の方が子に愛情を求めたがるよう
になると、子は承認にも母性愛にも飢えて、家庭の外にそれらの代替・
代償を探し求めるようになる。
家庭の外には、地域・学校・会社等々あるが、ネット空間という新たな
帰属先が加わり膨らんでいる。ネットに父(承認)とか母(愛情)を本気で
求めるような現実倒錯は、しばしば期待を裏切られて、街頭の無差別殺
人等凶悪犯罪の引き金になったり、近頃問題のリベンジ・ポルノという
報復現象も、痴話喧嘩の腹いせだけでなく、加害者も被害者にも、何処
か現実感の遠近が、奇妙に歪んでしまったようなズレを感じる。
ネットやコンピュター、それらを介して結びついた現実とは、生身の結
びつき以上に、常にズレや誤解、歪みや悪意等の目に見えない不可知な
部分を、多く含んでいるものと観念すべきなのだが、オレオレ詐欺の被
害者のように、ある種の魔力には、判っていてもついズルズル引きづら
れるというものかもしれない。
モノ・カネに豊かになると、心の貧困は増すという法則なのだろうか。
今後も、人工知能やロボット工学等が発展を続けるだろうが、承認や愛
情に飢えて、人間の主体の場を電脳に奪われ続けた果てには、文明栄え
て、人心滅ぶという意味での、人間の終焉に行き着くような、ペジミズ
ムな予感しか私には浮かばない。