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『三谷文楽 其礼成心中(それなりしんじゅう)』

2014年08月08日 | ライブ・公演・舞台

『三谷文楽 其礼成心中(それなりしんじゅう)』
時は、元禄16年。近松門左衛門の『曾根崎心中』が大ヒットし、
その舞台となった大阪・天神の森は、悲恋の末に心中を遂げようとする
男女の心中のメッカに。おかげで客を失ってしまった、
森のまんじゅう屋の夫婦は、そんな状況を打開しようするのだが……。
『曽根崎心中』『心中天網島』の名場面の再現や、
現代口語が飛び出す掛け合いを織り交ぜながらつづられる、
三谷ならではの笑いと涙にあふれた人情物語だ。




近松門左衛門の「曽根崎心中」がヒットした江戸時代の上方。
舞台になった天神の森が心中の名所となってしまい、
夜な夜な心中したいカップルがやってくる。
森の近所で饅頭屋を営む夫婦だが、
心中の影響でただでさえ芳しくない売上は激減。
これ以上心中を増やさないように見回り中に見つけた心中志願のカップル。
自分の饅頭屋に連れて行って説教するうちに、妙案を思いつく。

『この世の名残、夜も名残・・・』
太夫、三味線は舞台の中空に浮かぶように配置される。

逆ギレとか、カミングアウトとか、ハートマークとか、ネイルサロンとか…etc


照明もミラーボールクルクル回したり、
ロープを手摺(人形遣いの腰から下が隠れる板)に見立てたり、
閑古鳥が飛んだり、



人形が演じる意義
人形浄瑠璃の人形たちはそれぞれが役者です。
一役頭と呼ばれるその役だけしか演じない特殊な頭を除いて、
既婚なのか未婚なのか、悪役なのかどうなのかという決められた役を
超えない範囲で違った役柄を演じることができます。
役に応じた髪型と衣装に着替えることで、全く違う人物になります。

          
 時は元禄、上方は、曽根崎にある天神の、森に分け入る影二つ
げに思えども、嘆けども、身も世も思うままならず、遊女お初と徳兵衛は、
死んで思いを遂げにけり
これを聞きたるある男「これをテーマに浄瑠璃を、書かない手などないわいな」
それが近松門左衛門、書いた『曽根崎心中』は予想を超える大ヒット、
そして大阪、曽根崎に心中ブームが巻き起こる。
ここで死なんと天神の、森に連日訳ありな、男女がずらり列をなせば、
森の外れの饅頭屋、客足途絶え、閑古鳥。
尽きぬ心中、尽きる客、不吉な饅頭呼ばわりの、風評被害にたまりかね、
店の主の半兵衛は、女房のおかつに留守任せ、森で男女を見つけては、
水差し余所へ追い払う
今日も今日とて半兵衛は、心も空も、影暗く、風しんしんたる曽根崎の、
森を一人でパトロール…(パンフより)

 


舞台レビュー
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO44969240U2A810C1000002/


the 近松
http://ranpage.sakura.ne.jp/stage/tikastory.html

「曾根崎心中」「冥土の飛脚」「心中天の網島」「女殺油地獄」など
近松門左衛門の作品を題材に、男女の恋、親子の絆にスポットを当て
現代に問いかけるミュージカル。

YOUTUBE
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文楽とは
http://www.bunraku.or.jp/about/index.html

  • 2014年8月8日
コメント

京都 浅田真央ちゃん「23年の軌跡」

2014年08月08日 | ライブ・公演・舞台

夏の京都は格別に暑い。
夏の京都の暑さというと、
75年の比叡山のフリーコンサートの翌日を思い出す。
京都市内の燃えるような照りつける日差しには勝てず、観光なんか
全くする気はおこらず、お昼にはH市にとっとと帰った。
実際 観光なんて、翌日はどうでも良かった、
ジュリーとの比叡山の想い出だけで、若い私は充分だった。


夏場の京都は祇園祭や五山の送り火等、見所は色々あるけど
私は夏の京都には、ジュリーのライブの時だけ。
私の住むところから、JR京都駅には1時間で行けるのだけど。
今年は夏の京都に『三谷文楽 其礼成心中』を見るために京都に行ってきました。
舞台までには時間があるので、河原町の高島屋で
昨日から始まった浅田真央ちゃんの
「SMILE 23年の軌跡展」に行ってきた。
無料です。

京都高島屋の入り口に掲げられたパネル

訪れた人達は、中高年の女性が中心だが、若い女性の姿も目立つ。
会場には写真パネルや、競技会で獲得したメダル
沢山の華麗な競技用の衣装が飾られていた。
フィギアスケートファンなら、誰でも覚えている
様々な色合いの衣装が30点、展示してある。
細かで豪華な刺しゅうに、煌めく沢山のスパンコール、
近くでよく見ないとわからない、凝りに凝った布地の扱いなど、
溜息が出る印象的な美しい衣装の数々。
見学の70代くらいの奥様方が、繊細なレースの胸飾りに 
思わず、きれいね~!と嘆声を上げていた。

しかし、よくよく見れば美しい衣装には細かな綻びや、
ほつれのあることがわかる。スケート靴は、実は傷だらけだった。
今回初めて知ったのは、華麗な衣装の数々が実は
実際の目で見るよりも、TVや写真などカメラを通して見た方が、
さらにずっと鮮やかに、皺もなく美しく見えるという事だ。
それは、日本中の誰もが知っている、真央ちゃんのこれまで
頑張ってきた生き方と重なった。
TV画面の中で、華麗な演技を私たちに見せているその裏で、
まさに血のにじむ努力を、23歳の今まで続けてきたのだった。

パネルの写真は幼い3歳、スケートを始めた5歳から始まり、
ソチオリンピックの23歳までの軌跡をたどってゆく。
わずか12歳で全日本選手権出場、最年少グランプリファイナル優勝。
若くして数々の優勝を手にした真央ちゃんの顔はまだ幼いが、
獲得した栄光に晴れやかに輝き笑っている。

銀メダルに終わったバンクーバーのパネルには
真央ちゃん『銀メダルで悔しい・・・』
お母さん『お母さんは銀メダルで充分嬉しいよ』
言葉は正確ではないが、こう記されていた。
ずっと真央ちゃんを見守ってきたお母さんの愛情と思いやりが
あふれる言葉に、思わず目頭が熱くなった。
精一杯の努力を積み重ねている人の姿は美しい。

その努力はオリンピックではついに報われなかった。
しかし真央ちゃんを誰も責めはし
ない。
一途な姿をずっと見ていたからだ。 まだ23歳、
しかしこれまで、その背中にどれだけ大きな重い物を背負い
世界と戦い続けてきた人生なのだろうか。
日本国民が世界に誇る、自慢の美しい娘、それが真央ちゃん。
23歳の今、これから先をどう進もうとしているのか。
どんな道を歩もうと、真央ちゃんの笑顔を皆が待っている。



ミーハーな私は、銀メダルのレプリカを首にかけてもらい、写メ。
銀メダルは直径10cmほど、とっても大きく500Gもあり、ズッシリと重かった。



真央ちゃんと一緒に。背が高いね。

ソチオリンピックのフリーの演技をビデオで見て、またまた感動して
高島屋を後にした。






 

みんなからのコメント コメントする

maruchoroさんも比叡山に行かれたのですね!
私は関西だから京都は遠くありませんが、高校生で関東からでは大変だったでしょう。翌日は私はさっさと帰りましたが、やっぱり京都ならジュリー関連の場所巡り、それが王道ですね。良い想い出が作れましたね!(^O^)
saoさん、こんばんは 比叡山、私も行きましたよ~
一緒に行ってくれる人を、高校中探して参加しました(笑)
高校生が遠征するのは、何かと、大変でした。
私はコンサートの翌日は、知り合ったばかりのJ友さんと、ジュリーの
母校めぐり、哲学の道などに行きました。ジュリーが怪我をした?小学校の渡り廊下の写真も有ります。久しぶりに見て、笑ってしまいました。
とても、良い想い出です。その方とは、今は音信不通。。。今でもジュリーのファンでいられるのか、気になります。
真央ちゃん、本当に素敵な笑顔ですよね。ありがとうございます。
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