J友様から教えていただきました(^-^) 有難うございます。
病院ロビー演奏8年 養父の僧侶、和田泰三さん http://digital.asahi.com/articles/ASJ4W522BJ4WPIHB026.html
養父と書いて、「やぶ」と読みます。兵庫県です。
若かりし頃の和田泰三さん(左から2人目)。右端は沢田研二さん=京都市内、和田さん提供
ジュリーも若いけど、他のメンバーも少年がいますが、サンダース?
養父市奥米地の禅寺、宝積(ほうしゃく)寺の住職、和田泰三(やすみ)さん(70)が週1回、同市八鹿町の公立八鹿病院のロビーでピアノ演奏を続けて8年になる。長年、グループサウンズなどで音楽活動を続けてきた経歴を持つ和田さんは、「喜んでもらえることが励み。体の動く限り続けたい」と話す。
今月22日の午前11時。和田さんは同病院の受け付けに声をかけ、ロビーに置かれたグランドピアノを静かに弾き始めた。
時折、周囲の様子を気にしながらも演奏は途切れることなく続く。唱歌やテレビの朝ドラの曲、カーペンターズやビートルズナンバー、シャンソンなど約20曲をメドレーのように構成し、楽譜を見ることもなくきっちり1時間、正午に終了した。唱歌の時には、ロビーで数人の患者さんから歌声が漏れた。通り過ぎる患者さんの中には、腕をタクトのように振る人も。音楽療法を進める医師たちも演奏中の和田さんにお礼の言葉をかけていた。
和田さんは知る人ぞ知るミュージシャン。寺の長男にうまれ、11歳からピアノを習い、花園大学に進むが音楽中心の生活に。大学の先輩と京都のダンス喫茶やライブハウスでベンチャーズやビートルズのカバー曲、ジャズを演奏。後にグループサウンズ「ザ・タイガース」を結成する二つ年下の沢田研二さんらともステージに立った。
26歳で東京に活動拠点を移し、ボイストレーニングの指導などもしながら、ザ・タイガースのメンバーだった森本タローさんらとバンド活動を続けた。
転機は45歳の時。父が亡くなり、ザ・タイガースファンだったという妻と3人の子どもを連れて養父に戻った。2008年春、自身の病気で八鹿病院に行った時、ロビーのグランドピアノが目に入った。音楽療法に取り組む医師らが、演奏者を探していた時期で、和田さんは「弾かせてもらっていいですか」と申し出た。以来、お盆と葬儀が入った日以外の毎週金曜日、1時間の演奏を続ける。
「場所は病院。優しく弾いているつもりでも、『やめてほしい』と言われたことが2回あった。ピアノ演奏どころでない人がいて当然です。でも、喜んでもらえる人が多いので、続いています」と和田さん。
ほかにも子供たちの座禅体験ではシンセサイザーで静かな曲を弾いて座禅に飽きないように工夫をしたり、ご詠歌を継承するためにCDを出したり。今年3月には森本タローさんらと出演した大阪のライブハウスでは袈裟(けさ)姿で登場し盛り上げた。
和田さんは「患者さんからのリクエストや新しく取り組む曲があると練習に励みができる。若い頃とは違った表現があり、私自身も楽しいし、演奏の腕も維持できる」と話し、演奏を通じて奉仕ができることに喜びを感じている。
J友様情報によると和田さんは
(追記)和田さんは、82年のタイガース同窓会の時に、キーボードを担当されていました。
タローさんの3月19日のライブ、大阪ボニーラでは「6人目のタイガース」と言われた和田泰三(やすみ)さんが袈裟姿で登場し、 一部演奏にも加わって盛り上げてくださいました。
和田さんは、ファニーズがナベプロと菊屋旅館で契約の際に、彼だけ×になったという。1978年 タローさんのバンド 二代目スーパースターのメンバーだそうです。