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②大阪フェスティバルホール 1月16日

2018年01月17日 | ライブ・公演・舞台

本日は阪神淡路大震災から23年、昨日のジュリーがそのことに触れてくれたことが嬉しかったです。何年立っても忘れられない出来事です。東北に熊本に、全ての被災地に一刻も早い復興が訪れますようにと祈っています。


私は見ていないけど、音楽劇常連の野田さん、千田さん、土田早苗さんが来られていたそうです。大阪だから、関係者で来られた方が多かったんでしょうね。

途中のMCが殆どなく、大阪恒例の まいどおいどが有りませんでした。アンコール前のMCも 特に目新しいことは言っていないけど、ジュリーのテンションがとっても高くって、まるで講談を語るみたいに調子よく喋る喋る・・いい加減だけどMC

(映像に)笑っていただけたら幸いです。50周年、おめでたいですが順風満帆できたわけではありませんでした。2年でトッポがやめ、次にピーがやめたいといいだし、僕をのけたタローとサリーとシローの3人で解散しよう、ジュリーそういうことになったんやと、僕には事後承諾でした。「つ〇ぼ桟敷・・」只今不適切な発言がありました(ひざまずく)・・私は隔離され晴天の霹靂でした。

シローはブレッド&バターと、タローはアルファベッツだったかな?サリーは岸部修身グループ、私だけ取り残されました。一番人気があったのに。グループがうまくいかなかったサリーがスーパーグループを作ると、PYG。PYGが残したのは押すとブッと鳴くLPだけ、解散もせずチリヂリになりました。大口ヒロシはデザイナー、ショーケンは希代の名優、サリーは怪優、大野さん井上さん・・

 私は粘り強く今日までやってきました。事実は事実・・今年50周年を迎えましたが、1枚目は売れませんでした、2枚目が売れて紅白に初出場。(前に貼った画像です)

その後は波乱万丈でした。6月25日で70歳。皆様 仏様、神様、あなたでも この私が70歳までやると思ったでしょうか? ワイは頑張ったんや!ここで頑張らなアカン!いつもはボーーーーーッとしているが、やる時はやるおじいちゃん!(メッチャ テンション高く)70歳にたら 好き勝手やる!の人よりもかなり好き勝手だと思うけど)売れたんは60年代末から70年代、80年代になったら 青息吐息・・パラシュート背負ったり、救急車出したらほんまに入院してもた、どないなってんねん!怒るで!

地方廻ってもいっぱいにならなかった、私の持ち味がバタ臭い、都会的、名前は知られている。年代に発酵してきた。ちょっと今 ハイテンション、笑うとこやで。いろんな事やらせてもらって楽しかった。ライブで歌う事が好き。一生懸命やるだけ。やめて何やる、銀行員でもリストラされる、歳いったら(腕をグルグル回して、交通整理の警備の人のマネか)歌うしかない。休んだことあれへん。休んだことちょっとはあるけど、ほんの少し。

一生懸命うとうてたら、還暦になったらドームで80曲、みんなビックリした。ギネスに登録したらと言われたけど〇〇〇〇にすぐ抜かれた。若いからハンデがある、覚えときや(笑)

今日までやってきてこのうえない幸せ、どこに行ってもいっぱいになる。暖かい声援をくださった皆様のおかげです。(ずっと下げた頭がなかなか上がらず深々と長いお辞儀でした)暖かいご声援を有難うございました。有難うございました・・(何度も繰り返しました)


途中で口調が物まねになってきて、私は森繁久彌と思ったんですけど・・誰かな?

ジュリーのMCが、始まる前にJ友さん達とお茶した時の会話と重なっていました。中国地方のJ友さんが、広島岡山は2階席に黒い幕がかけてあったことや、コンサートの無い年もあった事。ジュリーがお友達をコンサートに連れて来てと行った事。某氏、100曲歌ったら ヘロヘロになっていましたよ(笑)

 

余談だけど、私達の前の3人の観客が始まってもボソボソずっと私語ばっかり、ゴソゴソガサガサ ずーっと落ち着きがなく、目障りだったらありゃしない キョロキョロ、私達の方まで眺めている。ジュリーを見ろ、なんでこんないい席なのに、じっくりジュリーの歌声を聴こうとしないの?気にしないでいようとしても、邪魔な前の人が目に入るの。「時の過ぎゆくままに」のようなファンにとって大事な大切な曲の最中も聴かないで喋っている。他の大ヒット曲の時でもそう。

そのうちに1人が立ち上がって(邪魔!)コートを着だして途中で出てゆき、MCの最中に残る2人も出て行った。多くの人はひたすらジュリーの歌声に耳を傾けて、ただジュリーに没頭しているのに あの人たちは何しに来たのかな?チケットを貰ったのかな?ジュリーの歌声が心に届かない、聞く耳が無いマナーの悪いあの人たちは もう来なくていいよ。

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50周年LIVE 大阪フェスティバルホール(1月16日)

2018年01月17日 | ライブ・公演・舞台

5時過ぎにフェスの1階付近に行ったら、J友さんからメールが・・『大変、オケピ席を解放したから席が変わりますよ。私たちは後ろになりました。』いつも大阪フェスは前方のオケピ席5列を閉鎖しているので、6列が実質は1列になるのです。メールでは、いまいちよく様子が呑み込めなかった私ですが、入口に・・

センター辺りの席で該当するJ友さんは受付に行っていました。なんと、オケピを解放したせいで5列も前に進んだんだとか!前に進んだ人はいいの、私達は列は該当しても席番は端だったので 上記には該当しませんでした。行ってみたら・・・オケピ解放で私達の前にも人が増えてしまって。 今回は8列で実質3列のハズでした。今までで最高の良席になるはずでしたが、期待外れでした。

詳しくは知りませんが、関係者席を増やしたせいで、オケピ席を解放しないといけなくなったらしい。16日のフェスは神席と信じていたJ友さんは、前に人が増えてガッカリしたようですが、その後「ジュリーがご機嫌なら良いです」との事。なんといじらしい でもそうですね、私もジュリーがいいならそれでいい、そう思うことにしました。


肝心のLIVEは、スクリーンが降りてくると意外に観客の反応がよくて、あれ 初めての方が多いの?もう3回目ですフェスは。最初のMCで「阪神淡路大震災から23年目。復興へ」と、そこに触れてくれたのが嬉しかったです。もう23年もたってるよ・・・と思いながらも 神戸はいまだに復興借り上げ住宅の件で、出ていけ出たくないで揉めているのです。 ジュリーは阪神淡路だけじゃない、東北や九州も含めて心にかけてくれているのだろう。そう思いました。

ジュリーの声は最高・・というほどでは無かったです。まだ風邪が抜けきっていないようでした。時おり高音が苦しそうだったりしますが、全身全霊で渾身の力を込めて歌ってくれている、それがほんとによくわかりました。「許されない愛」だったか、最後の逃げてゆきたい🎵と歌う声があまりに真に迫っていて、その迫力が凄くて。それに呼応するような 大きな力いっぱいの拍手がジュリーのパフォーマンスを讃えていて、ジュリーの歌声にうたれているのは 私だけじゃない会場全員だ!それがとても嬉しい事でした 

どの曲も50年間で思い出深い曲ばかりだけれど、70年代の曲のほどには TVでそれほど聴く機会が無かった80年代後半から90年代の曲が 今回とっても心に沁みます。切れのいいパフォーマンスとともに、こんなにカッコイイ曲ばっかりだったんだと、改めて好きになりました。「そのキスが欲しい」のファンの歓声の大きさも凄くて、ますますライブが盛り上がっていきました。

シーサイドバウンドで、タイガースのメンバーの名前を呼ぶときはもちろん、思いっきりジュリ~♪と叫んできました。最後はジジー!で〆たけど(笑)

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