昨日の 昭和偉人伝岩谷時子・安井かずみ
二人の女性作詞家を取り上げたスペシャル番組。二人は当時、男性ばかりの作詞家の中に女性の感性で大きな風穴を開けた、と紹介されていました。
岩谷時子は大人っぽく、ヨーロッパの匂いがする、シャンソンの洒落た感じ。それまでの歌謡曲には出てこない歌詞だった。残念ながら「君をのせて」には触れられません。越路吹雪さんの個性的な歌がふんだんに流れ、他の誰でもない 日本人離れした大人の歌手のムードに溢れていました。そして加山雄三さんの歌声も沢山とりあげられました。越路さん亡きあと、岩谷さんは長寿を全うしました。
安井かずみZUZUは、『溢れる感性を わかりやすくストレートに伝えた。型にとらわれない詞であり、ファッションリーダーだった。「危険なふたり」ジュリーへの作曲提供から、快進撃が始まった』
ZUZUは昭和40年代後半には作詞家の第一人者になり、エッセイも出版しスタイリッシュな女性として、ファッションリーダーに。しかし、あまりのハードスケジュールで忙しくなりすぎ、行き詰まりも感じていた。
そんな時に加藤和彦の離婚を知り、急接近する。結婚後、8歳年下の加藤和彦はZUZUをお姫様のように扱った。毎日、フルコースの料理をZUZUの為に作っていた。そんな加藤をZUZUはいつも たてていた。『素敵な夫婦ですよね』と親友のコシノジュンコさん。スタイリッシュな憧れの夫婦、それも仕事になっていた。作詞家の次に熱中できるもの、それはスタイリッシュな結婚生活だった。
このあたりの事は、島崎今日子さんの本でインタビューされた吉田拓郎氏が ZUZUに対してかなり辛辣なコメントを寄せていました。少なくとも、結婚後のZUZUの作詞に魅力を感じなかったようです。そして、二人の結婚生活にも疑問を呈していました。実は無理をしていたんじゃないか?そんな感じがしました。スタイリッシュな生き方を貫き通そうとした人生だった?
肺がんで余命わずかと知った加藤和彦は、ZUZUには余命を知らせず、仕事はせずに看病だけに専念。55歳で亡くなったZUZU。今の自分が還暦を過ぎて、今更ながら55歳という年齢で逝ったのは早過ぎる死だと思いました。ジュリーを大好きだったというZUZU、生きていたら今のジュリーの生き方をどう思ったのかしらね?
余談だけど、加藤和彦さんが仕事をなげうって看病したという話は美談として、NHKで特集番組までありました。ところが!1年もたたずに再婚。え~っ!もう? 余りの速さにビックリしました その後、遺品がまとめてアラごみで捨てられたとか。歌謡大賞のトロフィーも。 でも私が後添いだったら・・ 前の嫁の遺品は見たくないです。やっぱり