闘病中の岸部四郎さんを大喜びさせた沢田研二の〝再結成宣言〟
昨日は突然のシローの訃報に大きくショックを受けて、アタフタしていましたが、夜10時からは亡くなった三浦春馬さんの新番組が始まったので見ていました。家人が別のTVを見ていて『報道ステーション』で、今からシローのことをやる、と教えてくれたので三浦さんの番組から、報ステに急遽チェンジ。
1969年にシローが加入したばかりの、タイガースとジュリーの貴重な映像が見られました。「映像提供スポニチクリエイツ」とあるので、そこには他にも貴重な映像が有るのかも?昔、映画館では本編の前に、短い芸能ニュース映像が流れていましたが、これはそういうものかと思います。

(以下、9月15日の報道ステーションから)

ザタイガースのメンバーとして喝采を詫び
西遊記では軽妙な演技で沙悟浄役を演じ
お茶の間で愛された岸部四郎さんが。亡くなりました
司会者、俳優、ミュージシャン、様々な顔が記憶に残ります。

四郎「俺何もできない・・芸能界にいながら、これほど芸がない男もいない。ほとほとあきれる。40年も食ってきたというのは、ズルいっちゃ ズルいかな。」

兄は岸部一徳さん。

50代で脳出血、闘病生活が続く。
四郎「最初の二年間は地獄のような、でも仕事をしなきゃいかんから。」

その人生は波乱に満ちていました。
(※画像が悪いけど、ここから1969年のシローが加入した当時の映像が流れた。赤字は当時の、ものすごく甘ったるい声のナレーション)

ファンの皆さんを心配させていた、ザ・タイガース。
加橋かつみ君の後任が、リーダーの岸部修三(おさみ)君の弟
シロー君に決定しました。ボーカルとリズムギターを担当する事になっているシロー君は、今年19歳。





(ナレーション)芸能界デビューは1969年、兄のサリーがリーダーを務めるザ・タイガースに急遽加入しました。


まだ新しい楽器が届いていないので、この日はボーカルだけでした。






(ジュリーの歌声)風は知らない~♪

ギターの森本タローさんです。


リズム感がシローは良くないので、まずいかなということで、タンバリンにガムテープ貼って音しないようにしていたことも。まあ そんなこともあって、楽しい思いでもいっぱいありますね。

(ゴージャスな毛皮のジュリー、拡大)

1971年の解散後は俳優へと転身します。
堺さん

グループサウンズの先輩、堺正章さんの思い出は、やはり このドラマです。

活躍の場はさらに広がりワイドショーの司会を長く勤めます。

借金問題で番組を降板し、騒動に。それでも人に愛された人生でした。

(タローのインタビュー)病室に行って、ギターで練習をしたら病人だから仕方がないけど、声がなかなか出ないんですよ。


それで本番イエスタデイというのでビックリした。

リハビリを経て、旧知の仲間達ザ・タイガースの舞台に立ちます。
(再結成のジュリー)
えー、良かったと。岸部シローもザ・タイガースの1人です。
歌いますか?




シローのyesterdayが流れて、Fin
貴重なタイガースの当時の映像が見られたのは良かったです。シローのナイーブな風情は儚げで、女の子にウケそうです。実際、J友さんはシローも好きでしたと言われていました。
が、まだ新しい楽器が届いていないので、この日はボーカルだけでした。というのは口実で、弾けない楽器を置く必要がなかったんだと思います。
当時のナレーションの女性の声が、変に甘ったるく甲高い口調が何だか癇に障って・・(-_-;)。昔はこれが普通だったんでしょうか。メンバーをシローくん、と呼ぶのも上から目線で馴れ馴れしい。サリーを「岸部おさみ君」と呼んだのには、サリーはタイガース時代は、岸部修三(おさみ)だったと、懐かしく思いました。それにしても当時のナレーションの、ベッタリ甘い声と作られた話し方が、小ばかにされていているみたいで嫌でしたわ。
NHKでは取り上げられなかった、多額の借金や、代表作の「西遊記」や「ルックルックこんにちわ」も取り上げるのは民放らしいです。